貧窮スターゲイザー、草場修(1)2012年04月09日 20時12分25秒

さて、1930年代の日本に、極貧のスターゲイザーがいたらしいという話題。
極貧の中で星空を眺めた人…というと、一時期の足穂氏もそうですが、ここで取り上げるのは、また別の人です。その名は、草場修(くさばおさむ)。

草場氏の名は、実は以前、下の記事にチラッと出てきました。

ジョバンニが見た世界…天文掛図の話(その4)(その5)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/22/3536517
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/23/3536640

これは、草場氏が原図を描き、神田茂博士が校訂した『新撰全天恒星図』(恒星社厚生閣)の紹介記事です(よく見たら、元記事では草場氏の姓を「草葉」と間違えていたので、訂正しておきました。また、初版出版年を「×昭和12年→○昭和21年」に訂正します)。
 
(『新撰全天恒星図』外袋)

そのときは、私自身、草場氏のことを何も知らずにいたのですが、最近、以下の記事に行き当たり、それを読んで仰天しました。それが今回の記事を書くきっかけともなったのです。(草場氏も故人と思われるので、以下敬称を略させていただきます。)

隕石亭夜這星:星を観ること
 http://www9.ocn.ne.jp/~tunguska/25.html

この記事によれば、草場はまったくのルンペンであり、橋の下や、土管の中から夜毎星を眺めながら星図を描いた…とあります。それがやがて東亜天文協会(現在の東亜天文学会)の創設者・山本一清の目にとまり、改めてその指導を受けた末に、彼の星図は公刊されることになったのだという話(※)。

事実とすれば、ものすごい話です。しかし、にわかには信じがたい気がしました。

私が真っ先に疑問に思ったのは、星図を作るには、まず星表を作らねばならないはずで、そこのところは一体どうしたのだろうか?ということです。つまり、星図というのは、上質の機材で厳密に星の位置を測定し、しかる後にそのデータを図面に落とすわけですから、土管の中からいくら熱心に星空を見上げたとて、それだけで星図を作れるはずがありません。これはひょっとしてガセネタでは?という疑念を捨てることができませんでした。

「ここはとにかくソースに当たることだ」と思い、ぶしつけながら、筆者の上村敏夫氏に直接教えを乞うことにしました。

(この項つづく。全6回で完結予定)


(※)「草場星図」の書誌情報について、以下のページにまとめました。
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/04/21/6420955
 なお、神田茂校閲の『新撰全天恒星図』には、刊年記載がありませんが、国会図書館の目録では1946年発行となっています。また改めて星図をよくみたら、1946年の新星(かんむり座T)が記載されているので、やはりこれは国会図書館のデータが正しいのでしょう。

【4月12日付記】 草場星図の書誌を修正しました。
【4月21日付記】 草場星図の書誌を全面修正し、上記ページに掲載しました。