ジョバンニが見た世界「時計屋編」(6)…宝石を乗せて回る硝子盤(第1夜)2011年11月29日 20時14分37秒

「…いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って 星のようにゆっくり循(めぐ)ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たり…」

先に書いたように、この「時計屋」は、時計ばかりでなく宝石も扱う<時計・宝飾商>だと私は思います。したがって、ここに出てくる宝石は単なる飾りではなくて、れっきとした商品。それをターンテーブルに乗せてゆっくり回転させれば、宝石は照明を反射してキラキラと美しく輝き、見る人の心をいっそう惹きつける…という狙いなのでしょう。

当時のショーウィンドウに、すでにそういう工夫があったのか?といえば、ありました。むしろ、当時はショーウィンドウこそ、強力な対消費者向けメディアでしたから、今のショーウィンドウよりも、その飾り付けにはいっそう力が入っていたかもしれません。
(大正から昭和にかけてのショーウィンドウの位置づけについては、以前コメント欄でも少し触れました。http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/11/05/6189331#c6190371

大正3年(1914)に出た『店頭装飾 商品陳列法』(松倉順一著、博文館)という本を見ると、「金属製品の陳列」という章に、玻璃(ガラス)の棚や、天鵞絨張(びろうどばり)の棚は、貴金属製品の陳列にはなくてならぬものだ。又回転台の如きも、裏表を観せる必要ある物品の陳列には、最も必要なる装置と言はねばならぬ(p.194)とあります。さらに同書は、通行人の注意をひくための「運動的陳列方式」や(p.173)、電気照明の重要性についても紙幅を割いています(p.61-67)。

というわけで、時計屋の店頭風景は、賢治の完全な創作というよりは、当時の現実の景観に一定の文飾をほどこしたものと見てよいでしょう。

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少し時代を下って、賢治が「銀河鉄道の夜」を執筆していた昭和初年のショーウィンドウの実景を見てみます。以下は、いずれも昭和4年(1929)発行の『現代商業美術全集4/各種シヨーウヰンドー装置集』(濱田増治ほか編、アルス)掲載の口絵からとりました。

↓は当時の店頭写真。アメリカ、イギリス、ドイツのショーウィンドウにまじって、右列中段のものが東京三越化粧品のもので、欧米のそれよりも、むしろ洗練されているように感じられます。日本人はこういう装飾的(言うなれば小芸術的な)才能に恵まれているというもっぱらの評判ですが、まあ実際そうなのでしょう。


↓は時計屋の店先を考える参考として、貴金属店のディスプレイの例(濱田増治案)。


ただ、あの時計屋の店先は、こうした幾何学的配列よりは、むしろ↓の「情緒を本位にしたる」楽器屋の店先(中里研三案)に似た雰囲気だったかと思います。


このハイカラな時計屋の主人は、星にまつわるアイテムをドラマチックに並べ立て、星まつり(作中の語で言えば「ケンタウル祭」あるいは「銀河のお祭」)の宵を存分に演出したのではないか…賢治の文章からは、そんなふうに想像されます(そして、それが昨日の小林敏也氏の描画とも重なります)。

ちなみに銅の人馬像は、それ単独で回る装置が別にあったと考えても不都合はありませんが、あんまり動く要素が多いと、見た目が一寸くどいので、ここではケンタウルスにちなんだ小像を、宝石とともにちょいと盤上にあしらった…というふうに一応考えておきます。

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で、思うのですが、賢治も上京の際に、こうした最先端のディスプレイを見て、ジョバンニと同じく高揚感に包まれたことがあったのではないでしょうか。さらにまた、賢治は自ら(時計屋ではないですが)宝石屋になりたいと考えた時期がありました。

そういった体験が、この一節にはボンヤリ投影されているのかもしれないぞ…といった点に触れつつ、さらに記事を続けます。

(この項つづく)