ゆったりとした天文趣味の話(3)…ウォード夫人・後編2012年01月06日 20時59分34秒

メアリー・ウォードの『望遠鏡 The Telescope』(旧題・『望遠鏡指南 Telescope Teachings』)も、『顕微鏡』と同様に、自らの愛機(※)を使って、自分自身の目で観察したことを、美しいスケッチとともに紹介した好著です。

(※)口径5センチの屈折望遠鏡。それを勧めたのが、あの世界一の大口径マニア、ロス伯爵だったのは興味深い。

1859年に初版が出る直前、1858年に大空を翔けた巨大なドナチ彗星の水彩画は、天文学と美術のみごとな融合です。
実はウォード夫人のこの本と、ドナチ彗星の絵は、ずいぶん前にも記事で取り上げていて、まったく同じようなことを書いているのですが、その後、Brück博士の前掲書『Women in Early British and Irish Astronomy(初期の英国・アイルランド天文学における女性たち)』を読み、博士もウォード夫人のオリジナリティという点に注目されているのを知り、大いに意を強くした次第です。

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ここで少し話がそれますが、上で触れたドナチ彗星の絵。
2006年に↑の記事を書いたときは、1876年の第4版を元に紹介したのですが、その後1859年に出た初版を手に入れて比べてみたら、挿絵の細部がかなり違っていることに気付きました。

↓は左が第4版、右が初版です。


彗星の尾の表現がずいぶん違います。何せ彗星登場から20年近く経っていたので、人々の記憶も薄れていたか、あるいは拡大誇張の方向に記憶が変形していたのでしょう。ウォード夫人が第4版の図を目にしたら、即座に修正を指示したかもしれませんが、このとき彼女はすでに故人となっていました。ともあれ、本を買う時は、版の違いにも注意を払うべきだということを改めて感じました。

(初版の図の尾の部分を拡大。濃淡表現が繊細かつリアルです。)

(彼女の天文家としての力量を示す、ドナチ彗星の連続スケッチ。この図は後の版にはなくて、初版のみに収められています。)

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さて、話をもとに戻してさらに続けます。
あるいは日食、あるいは流星群…彼女がペンや絵筆で記録した天文現象は、いずれも魅力的であり、価値あるものでした。

「あらゆる点で、彼女の魅力的かつ教育的な著作は、彼女が憶測や理論化を排し、己の目で見たものだけを平易な言葉と絵で記載するという、博物学者たることの証しに他ならない。〔…〕こうした理由から、メアリー・ウォードの『望遠鏡』は、小型望遠鏡ユーザーの入門書として、まさに不滅の存在である。同時代におけるその価値は、平明な文章とすばらしい挿絵を組み合わせて、一般の人々の天文学に対する興味を大いに掻き立てたことだった。〔…〕

もし、彼女がもっと長命だったら、さらに観測を続けて、天文学の啓発家であるにとどまらず、きっとユニークな研究者としての地位を確立したことだろう。だが、現実はそうはならなかった。〔しし座流星群の観測記録を公にした〕わずか2年後の1869年に、彼女はまだ42歳の若さで亡くなったのである。
」 (Brück前掲書、p.97)

惜しみても余りある死。

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彼女は大自然の驚異に対して、常に開かれた存在でした。その行動の背後には、神の被造物の精妙さや美しさを眺め、神の栄光をたたえたいという、強い動機づけがあったようです。その点で、私とまったく立場は違いますが、しかしここで「神の栄光」を「名状しがたい不可思議さ」や「奇態なカッコよさ」に置き換えれば、存外その距離は近いともいえます。

もちろん、私は精緻な観測をこらすわけでもなく、単純にこんなモノを買った、あんなモノを見つけたという、オメデタイ話ばかりしているので、ウォード夫人と我が身を比べるのは最初から無理ですが、しかし彼女の精神のありようは大いに学びたいと思っています。そして、天文学と博物学を並行実践した、その力強い知力に深い憧れを覚えます。