ゆったりとした天文趣味の話(1)…ジョン・リー2012年01月02日 23時22分17秒

世間の人が「天文趣味人」と聞いて、どんな人種を想像するかはよく分かりません。
目をキラキラさせたロマンチックな人とか、あるいは単純にヒマ人を連想するかもしれません。ただ、ひとたび「天文ガイド」誌を覗けば、天文マニアとは「観測オタク」や「機材オタク」のことなんだね…と思われることでしょう。

天文マニアも千差万別なので、ひとくくりにしてはいけませんが、上の観察は部外者の曲解とも言い難く、たしかに多くの天文マニアはオタク的なキャラクターの持ち主であり、人生を構成する諸要素のうちでも、ごくごく限られた小領域に興味を集中させている人たちである…と、言って言えなくもないでしょう(ちょっと歯切れが悪いですが)。

私はオタク的な人が好きですし、そうでなければ何かを成し遂げることは難しいと思います。とは言え、私が憧れるスタイルは、「天文命!」というのとはちょっと違います。

このブログも多分そうでしょうが、私の中にあるイメージは、まず「好奇心の発露」が太い幹としてあり、遥かな宇宙への興味関心は、そこから伸びた1本の枝であるというものです。この辺のことは、私がごちゃごちゃ言うよりも、その実例を挙げた方が分かりやすいと思うので、先人の生き様を見てみます。

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たとえば、かつてのイギリスにジョン・リー(John Lee, 1783-1866)という人がいました。本職は法律家でしたが、友人のスミス提督(その息子が、プロの天文家になったピアッジ・スミス。cf. http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/06/05/393347)から天文趣味を吹き込まれて、個人天文台を自邸(ハートウェル・ハウス)内に建てて、観測にのめりこんだ人です。

ビクトリア時代の初め、この資産と才能に恵まれた人物の天文ライフは、次のようなものでした。

 「子午儀室、計算室、ドラムとドームを備えた新天文台は、ハートウェル・ハウスの書斎からすぐ行けるようにつながっていた。充実した本のコレクションから、エジプト学の陳列室、さらに珍品のつまったキャビネットに至るまで、戸外に探検に出ずとも、そこをざっと歩くだけで、ジョン・リーの教養の全体像を一望するには好都合なつくりだった。しかし、彼はスミスや〔ウィリアム・〕ピアソン、〔ジェームズ・〕サウスらと全く同じ按配でグランドアマチュアだったのではない。天文学は、彼の唯一それに尽きる情熱というわけではなかった。むしろ他の多くの活動に交じって、気分を高揚させる魅力的な活動の1つであった」 (アラン・チャップマン著、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』 邦訳p.77)

 「リーにとって天文学とは、高尚で洗練された、ジェントルマンなら身に付けるべき良き学問分野の1つであって、エジプト学・考古学・さまざまな蒐集・古銭趣味・社会改良運動等にかける情熱と並列する存在であった。〔…〕ハートウェル人脈とそれが残した文書類は、天文趣味がビクトリア時代のイギリス知識階級にどれほど浸通していたか、そしてそれが巨大なカントリーハウスを舞台に、友人も交えてどのように楽しまれたか、それを遺憾なく教えてくれるのである。」 (同 p.91)

(スミス提督の著書、The Cycle of Celestial Objects Continued at the Hertwell Observatory to 1859 (1860, London) に描かれたハートウェル天文台)

まあ、良き時代だったと思います。
そして、国も、時代も、社会的環境もまったく違いますが(巨大なカントリーハウスでの生活などは想像もできません)、それでもこういう精神生活を、個人的にとてもうらやましく思いますし、「珍品のつまったキャビネット」に敏感に反応する自分がいます。

趣味としての天文、アマチュア天文家の立ち位置として、こういうスタイルが再び大いに称揚されてもいいのではありますまいか? (いや、そういう人は今もいるはずですが、あまり表に出てこないので、気付かれないのでしょう。)

(こういう羨むべき類例をさらに挙げつつ、この項つづく)