どくとるマンボウ昆虫記2011年11月02日 22時47分25秒

作家の北杜夫さんが亡くなったと聞いて、一抹の感慨なきにしもあらず。
享年84歳ですから天寿といってよく、特に意外な感はありませんでしたが、何といっても私は一時その作品を愛読していたので、寂しいというか、空しいというか。

私が氏の作品を熱心に読んでいたのは中学生のときのことです。
そして最初に手に取ったのが『どくとるマンボウ昆虫記』だったと思います。
私が中学生のころ、氏はちょうど50歳前後で、私からすると憧れの伯父さんのような存在でした。

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今にして思うと、当時、私は一種のアイデンティティの危機を迎えていました。
ちょっと前まであれほど好きだった昆虫に、急速に興味を失い始めていたからです。

昆虫を捕ってピンに刺したとて、それがいったい何になるのだろう?
そんなことをしたって、何にも生まれないじゃないか。
クダラナイ!コドモッポイ!!

そんな気持ちの一方で、やっぱり私は自分の過去を切り捨てることにもためらいがあって、何か虚無的な心を抱えていました。そんなときに、北杜夫さんの『昆虫記』に、そして氏の自伝的作品『幽霊』に出会えたことは、いくぶん大げさに言えば「魂の救済」にも相当する経験だったのです。

もはや自分は昆虫とオトモダチでいることはできない。
でも、そこから数々の物語を紡ぎだすことはできる。
生身の(というのも変ですが)昆虫たちの向こうには、さらに大きな世界があるらしい…そんなことを私はボンヤリと感じ取ったのでしょう。
ここでいう「さらに大きな世界」とは、文学とか、人間の心の領域とか、そういうものです。実際にそれが昆虫の世界よりも大きいかどうかは不明ですが、まあ中学生というのは、いろいろなルートで文学に目覚めるものですから、自分の場合、それがたまたま北杜夫さんだったということでしょう。

ともあれ、『昆虫記』のユーモアに、自分はどれほど心を慰められたことでしょう。
そして『幽霊』が描く心象風景に、どれほど魅せられたことか。
(「或る幼年と青春の物語」の副題を持つ『幽霊』は、とても美しい作品です。肉体と精神の成長の中で戸惑う主人公の昆虫少年(氏の分身)の繊細な心模様が、透明な自然描写と、入念な昆虫の生態描写とともに静謐に描かれています。)

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こうして私は北杜夫さんの主要作品を次々と読み、学校で書く作文にもその文体が影響するまでになり、その影響の一部は今でも残っている気がします。

氏は嫌がるかもしれませんが、私あえて氏を「偉人」と呼び、その死を悼みたいと思います。さようなら、そしてありがとう。。。

ジョバンニが見た世界「時計屋」編(1)2011年11月04日 21時19分27秒

さて、京都の話が一段落し、文学の話題が出ました。
また伝え聞くところ、ラガード研究所の淡嶋さんは、最近、晩秋の岩手に賢治探訪の旅に出かけられたそうです。

そこで「天文古玩」でも、久しぶりに賢治の話題を取り上げようと思います。
賢治については、構想ウン年に及ぶジョバンニが見た世界をいつ再開するか、ずっと気にかかっていたので、ちょうど良い機会です。

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「ジョバンニが見た世界」とは何か?
それは、「銀河鉄道の夜」の作品世界の中で、ジョバンニが目にした天文アイテムの数々が、実際にはどんなモノであったのかを考証しようという企画です。

これまでは、作品の冒頭の「午後の授業」の章に登場する、天文掛図や銀河模型、あるいは銀河の写真が載っている雑誌・本などを取り上げました。
今回はそれに続けて、ジョバンニが銀河鉄道に乗り込む直前、町の時計屋の店先で見とれた光景を俎上に載せたいと思います。

まずは「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html)から関連部分を転載します(読み仮名は一部を除いて省略。また読みやすいように、何箇所かスペースを入れました)。


「四、ケンタウル祭の夜

〔中略〕ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯(あかり)や木の枝で、すっかりきれいに飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って 星のようにゆっくり循(めぐ)ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が 青いアスパラガスの葉で飾ってありました。

 ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが その日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになって居り やはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になって その下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。またそのうしろには 三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたし いちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような蝎だの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたりして しばらくぼんやり立って居ました。

 それから俄かにお母さんの牛乳のことを思いだして ジョバンニはその店をはなれました。そしてきゅうくつな上着の肩を気にしながら それでもわざと胸を張って大きく手を振って町を通って行きました。」


華やかな美しさに満ちた文章です。
と同時に、ストーリー展開上、この描写はきわめて重要だと私は思います。

「銀河鉄道の夜」は、ブルカニロ博士が消えた最終稿になると、いわゆる「夢オチ」と解釈できるストーリーになっています(素直に読めばそうとしか読めない)。そして、ジョバンニが汽車の中で見聞きしたもの(つまり夢で見たもの)には、ジョバンニの現実世界での経験、特にその直前に、時計屋の店先で見た星座世界の光景が強く印象されている―ある意味では、その再現だと、私には思えるのです。(たとえばカンパネルラが車中で手にした、「黒曜石でできた銀河の地図」は、現実世界で見た「黒い星座早見盤+宝石」のイメージが、心的変形したものではないか…など。)

(この項つづく)

ジョバンニが見た世界「時計屋」編(2)…ネオン灯2011年11月05日 19時29分34秒



(↑ネオン管の先祖である、ガイスラー管など各種の発光管。19世紀人の心を捉えた精妙な科学の光。天文学書の画期となった『Le Ciel』の著者、アメデ・ギユマンによる、これまたビジュアル的に最美といえる物理学書、『物理学的諸現象 Les Phénomènes de la Physique』、1868より)

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「ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、
さまざまの灯(あかり)や木の枝で、すっかりきれいに
飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るく
ネオン燈がついて…」

悩みを抱えながら歩くジョバンニの前に、ぱっと明かりが広がり、ジョバンニの心が吸い込まれる瞬間です。

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ところで、以前から思っていた疑問。
銀河鉄道の時代設定は一体いつなんだろう?」
もちろん、これはファンタジーですから、我々の住む世界とは違った時間の流れ方をしてもいいのですが、仮に現実世界に比定するとしたらいつでしょうか?

これまでは、銀河を写した天体写真が登場することから、何となく20世紀初頭をイメージしてきましたが、もう少し突っ込んで考えてみます。

「銀河鉄道の夜」には、この現実世界と交錯する具体的事件が少なくとも1つ登場します。それは「銀鉄」ファンなら先刻ご承知のとおり、タイタニック号の沈没事件で、銀河鉄道に途中から乗り込んでくる少年と少女が、その犠牲者であることを示唆する描写が文中にあります。

タイタニック号の沈没は1912年4月。元号でいうと明治45年で、この年の7月に大正と改元されました。このとき賢治は、まだ旧制盛岡中学の4年生で、満16歳の誕生日を迎える前の多感な時期でした。

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ただ、作中にはっきり「タイタニック号」という固有名詞が出てこないのが、この推測の弱い点ですが、ふと上の「ネオン燈」という語が気になって調べてみました。

ウィキペディアの「ネオン」の項を見ると、ネオンの発見は1898年だとあります。新しく発見された元素だから「ネオン」。なるほど!これで「銀河鉄道の夜」の舞台が20世紀であることが、いよいよはっきりしました。

ウィキペディアには、さらに次のような記述が続きます。

「1910年12月、フランスの技術者ジョルジュ・クロードがネオンガスを封入した管に放電することで、新たな照明器具を発明した。パリの政府庁舎グラン・パレで公開後、1912年には彼は仲間たちとこの放電管をネオン管として販売し始め、理髪店で最初の広告として使用された。1915年に特許を取得し「クロードネオン社」を設立。1923年、彼らがネオン管をアメリカに紹介すると、早速ロサンゼルスのパッカード自動車販売代理店にふたつの大きなネオンサインが備えられた。」

1912年というのは、まさにネオン灯が商業利用された最初の年だったのですね。
ジョバンニたちが住むイタリア(?)の小さな町に、パリから最新のネオン灯が届いていたというのは、この時計屋の主人がとびきりハイカラな人間であることを示すエピソードでしょう。

…もちろん、賢治がこんな重箱の隅をつつくような考証をしていたとは思いませんが、実際うまい具合に整合するので、銀河鉄道の旅は1912年に行われたということにしてはどうでしょうか。(そうすると、今後の考証もいろいろしやすくなりますし。)

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ちなみに、日本でネオン管が点灯したのは、アメリカよりもさらに遅れて1926年(これまた大正から昭和に改元された年)、日比谷公園の納涼会にお目見えしたのが最初だそうです(家庭総合研究会編、『昭和・平成家庭史年表』、p.6)。

その後、昭和7、8年ともなれば、銀座のカフェーはこぞってネオンで店を飾り立て、ネオンは当時最新の風俗を示す記号となっていました。
賢治はそれを十分意識してあの箇所に書き込んだように思います。ハイカラで官能的という性格を、あの店に持たせたかったのでしょう。
と同時に、賢治はネオン灯がヨーロッパでは以前から使われていたことをよく知っており、タイタニックと同時に登場してもおかしくない…と、冷静に計算していたのかもしれません。

(このシリーズは、こんな調子でクダクダしく続きます)

ジョバンニが見た世界「時計屋」編(3)…フクロウ時計2011年11月06日 19時17分47秒

「…時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり…」

なかなか天文アイテムにたどり着きませんが、ゆっくり行くことにしましょう。

この赤い眼をくるくるさせているフクロウの正体は、至極明瞭です。
賢治がイメージしたのは、振り子の動きに合わせて両目がくりくり動く「フクロウ時計」に違いありません。戦前の日本で盛んに作られ、海外にも大いに輸出された品で、賢治も直接目にする機会があったはずです。

下は海外のオークションサイトから適当に引っ張ってきた画像ですが、これも日本製です。


フクロウ時計については、以下のページに詳細な解説があります。

■フクロ発声掛時計:TIMEKEEPER 古時計どっとコム(by kodokei様)
  http://www.kodokei.com/c2_021_1.html#sec01

このページで紹介されているフクロウの造形は様々で、上の写真もそうですが、中には明らかにミミズクと思えるものもあります。ただ、いずれも妙に甘ったるいファンシー調(あるいは中途半端な民芸調)である点が共通していて、今一つ「銀河鉄道」の世界にそぐわない気がします。
賢治があえて「石でこさえた赤い眼を持ったフクロウ」としたのも、そうすることで、より硬質な感じを出したかったのではないでしょうか。

(現実のフクロウ時計は、セルロイド製で黒目がちのクリーム色の眼をしているようです。なお、私はこの個所を、「石でこさえた赤い眼」と解釈しましたが、原文は「石でこさえたふくろう」とも読めます。私が「銀河鉄道」を悪文とけなすわけは、こういう分かりにくさが、あちこちにあるからで、このことはまた後で触れます。)

余談ですが、「赤い眼」と聞けば、賢治ファンは、「星めぐりの歌」に出てくる「赤い目玉のさそり」をただちに連想することでしょう。
「銀河鉄道の夜」の後半の山場である、サソリの自己犠牲のエピソードの段には、「赤い目玉」という表現こそ出てきませんが、主星アンタレスはルビーよりも赤くすきとほり リチウムよりもうつくしく燃えていると書かれています。この硬質な鉱物的表現は、何となく時計屋の場面から、連想の糸を引いているような気がしなくもない。
(我ながら妄説に近づいていますが、でもフロイトやユングの信奉者ならば、ジョバンニの夢を、もっと面白おかしく解釈してみせるでしょう。)

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話を元に戻してフクロウ時計。
賢治が直接イメージしたかどうかは分かりませんが、実はあの場面にもっとふさわしい品があります。下は鳥居龍次氏の『アンティーククロック図鑑』(光芸出版、平成8)より。


同書の記載データによれば、これはドイツのユンハンス社製で、1910年代の製品だそうです。ここで、昨日の「銀河鉄道の時代設定は1912年」という仮説が生きてくるのです。

上記のkodokei氏の考証によれば、日本製のフクロウ時計は、昭和以降のものしか存在が確認できないそうなので、時代や地理的背景を考えると、このユンハンス社製のものは、まさに作品世界にピッタリです。

鳥居氏による記述を、さらに転載させていただきます。
「前面のみ鋳物いぶし銀仕上げで、ガラスの目玉が常時左右に振り、きらきらと輝く。文字盤は銀色金属柄を嵌め込み〔…〕機械は裏の木箱に入っている。テンプ式」(p.122)

図版がモノクロなので、目の色は不明ですが、この硬質な質感が、銀河鉄道の世界に至極ふさわしい気がします。これならば賢治も満足するのではないでしょうか。

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以下はおまけです。
協力してくれる方がいれば、私はこの時計屋の店先をいつか再現してみたいと思っていて、それらしいモノをあれこれ探しています。経済的制約もあり、なかなかピッタリのものは見つかりませんが、たとえばこのフクロウ時計については、以下のようなものを置いてみようかと考えています(戦後の西ドイツ製。本体は金属です)。


これはフクロウではなくてミミズクだし、目は赤でなくて緑だし、目玉がくるくる動くこともないし…要は原作とは似ても似つかぬ代物なのですが、ここは純粋にイメージということで。。。



(ちなみに時計本体も壊れていて動きません。自分で直そうと思ったら、さらに壊れてしまいました。端的に言って「不燃ゴミ」ですが、上の夢を実現するためだけに取ってあります。)

お知らせ2011年11月07日 06時46分21秒

唐突ですが、今日から3日間出張が入ったので、その間更新はお休みします。
「ジョバンニが見た世界」は、他の話題をはさみながら、まだまだ続きます。

帰宅2011年11月09日 23時12分21秒

先ほど帰宅しました。
出張の合間に過ごした素敵な時間のことを、ぜひ書きたいと思うのですが、疲労が著しいので、今しばらく休憩します。

博物学者の部屋… DARWIN ROOM(1)2011年11月13日 11時52分57秒


さて、しばらく頭が働きませんでしたが(いつものことです)、記事を再開します。
「ジョバンニが見た世界」の方はボチボチ続けるとして、先日、出張の合間に東京・下北沢にある素敵な博物ショップ、ダーウィンルーム↓を訪ねたことを書かねばなりません。

好奇心の森「ダーウィンルーム」 http://www.darwinroom.com/

(今回の「合間」の目標は、このダーウィンルームと、それから久しぶりに神保町を訪ねることでした。神保町では、掘り出し物を狙う、目つきの悪い男たちの群れが昔と変わらぬ様子で徘徊していて、ちょっとホッとしました。)

ダーウィンルームについては、半年前にいくぶんヨタった記事を書きました。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/05/29/5887822
読み返してみると、かなり失礼なことも書いているので、今回はしっかり自分の目で見、そして耳で聞いたことを元に、改めて記事を書くことにします。

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ややもすれば方向を見失いがちになる下北沢の町の中で、目指す店は、駅前から南に続く南口商店街をまっすぐ行った六差路(すごい!)の一角に立っています。

店のドアを開けると、即座に鮮やかな色彩が目に飛び込んできます。
内装は、木を主体とした落ち着いたムードなのですが、そこに自然や博物学に関する本が並び、店内のあちこちに昆虫、鳥、貝、鉱物の標本や剝製がディスプレイされ(それらも商品です)、その全体が穏やかな光に満ちているという、とても居心地のいい空間です。

この「明るさ」と「鮮やかさ」が、この店の1つの特徴だと思います。
同じ博物趣味の徒でも、ナチュラリスト志向の人は「光系」、ヴンダーカンマー志向の人は「闇系」を好むと思いますが、ここは明らかに「光系」。

そして店内が明るく鮮やかに感じられるのは、標本や剥製の質が驚くほど良いということも、その大きな理由になっています。
鳥たちは艶々とした羽を閉じ、あるいは開き、生き生きとしたポーズで静止しています。その姿は、埃をかぶった「理科室の古い剝製」のイメージとは、およそ異なるものです。昆虫標本も完璧な展翅展足が施された完品ぞろい。しかも、美々しい蝶や甲虫ばかりでなく、コノハムシもいれば、バイオリンムシもいるし、巨大アリの標本まで並んでいるという具合で、そんなところに、この店のこだわりを感じます。

また下北という土地柄ゆえか、若いお客さんも多く、それも明るさの理由でしょう。(と言って、老人が暗いというわけではありませんが、やはり若さはそれ自身エネルギーですから。)

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今回のダーウィンルーム訪問で、もっとも大きな収穫は、店主である清水隆夫氏とゆっくりお話ができたことでした。

(長くなるので、ここで記事を割ります。この項つづく)

博物学者の部屋… DARWIN ROOM(2)2011年11月15日 22時24分59秒

(ダレル&ダレル著、日高敏隆・今泉みね子訳、『ナチュラリスト志願』、TBSブリタニカ、1985. 単なるイメージ画像ですが、そういえば日高敏隆さんのお名前も会話の中には出てきました。)

欅の黄葉にはまだ間があります。
いっぽう花水木や染井吉野の葉はすっかり赤く色づきました。
そして路傍のエノコログサは、とうに枯れ色です。
植物たちはそれぞれのペースで、冬への準備を進めているようです。

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さて、前回のつづき。

私が店に入ったとき、清水さんは雑誌取材を受けている最中で、記者氏にいろいろとお店のことを説明されていました。私はその間、店内をぐるぐる回りながら、その品ぞろえに目を奪われつつ、何を購入すべきか考えていました。

取材も一段落し、清水さんがレジに戻られたところで、私も品物の支払いをするべくレジへと行き、清水さんとちょっと言葉を交わすうちに、だんだん熱がこもってきて、「お茶でもどうですか」と誘っていただいたのを幸い、店内のカウンターでさらに長々と話しこんでしまったのでした。

以下は、会話体の部分も含め、清水さんのお言葉そのままというよりも、私の再解釈がまじっているので、その点を含んでお読みいただければと思います。

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まず、以前からの疑問、「ダーウィンルームは、デロールの影響を受けているのだろうか?」という点について、ずばりお聞きしてみました。

清水さんは、これまで商品の買い付けやら何やらで、ヨーロッパには100回以上、アメリカにはさらにそれ以上の回数出かけられているそうです。その旅の途次、関係するショップや場所を見て回り、ご自分のやりたいことを模索し続け、その結果として今のダーウィンルームがある、というお話。

「だから、その過程でデロールから影響を受けたものもあるとは思います。でも、自分はデロールの模倣をしたいわけではないんです」。清水さんは、このことをはっきり述べられました。「デロールは、過去の伝統を今にどう伝えるかに腐心しているようです。でもダーウィンルームは過去よりも現在、そして未来のことを考えていきたいと思っています。だから、ヴンダーカンマー的なものとは、ちょっと方向性が違うんです」。

この辺は、現在・未来の生態系や地球環境の問題を強く意識されているのかな…と思いながら、お話をうかがいました。実際、店内にはそうした方面の書籍がたくさん置かれています。

ザ・スタディルーム(=清水さんが立ち上げたサイエンスショップ)で科学に目覚めた子供たちが、今や大学生や大学院生として、ダーウィンルームを訪れてくれる…という素敵な話もうかがいました。
「でも、この店に一番興味を示すのは、理系の学生よりも、むしろデザイン系の学生ですね。まあ、スタディルームは科学への入口としては良かったんですが、ダーウィンルームでは、さらにその先にあるものを目指したいと思っています」。

「その先にあるもの」とは、店舗名の一部ともなっている「LIBERAL ARTS LAB」、すなわち豊かな真の教養がほとばしる場ということでしょう。

「この土地には、豊かな経験を持ちながら、今はリタイアしているような方が大勢暮らしていますから、そういう人が気楽に立ち寄って交流できる場となったら嬉しいですね。サロンと言ってしまうと、ちょっと後ろ向きな感じがしますけれど。私自身は学者ではありませんが、専門の研究者を招いて、積極的に情報発信していけるような拠点が理想ですね」。

半年前の記事で、「店を支える人的資源がどうなっているか」、要するにスタッフの資質の問題について触れましたが、清水さんもそのことは先刻ご承知で、今後、専門スタッフの確保が課題であるともおっしゃっていました。現状は、これまでの人脈を生かして、上野の国立科学博物館等の諸先生からアドバイスを受けつつ運営されているのだそうです。

上でダーウィンルームは、ヴンダーカンマーとは一線を画すという話がありました。
「でも好奇心という点では、謎めいた要素があってもいいですよね。隠された地下室に物凄い剥製がある、なんていうのも面白いじゃないですか」。

「アンティーク的なものは置かれないのですか?」と私。
「ええ、店の備品として置いてある古い品を買いたいというお客さんもいますし、そういうのを考えないわけではないのですが、なにしろこれだけのスペースしかないもんですから…」。

現在のダーウィンルームが抱える最大の課題は、スペースの問題のようです。
店の「看板娘」であるシマウマの剝製も、スペースの問題からわざわざ子どものシマウマの剝製を選ばれたそうです。そして、驚くべきことに、この店内最高価格の品を買いたいというお客さんがすでに複数いるそうですが、代替品の補充が難しいので、オーダーはすべてペンディングになっているというお話でした。

「この六差路はちょっとカルチェラタンの風情でしょう。店を拡張するとしたら、今のこの場所で広げたいんですけど、隣接するテナントはどこも黒字のようですから、なかなか空きがなくて…」。

さらにパワーアップし、謎めいた香りも漂わせたダーウィンルームの登場が待ち遠しいです。

この日は他にも科博のトロートン望遠鏡の話やら、下北の再開発の話やら、昆虫採集の話やら、気がつけばあっという間に1時間以上経っていたので、お礼を言ってあわてて店を辞去したのでした。

いや、本当に愉しくも充実した時間をどうもありがとうございました。
この場を借りて、改めてお礼を申し上げたいと思います。


(次回はダーウィンルームのお土産編)

博物学者の部屋… Liberal Arts Lab:DARWIN ROOM(3)2011年11月17日 20時46分41秒

ダーウィンルームのお土産編です。


一つは前から欲しかった「テンシノツバサ(天使の翼)」。


この和名は、英名Angel wingの直訳で、その由来は一目瞭然。

学名はCyrtopleura lanceolata(キュルトプレウラ・ランケオラータ)。
ネットのチラ見情報によれば、Cyrtopleura 属には現在3種が含まれており、中でも最初にリンネが命名したC. costataというのが、最も有名かつポピュラーな存在で、英語のAngael wing は、厳密にはこの種を指すという人もいますが、3種とも姿形はよく似ているので、一般名としては全部まとめて「天使の翼」と呼んでも良いのでしょう。

自然の造形も驚きですが、これを天使の翼と呼んだ人の発想もすばらしい。

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もう一つは丸皿サンゴの一種。


ダーウィンルームのスタッフの方は、「シイタケみたいですねえ」と言われましたが、それ以来シイタケにしか見えなくなりました(笑)。でもこの類は、科名で言うと「クサビライシ科」で、「くさびら」とはキノコの古名だそうですから、やっぱり誰もがキノコを連想するのでしょう。これまた「名は体を表す」というか、自然の造形の妙と、秀逸なネーミングの取り合わせの例ですね。

(裏側)

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今回は出張の合間で、しかも神保町でも買物をしたので、ストイックに振る舞わざるを得なかったのは、かえすがえすも残念でした。本当は各種昆虫標本にも強く心を奪われたのですが、やむを得ず断念。
しかし、せっかくダーウィンルームに来たのですから、何か強烈なインパクトのあるものはないか?と思って選んだのがこれです。


熱帯~亜熱帯の樹林に育つ、つる性のマメ科植物「モダマ」の莢(種子入り)です。
これはアフリカ産のEntada phaseoloides(エンターダ・パセオロイデス)。

(余談ですが、ラベルに「採集地:ブルキナファソ」とあって、私はブルキナファソが西アフリカにある独立国の名前で、この地域には11世紀以来王国が栄えていた、という事実を今回初めて知りました。)

さて、これがどれぐらい大きいかというと…



これぐらい大きいのです。全長は約90センチ。どうです、大きいでしょう。
でも、もっと大きいのもざらにあるようです。

モダマの仲間は日本の南西諸島にも分布していて、その種子は黒潮に乗って本土にまで流れ着き、ビーチコーマー(漂着物採集家)にとっては、恰好の収集対象なのだとか。南方憧憬を誘う品ですね。

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本日、ダーウィンルームさんから正式に画像を提供していただいたので、次回、改めて店舗の様子を大きな画像でご紹介したいと思います。(ひょっとしたら、ネットでは本邦初!かもしれないので、刮目してお待ちください。)

博物学者の部屋… Liberal Arts Lab:DARWIN ROOM(4)2011年11月19日 13時39分23秒

朝から冷たい雨が窓を打ち付けています。 冬近し。

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さて、ダーウィンルームの店内を改めて画像つきでご紹介します。

この「天文古玩」は、著作権の扱いが全般に緩く、自他に甘いのですが、以下の画像はダーウィンルームさんのご好意により提供していただいたもので、著作権は同店にあります。その点につき十分ご留意願います。(なお、お送りいただいた画像はもう少し大きかったのですが、画面に収まるよう今回75%に縮小しました。)


六差路の角に開口部を持つ店舗。
エクステリアのグリーンも美しく、ドアから覗く店内の光景が好奇心を誘います。
スタッフのOさんからいただいたメールには、「ドアの右側は時計草です、5月から10月末頃まで花が咲き続けます。ボタニカルアートには欠かせない博物趣味の植物ですね。左側はブドウです」とありました。

ドアの左右につづく窓際は、カフェのカウンターになっていて、ここでコーヒーを飲みながら、街ゆく人を眺めたり、買ったばかりの古書にゆっくり目を通したりできます。


店内風景。中央奥にカフェカウンターが見えています。
昆虫標本はここに写っている以外の場所にも、たくさん置かれています。


「教養の再生」をうたう書棚。化石人骨のレプリカが目を引きます。
棚に並ぶのは当然、自然史やサイエンス系の本ですが、その範囲は驚くほど広く、品揃えは多彩です。ここでも本の合間に、化石や昆虫標本が所狭しと並んでいます。


博物濃度がひときわ高い一角。
奥にチラリと見えるシマウマ、そしてシマウマと並ぶ「2枚看板」のペリカンの剝製。
棚の最上段には、福音館の古典童話シリーズと南方熊楠全集が見えますね。この不思議な取り合わせも自然に思えるのが、この店の特徴です。
この角度からだと見えませんが、この奥がレジになっています。

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いかがでしょうか?
当然のことですが、実際の店舗内は、ここに写っていない標本や剥製、その他の品も沢山あって、写真から想像されるよりも、さらに豊穣な空間となっています。
いくらコーヒーをごちそうになったとはいえ、提灯記事を書くつもりは毛頭ないのですが、やはりここは実際に足を運ばれることをお勧めします。