震えつつふりさけ見るや天の原…貧窮スターゲイザー伝(1) ― 2012年03月25日 21時17分55秒
今日も文学チックな話題から入ります。
『1984』で有名な作家、ジョージ・オーウェル(1903-1950)の若いころの作品に、『パリ・ロンドン放浪記』(1933)というルポルタージュものがあります。パリやロンドンの底辺社会を放浪しながら、自ら体験したことをまとめたもの(…と言っても、私は読んでいないので、これはネットで聞きかじったことの受け売りです)。
その中に、オーウェルが当時親しく付き合っていた「ボゾ」というあだ名の大道絵師が登場します。このボゾに関するエピソードを、私はA.チャップマン氏の『ビクトリア時代のアマチュア天文家』で読み、とても深い感銘を受けました。
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ボゾはビクトリア時代も終わりに近い頃の生まれだが、彼はイートン校で教育を受けたオーウェルよりも天文学に詳しかった。何せ、その流星観測を是認する王室天文官からの手紙を2通も受け取っていたのだから。
テムズ河畔の凍てついたベンチで眠ろうとして、川向こうに惑星が輝いているのを見ると、彼はときどき火星や木星にも極貧の人間が住んでいるのだろうかと、じっと考え込んだ。
オーウェルはボゾのことを街頭の天文学教師とは決して呼ばなかったが、明らかにボゾは自分の知識を出し惜しみしなかったし、機会あるごとに大道絵の客に長広舌を振るおうとした。オーウェルは実際、極貧のボゾが大切に楽しんでいた強烈な知的生活にすっかり眩惑されていた。そして、芸術と天文学に関する彼の主張には、本章で述べた労働者階級の天文家たち全員がただちに共鳴したことだろう。つまり、たとえひどく貧乏だからといって「腑抜けた臆病者になるには及ばないよ。要は、それに捕われなけりゃいいのさ」。 (邦訳180-181頁/引用にあたり適宜改行)
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極貧生活の中でも、星を見上げ、豊かな内面生活を送ることはできる―。
そうした実例を知るにつけ、天文趣味というものは、まさに人間だけに与えられた喜びであり、福音であり、そして何だか只ならぬものだと思えてきます。
(オーウェルとボゾが出会ったころの大ニュース、冥王星の発見。戦前の東亜天文協会の絵葉書より)
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さて、ボゾの逸話は実は前ふりで、日本にも当時ボゾのような人がいた…ということを書きたいのですが、今ちょっと書くのに難渋しているので、もう少し時間がかかります。
(この項つづく)
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