ゆったりとした天文趣味の話(7)…ハギンス夫妻・後編2012年01月17日 06時06分42秒

ハギンス夫妻のライフスタイルを眺めてみます。

下の写真はハギンス夫人、マーガレットの肖像。すでに人生の円熟期に入った頃だと思いますが、書斎の蔵書をバックに、涼やかな目元が印象的な、とてもチャーミングな女性です。

(Margaret Huggins 1848-1916, Brück 前掲書より)

皆さんはこの写真を見て、どんな印象を持たれるでしょうか。
私はパッと見て、「白魔女」を連想しました。

「マーガレットその人は、とても面白くかつ愉快な人柄だった。彼女は強烈な個性の持ち主で、快活で断固としたところがあった。観測の邪魔にならぬよう、髪をショートにし、自分でデザインしたラファエル前派風の服をまとい、自分が描いた水彩画や木版画を家中に飾った。

彼女がアンティークの家具や美術品の購入・修繕をすれば、ウィリアムの方は古い天文機器の蒐集に励んだ。マーガレットは、「Nil nisi Caelesti Radio.(天空の光によらざれば何物もなし)」と刻まれた日時計が置かれた庭をせっせと手入れし、またピアノやオルガンを据え付けて、夫を口説いて、彼が若いころたしなんだヴァイオリンを再び手に取るように仕向けた。ふたりはいっしょに演奏し、友人や学者仲間とともに自宅で音楽の夕べを催した。
 (Brück 前掲書、p.169)

これだけ読むと、なんだかわがまま娘のようにも見えますが、マーガレットは別に享楽にうつつを抜かしていたわけではなく、夫のよき理解者・協力者として活躍し、この二人は「天文学の歴史において、最も成功したカップル」とも呼ばれます。そして、母親を失って長いこと気鬱に陥っていたウィリアムは、マーガレットとの結婚によって、大いに心が救われたのでした。

「有名なアメリカの望遠鏡製作者、ジョン・ブラッシャーは、茶事と天文台見学のためにタルスヒルを訪問した際、ハギンスが先着の別の天文関係者のことを、『天文学のことではなく、ヴァイオリンのことを話すために』やってきたと説明したことを書き留めている。

またハギンス夫妻が新婚まもない頃、妻とともに訪問したピアッジ・スミスは、この天文台付き住宅について、次のように書き残している。

『小さな家屋、狭い前庭と背後の広い庭。どの部屋も小さく、階段は低く狭いけれども、その全てが中世の調度に関する、途方もなく誇張された観念で満ちあふれていた。彗星を仰ぎ見るバイユー・タペストリーに登場する人物の群れを再現した、ドアの彩色ガラス。明るいプロミネンスを伴った太陽と固有のスペクトルを持った星雲たち。シダとシュロの温室は、狭いけれども実に見事だった』。

ステンドグラスのドアパネルは、おそらくマーガレットの示唆によって、ふたりが結婚後に嵌め込まれたものである。そのうち、ウィリアムの研究対象(太陽、彗星、スペクトル)を描いた1枚は、ウィリアム自身がデザインしたものだ。また2枚目は、バイユー・タペストリーの写しで、1066年の彗星(過去に出現したハレー彗星)を見上げるハロルド王を含む一群の人々が描かれている。3枚目にあたるステンドグラスの窓は、『天路歴程』から取った「キリスト者を称える輝けるもの」を描いており、ふたりの銀婚式を祝って1900年に付け加わった。

(参考画像: バイユー・タペストリーに描かれたハレー彗星。
出典:http://www.astronomynotes.com/solfluf/s7.htm

天文台のドームへの通路は、家屋の中を通じていた。床にはカーペットが敷かれ、誘導コイル、分光器、その他の実験器具を備えた実験スペースがあった。住居と研究の場の間には、何の境界もなかった。犬たちでさえも、この天文天国の一部だった。大きな黄色のマスティフ犬はケプラーと名付けられ、ウィリアムは彼が足し算をできると主張した。もう1頭の黒い小型のテリアは、ティコという名だった。〔…〕

物質的なレベルに関していえば、この夫婦の嗜好は簡素であり、ほとんどスパルタ的とさえいえた。ウィリアム自身はもっぱら菜食で、薄い紅茶かミルクコーヒーよりも強いものは飲まなかった。それは彼自身が選んだ生活スタイルだった。マーガレットは自分たちの生活がシンプルなのは、『主に私たちの社会的地位が貧しいから、そう、とても貧しいからなのです』と、好んで主張したが、もちろんこれは誇張である。」
 (Brück 前掲書、pp.169-170.)

お大尽のピアッジ・スミスは、ハギンス宅を評して「小さい、狭い」を連発していますが、ハギンス夫妻の生活はいわゆるアッパー・ミドルクラスのそれですから、確かにあふれるほどの富とは無縁だったでしょう。しかし、だからこそ、その住居は程良いスケールを持ち、自分たちの趣味を十二分に反映させることができたのだと思います。

ハギンス夫妻の場合、「ゆったりとした天文趣味」の「ゆったり感」は、博物趣味ではなく、主に芸術愛好癖や中世趣味に発しています。これもまた私の共感を大いに誘うところで、そこから更に、あるアメリカの奇怪な天文愛好家を連想するのですが、そのことはまた後日記事にしたいと思います。

いにしえの「驚異の部屋」には、珍奇な人工物や歴史的遺物も必須でしたから、その意味では、ここも立派な驚異の部屋。そこで営まれたなんとも心憎い生活!

残念なことに、現在のタルスヒルには、もはやハギンス旧居は残っていないそうです。
できることなら時をさかのぼり、ハギンス夫妻を訪ねて、その生活の様をつぶさに見てみたかったです。