天文古書と星ごころ2012年03月04日 17時55分16秒

ブックデザインにも、英米、仏、独とお国ぶりがありますが、天文古書に関しては、どうもドイツの本に良書が多い気がします(ここでは、19世紀半ばから20世紀初頭の本をイメージしています)。


■Wilhelm Meyer
 Kometen und Meteore 『彗星と流星』(第7版)
 Franckh’sche Verlagshandung (Stuttgart), 1906, 104p.

上のような、他愛ないペーパーバックでも、その挿絵と文字の配列が何となく心憎い感じがします。

熱帯の空にすっと尾を曳く巨大な彗星。

中身は地味なモノクロページが続くので、それほど見所はありません。

   ★

反対に、いちばんよろしくないのがフランスです。
そもそもフランスは版元装丁の習慣がない(皆無ではない)ので、買った人が好みの装丁を施すわけですが、結局は豪華なモロッコ革でくるんであればそれで良しとする気風があるらしく、贅を尽くした革工芸としての価値は認めるにしても、そこにどれだけ「星ごころ」が盛り込めているかというと、甚だ心もとない気がします。

装丁のみならず、フランスの天文書にはどうも「星ごころ」が乏しい。
フランス語が読めないのに、偉そうなことを言うのも滑稽ですが、それにしても、フランスの人が歴史的事件や人間臭いエピソードを好む傾向は、天文書の挿絵からも容易に感じ取れるものです。

フランス最大の天文啓蒙家、カミーユ・フラマリオンの著作を見ても、「天文学史」や「天文学者」、あるいは「星座神話」をめぐる記述が妙に目立ち、これはもうハッキリ国民性と言ってもいいのではないでしょうか。

   ★

森閑とした無限の世界への夢。あるいは宇宙的郷愁
私がいう「星ごころ」とはそういうものです。賢治や足穂的リリシズムと親和的な、かつ明瞭に超越的(transcendent)な色彩を帯びたものです。

それにいちばん馴染むのが、ドイツの天文古書であるという事実は、たぶんドイツ精神の巨大な水脈である神秘主義思想と関係があるのではないか…というのは、今記事を書きながら思いついたことですが、けっこう正しい気がします。(←話半分に聞いてください。)