魅惑の Personal Wunderkammer “ひとり驚異の部屋”2011年12月03日 13時23分17秒

ついに師走。今週は早めの忘年会があったりして、すでに年末モード全開です。
ひと月ぐらい前までは、依然秋の気分でしたし、「今年の夏も暑かったねえ」みたいな呑気な会話を交わしていたので、年の暮れはずっと先のことだと思っていました。
しかし、1か月ぐらいはすぐ経ってしまいますから、そうなると「もう12月!」という恐るべき事実といきなり直面させられ、呆然としてしまう…だいたい毎年そんなことの繰り返しです。今年もやっぱりそうでした。本当に1年はあっという間ですね。

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さて、ジョバンニの話題の合間に、別のことも書いてみます。

自分だけの驚異の部屋を志す人が、日本にどれぐらいいるのか?…という話題を以前書いた気がします。驚異の部屋に憧れる一人として、そういう部屋を拝見する機会があれば是非に、と思っています。
ただ、そういう方は私秘性を大事にされているのか、なかなかお目にかかる機会がありません。

そんな中、恐竜/古生物の復元模型を手掛けておられる徳川広和氏が、同じくプロの恐竜の復元画家である小田隆氏のアトリエや、進化生物学者の倉谷滋氏のご自宅を訪問された記事をブログ(ふらぎ雑記帳 http://fragi.blog70.fc2.com/)に書かれているのを発見しました。
これらのお部屋は、ヴンダーカンマーそのものではないかもしれませんが、それを目指す上で参考になると思い、引用させていただきます。

■小田隆さん宅訪問
 http://afragi.exblog.jp/857118/

■ニクイお部屋訪問2〔←こちらが倉谷邸訪問記です〕
 http://fragi.blog70.fc2.com/blog-entry-261.html

それぞれ2005年、2008年の記事ですから、現況とは少し違っているかもしれませんが、小田氏のアトリエは、いかにもワークルームという感じの機能美を見せており、スペースもゆったりしていて、とても快適に作業ができそうです。

いっぽう倉谷氏のご自宅は、博物趣味の濃いインテリアに思わず目を奪われ、まさに「ニクイお部屋」と嘆息せざるをえません。窓一面に神戸の夜景…というのも、素敵ですね。

こういうお部屋を拝見すると、わが身を省みて「貧というのは辛いものだ」と、つくづく思います。もちろんただ嘆いているだけではダメで、できる範囲で努力しないといけないのでしょうが、しかしそれにしても…

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これまでなぜか無かった「驚異の部屋」のカテゴリーを新設しました。過去の記事も順次整理できればと思います。あと「博物館」、「ヴンダーショップ」、「長野まゆみ」なども独立したカテゴリーとすることを思案中。

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(8)…宝石を乗せて回る硝子盤(第3夜)2011年12月05日 20時51分53秒

ふと思い立って記事のカテゴリーを新設しました。
またカテゴリーの並び順も整理して、天文に関連するものを上位にまとめました。(一応「天文を中心に…」とうたっているので。)

今回増やしたのは、「天文余話」、「極地」、「驚異の部屋」、「長野まゆみ」、「ヴンダーショップ・イベント」、「博物館」の6種類です。(「天文余話」というのは、他のカテゴリーに入れづらい天文関連の記事を整理するためのものです。)

それにしてもバカバカしいほどカテゴリーが多い。ご当人は整理したつもりなのに、いっそう取り散らかった印象を生むという矛盾。なんだか自分の部屋や、頭の中を見せつけられるような気がします。

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さて、ジョバンニの話。

「銀河鉄道の夜」には、いろいろな宝石名が登場します。
しかし改めて読み返すと、その多くは比喩表現として使われていて、実際に宝石そのものが登場する場面は少ないことに気付きました。

比喩表現というのは、次のようなものです。

金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に」
月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花」
金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床」
水晶細工のように見える銀杏の木」
真珠のような実」
「日光を吸った金剛石のように露がいっぱいについて」
ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えている」

それに対して、宝石そのものが登場するのは、以下の2か所ないし3か所のみです。

「あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。」

印象的な「アルビレオ観測所」の描写。
はくちょう座のくちばしに当たるのが二重星のアルビレオで、望遠鏡でのぞいた時のオレンジと青の美しい対比で知られます。

「河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶黄玉(トパース)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。」

透明で涼やかな、銀河のほとりの光景。
「鋼玉」(コランダム)というのは酸化アルミニウムを主とする鉱物で、鉱物学的にはルビーやサファイヤもコランダムの仲間です。ここでは「青白い光を出す」とあるので、明らかにサファイヤのこと。もちろん賢治もそのことは承知で、ただ文字と音の印象から、ここでは「鋼玉」を使いたかったのでしょう。

なお、上記の2か所以外で探すと、水晶の数珠」という表現が出てきますが、これは天上世界の超現実的な美を表現しているわけではなくて、現実世界にも存在するモノなので、ちょっと性格が違うかもしれません。

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結局、作品中に宝石として登場するのは、サファイヤ、トパーズ、水晶の3種類のみです。時計屋の店先には色々な宝石が並んでいたはずですが、ジョバンニに深く印象されたものとして、この3種の宝石は外せないところです。

そして、この3種をメインに、銀河鉄道の世界のイメージを喚起する存在として、比喩的に登場した他の宝石も取り混ぜて、これらを青いガラス盤に乗せてぐるぐる回してやれば、一応所期の目的は達成されたことになります。

ただ、それを実現するには相当な資金力が必要で、私にはそれが欠けています。
万やむを得ず、ここでは若き日の賢治さんの情熱に応えて、合成宝石を用意してみました。これならばぐっと経済的です。


ベルヌイ法や熱水法で作られた人工結晶の美。




サファイヤ、ルビー、トパーズ、エメラルド、そして金剛石を欺くジルコニア。あとは月長石とか水晶とか、これらは宝石というよりも「貴石」のたぐいかもしれませんが、そんなものを散りばめたら、まずは上出来。


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さて、以上はある意味「公式見解」です。
作品に出てくる宝石のターンテーブルとして、私は現時点では上のようなものを思い浮かべますが、実は最初にこの文を読んだときには、まったく別のものを想像していました。それはオーラリーです。

青いガラスの上を、色とりどりの宝石でできた惑星がすべるように回るオーラリー。このイメージは今でも個人的に気に入っていて、時計屋の店先を再現するとしたら、むしろこの案を採用するかもしれません。

何といっても、そうすれば星関連のアイテムで場面に統一感が生まれますし、それにオーラリーの製作は、歴史的に時計職人の領分でしたから。

話を妙に引っ張りますが、これについてもう少し書いてみます。

(この項つづく)

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(9)…宝石を乗せて回る硝子盤(第4夜)2011年12月07日 22時39分24秒

前回のつづき。
「…いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って 星のようにゆっくり循(めぐ)ったり…」
この一節からオーラリーをイメージしたという話を書きます。

まず、海のような色合いの盤上をゆっくりと星が回る…という部分から連想した品はこれです。

(出典:Bruce Stephenson et al, THE UNIVERSE UNVEILED. Cambridge University Press, 2000)

Pieter Isenbroek 作のグランド・オーラリー(18世紀)で、現在はシカゴのアドラー・プラネタリウムが所蔵しています。青と金の対比が実に美しい逸品。
この回転盤をガラスで作るのは、ちょっと難しい注文ですが、もしそんな品ができたら素敵ですね。

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そして、宝石が星のように回る…という部分からの連想はこれ。


Science Art Company という、アメリカのメーカーが作った現代のオーラリーです。
木製の台座、歯車を覆うガラスのドーム、そこから生えている樹状の角。クラシック・モダンな雰囲気を漂わせる不思議な作品です。


このオーラリーは独自のメカニズムにより、太陽の周りを各惑星が、正確に公転周期の比に合わせて回ります。(動力は電池。1地球年は75秒に設定されています。)

太陽と惑星は、それぞれの色をイメージした貴石、半貴石を削り出して作られており、太陽はオレンジ方解石、水星は青めのう、金星はアベンチュリン、地球はラピス、火星はカーネリアン、木星は縞めのう.....という具合。


この角度からだと、各惑星はてんでバラバラの軌道を描いているように見えますが、実際には、ほぼ同じ平面(黄道面)を行儀よく回ります。

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どうでしょうか、ジョバンニはこうして太陽系に一瞥を投げかけてから、星座絵や星座早見によって表現される恒星世界へと旅立った…というふうに考えてみては?

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(10)…宝石を乗せて回る硝子盤(番外)2011年12月09日 21時23分48秒

さて、「時計屋編」の残りのアイテムは、星座早見、望遠鏡、星座絵と、いよいよ天文趣味の本流に入っていきますが、その前に宝石に関連して、もう一つだけおまけアイテムを取り上げます。

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「銀河鉄道の夜」に出てくる宝石関連の記述として、「水晶の数珠」というのがあるということを、この前ちらりと書きました。それは旅が始まって間もない「北十字とプリオシン海岸」の章に出てきます。

銀河鉄道の旅は、白鳥座が形づくる「北十字」から、南十字星まで、2つの十字架を結ぶルートを走り抜けますが、この2つのポイントは旅の中でも荘厳華麗な、人々の信仰心を揺さぶるものとして描かれています。

北十字の描写はこうです。

「俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。」

その荘厳さに打たれて、車中の人々が皆立ち上がり、敬虔な祈りを捧げるというシーンに、「水晶の数珠」は登場します。

そして物語の終盤の南十字では、

「見えない天の川のずうっと川下に 青や橙や もうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木という風に川の中から立ってかがやき その上には青じろい雲が まるい環になって 後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのように まっすぐに立ってお祈りをはじめました。」

以前、プラネタリウム番組の「銀河鉄道の夜」(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/11/26/4722590)を見たときも、この2つのシーンはとても印象的でした。
冷たい白光を放つ北十字と、色鮮やかな光に満ちた南十字。

ここに出てくるのは、キリスト教のシンボルとしての十字架ですが、そのいかにもキラキラしいイメージが、なんとなく華やかな時計屋の情景と結びついているようにも感じられて、たとえばあの店先には、水晶で刻んだ美しいロザリオが飾らており、ジョバンニの夢は、それに触発されたものではないか…と、そんな風に想像してみたりします。(実際の宝飾店の店先に、ロザリオが並ぶものかどうかは定かでありませんが。)

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というわけで、単なる思い付きのようではありますが、銀と金のロザリオを探してみました。(我ながら、この企画には異様に力瘤が入っています。)


白銀の北十字。



きらめく水晶の珠。


「『ハルレヤ、ハルレヤ。』前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈っているのでした。」


ターコイズをちりばめた黄金の南十字。


「そしてその見えない天の川の水をわたって ひとりの神々しい白いきものの人が 手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。」

 

「ふりかえって見ると さっきの十字架はすっかり小さくなってしまい ほんとうにもうそのまま胸にも吊されそうになり…」

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以上、「宝石を乗せて回る硝子盤」の番外編でした。
なお、「黄金の…」というのはもちろんイメージで、2番目の品は金製品ではありません。

小箱をカタカタ…ささやかな月食2011年12月10日 19時45分04秒

今日は話題の皆既月食。
朝方は快晴でしたが、途中から雲が出てきました。少なからず気がもめます。

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写真↓は、月食の晩にふさわしい玩具。


紙箱の表には、「L’ECLIPSE DE LUNE/JUE DE PATIENCE」と書かれています。
「月食いらいらゲーム」とでも訳せば良いのでしょうか。


ふたを開けると、中には憎らしいほど肉付きのいい月人が、屈託なく微笑んでいます。


この玩具は、この満月のくぼみに、3つの黒いピースをはめ込んで「月食」を起そうという、ゲームというか、一種のパズルです。でも、表面はガラス蓋で覆われているので、手ではめるわけにはいきません。箱をあれこれ揺さぶって、少しずつピースをはめていくのですが、なかなかこれがうまくいきません。まさに Patience(忍耐)という商品名の通りです。

まあ、他愛ないといえば他愛ない品ですが、いかにも呑気で、のどかな時代を思い起こさせます。オリジナルはたぶん19世紀末のフランス製だと思いますが、ここに紹介したのは1984年に西ドイツで出た復刻品。ミュンヘンのFranz-Josef Holler という会社が売り出しました。

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さて、本物の月食のほうはどうなるでしょう。こればかりは、小箱を揺さぶるようなわけにはいかないので、いっそうイライラ・ジリジリしますね。

【付記】
ところで、この外箱の絵。真昼(?)の情景というのも変ですが、天体とそれを覆い隠す影の大きさが同じです。ということは、これは月食ではなくて、日食なのか?

よく見ると、手前の女の子は、煤の付いたガラス板で透かし見ようとしているようです。でも、そうなると今度は、望遠鏡と双眼鏡を手にしたお父さんとお母さんの目玉が心配になります。


【さらに付記】
この品は、min_y 様の「日常と夢の記憶」(http://yumesuke.exblog.jp/16133906/)で拝見して以来、どうしても欲しくて、苦労の末にやっと手に入れました。

不在通知2011年12月11日 22時01分18秒

昨日は9時過ぎに外を見たら「快曇」だったので、これはもう駄目だとあきらめました。
しかし、就寝する前にチラっと外を見たら、驚くほど透明な星空だったので、あわててベランダに出ました。折よく皆既の真っ最中。そのうちに赤黒い月の端から、徐々に光が戻ってくるまで、じっくり眺めることができました。

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さて、明日から金曜日まで、所用で留守にします。
その間、記事の更新はお休みします。

帰国2011年12月17日 19時30分51秒

昨夜帰国しました。
そして本日はとても嬉しい出会いがありました。
年末の一日、思うこと多々。
本来のブログは、明日から再開の予定です。

中国で見た白い建物2011年12月18日 17時35分57秒

先週は中国にいました。
渡航の趣旨は、天文古玩とは縁遠いので割愛しますが、その過程で目を惹く「モノ」があったので、ちょっとメモしておきます。

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旅の途中で立ち寄った場所、蘇州近郊の「華西村」。
日本人が観光で行くことは少ないと思いますが、「中国一の金持ち村」と喧伝され、日本でもテレビで紹介されたことがあるようです。

外部の訪問者の目に真っ先に飛び込むのは、広い庭付きの邸宅が整然と並ぶ町並みです。これらの家に住むのは、高い収益力を誇る、域内工場で働く労働者たちで、ここは職住接近型の町として人工的に構築された、一種のユートピア的な場所なのです。もちろんあらゆるユートピアと同じように、そこには光もあり、同時に濃い影もあることは確かです。

そのことはひとまずおいて、私の目を惹いた「モノ」とは、村内の「世界公園」に立つ、ある建築物でした。「世界公園」というのは、世界中の有名建築物を縮小再現したテーマパークで、この手のものは、ラスベガスにもあるし、日本でもバブル期に地方自治体が手掛けたりしましたが、この村の一種のバブリーなムードを象徴しているのでしょう。

で、華西村にあるのは、ホワイトハウスや、シドニーのオペラハウス、パリの凱旋門、あるいは万里の長城や天安門といった、誰でも知っているものが多いのは当然としても、その中に、なぜか天文ドームをいただく建物がまじっているのが目を引きました。
写真を撮ってこなかったのが悔やまれますが、今ネットで探すと、下の画像の白丸で囲んだのがそれです。

(オリジナル画像は「人民中国」インターネット版掲載。http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-06/27/content_130101.htm

白い直方体のビルの上にドームが乗っています。
「おや??」と首をひねりつつ、同時に「どこかで見たことがあるぞ…」と思って、しばらく考えたら分かりました。これはドイツのポツダムに立つ、「アインシュタイン塔」を模しているのでした。

(↑ウィキメディア・コモンズより)
(以前の関連記事はこちら。http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/04/08/1379783

オリジナルは曲面を多用したドイツ表現主義の代表的建築として知られますが、中国版は四角四面の箱型なので、すぐには両者が結びつきませんでした。でも、帰ってからネットで調べたら、確かにここには「愛因斯坦天文台〔アインシュタイン天文台〕」があると書かれています。

オリジナルとコピーの落差を嗤うのは簡単です。
しかし、なぜアインシュタイン塔なのか?と考えると、その謎は深いです。

華西村は地方の小農村からスタートして、現在は第2次産業主体の町ですから、有体に言ってハイカルチャーとは縁遠い場所です。特に天文好きの人が多い場所でもないし、ドイツ表現主義に造詣の深い人がいるとも思えません。それなのに、なぜこんなマニアックな建物が選ばれたのでしょうか?

あるいは、単純にアインシュタインの名前の響きに惹かれたのかもしれません。
いずれにしても、人々が抱く素朴な科学への夢が、このような形でひっそりと物象化していたことに驚くとともに、オリジナルとはまた別の意味でユニークな(ある意味、一層ユニークな)怪建築として、印象に深く残りました。

石の縁、人の縁2011年12月19日 22時14分59秒

旅の記に続いて、土曜日の素敵な出会いについて。
この日は、鉱物趣味の新時代を画した『鉱物アソビ』、そしてその続編である『鉱物見タテ図鑑』の著者である、フジイキョウコさんとお話しする機会がありました。

(フジイさんからいただいた、黒地に活版の銀文字が映える黄鉄鉱カード。)

『鉱物アソビ』の出版をめぐるエピソード、そこに係わった誰それの話、フジイさんの子ども時代の思い出…いずれも大変興味深かったです。

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中でも面白かったのは、フジイさんが鉱物画を探し求めて、地学系に強い神田の某古書肆を訪ねた際のエピソードです。フジイさんがあれこれ説明しても、そこの店主氏は全くその意図が理解できず、話は最後まで平行線だったとか。
何でも店主氏は、「そうか、お前さんは学術書ではなくて、絵入りの入門書を探しているのだね。では、これを読むといい」と、(親切にも)最近出た初学者向けの本を薦めてくれたそうです。

要するに、アカデミックな<鉱物学>の体系が脳内に刻まれた店主氏にとって、アートや文学と接する近頃の<鉱物趣味>は、完全に理解を超える存在だったわけで、これはなかなか考えさせられる話です。

私には、フジイさんの思いも、店主氏のそれも、それぞれよく分かる気がします。
ここには、アートとサイエンスの対立もあるし、また以前話題にしたように(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/04/09/5789446)、博物学とサイエンスの違いという、もう一寸入り組んだ問題も絡んでいると思います。

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あるいは、「石」業界の内輪の話。
ミネラルショーで同じように軒を並べていても、「鉱物屋」と「宝石屋」はほとんど交流がなく、別種の業界を形成しているとか、だからこそ両方に通じた人はきわめて貴重な存在であるとか、私にとっては初めて聞く話で、思わず「へええ」と思いました。

(同じく「石」の一字が捺されたしおり。凹凸舎・製)

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あるいはガラスの実験器具をめぐる話。
実験器具というのは、戦前も戦後もほとんど同じ姿をしているけれども、やはり今出来のものは魅力が薄く、古いものは趣がある…そんな微妙な感覚にも深い共感を覚えました。(ちょっと古陶磁趣味に通じますね。)

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と、こんな風に書いているとキリがありませんし、実際当日も話は延々と尽きませんでしたが、最後に「こういう出会いから、何か新しいものが生まれたら…!」という夢を話し合って、この日は語り納めとしました。

これが正夢になったら嬉しいですね。

ジョバンニが見た世界「時計屋編」(11)…黒い星座早見盤(第1夜)2011年12月20日 20時53分59秒

「…そのまん中に円い黒い星座早見が 青いアスパラガスの葉で飾って
ありました。
 ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが その日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらが そのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになって居り やはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になって その下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。」

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この「黒い星座早見」については、候補となりうる品を以前から心に決めていて、いずれも既出の品です。

候補は今のところ3つあります。
1つは賢治自身が所有していた、日本天文学会(編)/三省堂(発行)の古い星座早見(http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/08/28/)。

あとの2つは、いずれもイギリスのフィリップス社の製品で、1つは19世紀後半~20世紀初め頃に販売されていた古いバージョン、もう1つは1920年代以降に出たとおぼしい新しいバージョンです(いずれも、http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/01/26/ 参照)。

以上の3品がどんなものかは、リンク先の記事をご覧いただければお分かりだと思いますが、今回は一寸手を加え、大きな画像で再登場してもらうことにしました。

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まず第1夜は、日本のものから。
「銀河鉄道の夜」は、一応外国が舞台らしいので、日本製の早見はそぐわない感もありますが、賢治の脳裏にあったイメージを探る意味で、あえて取り上げることにします。


物語の情景に合わせて、アスパラガスの葉をあしらってみました(造花の葉っぱです。垢抜けない飾り方ですみません)。

この早見盤を見る限り、賢治が「黒い」と表現したのは星座盤のことで、それを覆うカバーの色ではなかったと推測されます(もちろん、その辺は読み手の自由な解釈に委ねられているわけですが)。


淡いブルーのカバーに古風な文字と装飾。
手元にあるのは昭和20年(1945)に出た品ですが、このデザインは明治40年(1907)の初版から変わってないので、いかにも「明治調」というか、アールヌーボー風の味わいがあります。(さすがに古色蒼然として、戦後日本には不似合いと思われたのでしょう、このあと昭和26年には、デザインを一新した新版が出ました。)


北十字(はくちょう座)から、遥か地平線下に流れ下る天の川。
ジョバンニたちは、この流れに沿って旅を続けました。

(この項つづく)