2011年、回顧2011年12月31日 21時46分31秒

大掃除が終わり、今年最後の風呂につかり、やっと一息です。

今年を回顧すると、やはり当然震災の話題になります。
年が明けたからと言って、もちろん事実がリセットされるわけではなく、日本は(もちろん私も)ひきつづき大きな問題を抱えて、その中で生きていかなければなりません。
正直しんどいことですが、これを「しんどい損」で終わらせず、「意味のあるしんどさ」に変えていくことが、何よりも大切だろうと思います。そのために何をすべきか、この正月はそんなことを考えながら過ごす予定です。

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さて、「天文古玩」の活動に関してはどうだったか。
買物帖を見返すと、今年最初の買物は人体骨格模型でした(松の内からそんなものを買っていました)。そして今年最後の買物は、見慣れない星座早見と古いトランプです。
相も変わらず…という気もしますが、ただトランプはちょっと新機軸かもしれません。

買い物をするときに、いちいち立ち止まって考えることはしないので、なぜ自分がトランプに惹かれたのかは、自分でも分からない部分があります。もちろん、そこには「不思議の国のアリス」とルイス・キャロルの連想も働いているでしょうし、クシー君やタルホ的なオブジェという意味合いもあるのでしょう。あるいは、単にちょっと謎めいた雰囲気に惹かれたのかもしれません。まあ、トランプコレクターになる気づかいはありませんが、来年は、少し不思議な味わいを求める年になる予感もします。(ならないかもしれません。)

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それよりも、来年は買い物の方は一服して、少し本を読む年にしたいなあと思っています。

最近つくづく思うのですが、物を買うというのは、自分という器に入った水に、塩を溶かしこむような作業のような気がします。
最初はぐんぐん溶けて、あっという間に己の一部と化しますが、そのうち飽和状態に達すると、あとはいくら物を買い続けても、自分と同化させることができずに、漫然と周囲に積み上がるばかりです。自己の内部に「異物」を抱え込むのは、生体として苦痛なので、こうなると買い物は、いたずらに自分を苦しめるだけの行為になってしまいます。

ここで残された道は、スパッと買い物をやめるか、あるいは{器を大きくする and/or 水温を上げる}ことによって、もっと多くの塩が溶け込めるようにするかです。そして、本を読むこと、すなわち知識を得て自分の頭の中を整理するということは、後者のために非常に有効な手段だという気がします。何はともあれ、今年は本を読まなさすぎました。

「部屋が狭いので、もう物は買えない」ということを、これまで何度かこぼしたことがありますが、実は飽和状態に達していたのは、物理的空間よりも、自分の心だった…というのが、この冬の発見です。

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そうして、ブログの方も、もう少し内容のある記事を書きたいです。
今年は、ひところブログを書く意味が感じられなかった時期もありました。自分の行為の安易さが、どうにも我慢ならなくなっていたのです。

「天文古玩」のように、買った物を紹介するというのは、安易にやろうと思えば、いくらでも安易にやれる話です。特にネットオークションで買った品などは、適当に写真を撮って、あとは売り手の紹介文をコピペしておけばいいのですから、実に楽ちんな作業です。

しかし、その後で、どうしようもない虚しさが襲ってきます。そんなコピペ記事を書いても、この世界に何か新しいものが付け加わるわけではないし、単に自分の無能さを再確認することにしかならないので、書けば書くほど辛くなってくるわけです。

まあ、お楽しみブログを書くのに、そんなに頭から湯気を立てる必要もないでしょうが、これからは知ったかぶりや、背伸びはやめて、もう少し自分の頭で考えて、自分自身が素直に納得できる内容を書こうと思います。

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…と、何となくしおらしいことを書きましたが、人間はそうすぐに変われるわけではないので、やっぱり同じような感じで、記事は続くことでしょう。とはいえ、一寸ずつ一寸ずつ変わっていけたらな…と思います。



今年も一年、拙ブログにお立ち寄りいただきありがとうございました。
それでは皆様、よいお年を。