ジョバンニがみた世界(番外編)…賢治の星座早見異聞(2)2012年04月18日 20時42分36秒

最近目にしてちょっと驚いたのは以下のページです(青森県弘前市にある「ロマントピアそうま天文台」さんのサイトです)。

弘前こども天文クラブ:北斗七星と北の星座
 http://blogs.yahoo.co.jp/astronomicalobservatorysoma/1921325.html

そこにやはり同じ三省堂版の古い星座早見が紹介されているのですが、なんとこれが「赤版」なのです。つまり、デザインは昨日のものと共通で、装丁用クロスの色だけが赤を使っているという、何とも目に鮮やかな品です。大正12年(1923)発行のものだとか。

こういう異版が存在することを知って、改めて昨日のページを見直すと、藤井旭さんが紹介されていた品、あれは青色が退色してああなったのではなく(私は最初そう思っていました)、元から灰色のクロスを使っていたのではないかと思えてきます。

で、こうして「青版」、「赤版」、「グレー版」が存在するのであれば(最後のはちょっと自信がありませんが)、「黒版」が存在してもおかしくはありません。賢治が書き、ジョバンニが見た「円い黒い星座早見」というのは、実は星図部分が黒いだけではなく、それを覆うカバーも黒い、本当にまっ黒くろの早見盤だったのではないか…というのが、最近ふと思ったことです。そして、銀河鉄道の旅の途中で(=すなわちジョバンニの夢の中で)登場する「黒曜石でできた銀河の地図」のイメージ源が、時計屋の店先で見た星座早見盤であるならば、黒ずくめの品のほうが、いっそうふさわしいように思います。

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実は「黒版」の存在は、まったく根も葉もない話ではありません。
いや、現実にそれは存在します。しかし、そこにはある保留がつきます。

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先日、草場修氏の件でお世話になった「いるか書房」の上門卓弘氏のブログで、次のような記事を拝見しました。

いるか書房別館:星座早見 上製 平山信監修 昭和14年
 http://irukaboshi.exblog.jp/14084551/

ここで紹介されている星座早見も三省堂の「青版」ですが、記事の中でさらに注目すべきは、「子供の科学」誌に載った広告への言及です。
そこには、これまで取り上げた各バージョンのいずれとも異なるデザインの品が載っており、氏は「上製と並製の違いか…?」と推測されています。

私もさっそく古雑誌をひっくり返して、問題の広告を見つけ出しました。

(↑科学知識普及会発行の科学雑誌、「科学知識」=昭和12年9月号=より)

早見盤の絵を拡大すると、たしかに「普及版」と書かれています。上門氏の推測通り、上製(クロス装)と並製(紙装)とで、デザインを変えていたのでしょう。戦前の三省堂版の星座早見は、なかなかバリエーションに富んでいたことが、いよいよはっきりしました。


そして、肝心の「黒版」についてですが、実はこの普及版には黒版が存在するのです。
というよりも、私が唯一見つけた普及版が黒版で、それ以外のカラーバリエーションはまだ見たことがないのですが、しかし上の広告の絵柄が真を表しているならば、上製同様、並製についても、薄い地色のカバーが標準で、黒版はあくまでも異版なのでしょう。

(↑昭和14年発行、普及版第63版)

この黒い普及版を最初見たときは、本当にドキンとしました。
そして、「賢治が見たのはこれだよ!これに違いない!!」と一途に思いましたが、よくよく見たら、この普及版は昭和4年(1929)が初版なので(↓)、賢治が少年~青年時代に見たものではあり得ませんし、『銀河鉄道の夜』の執筆が始まった大正13年(1924)にも、まだこの世になかったので、モデルとしての適格性には疑問符が付きます。上で述べた「ある保留」とはこのことです。


しかし、ここで以下の2つの可能性を考えれば、賢治が『銀河鉄道の夜』を書いた際、念頭に置いたのは「黒版」であったこともなくはない。

(ケース1) 上製の早見盤にも、実は早くから「黒版」が存在した。
(ケース2) 賢治が若いころ見たのは「黒版」ではなかったが、その後、『銀河鉄道の夜』を執筆する過程で、改めて「黒版」の存在を知った。

『銀河鉄道の夜』は、大正13年に執筆が始まり、最晩年の昭和8年(1933)まで改稿が続けられ、問題の「円い黒い星座早見」が登場するのは、比較的遅くに成立した第3次稿からです。第3次稿成立の絶対年代は今のところ不明ですが、賢治がその頃までに「黒版」を目にしたことも、物理的には有り得ます。

最後の方は、ちょっと自信がないので、もって回った言い方になりましたが、現時点では、とりあえずその可能性だけ指摘しておきたいと思います。