草場星図アゲイン2012年04月19日 21時28分19秒

天網恢恢疎にして漏らさず。
本日、霜ヒゲさんから、例の草場修氏とその星図について、貴重な情報をコメント欄でお寄せいただきました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/04/14/6411179#c6419130)。

それは、山本一清(編)『図説天文講座1 天球と星座』(恒星社厚生閣)に、草場星図に関する重要な事実と、草場星図の現物が載っているというご指摘です。私の手元にあるのは、霜ヒゲさんのものより一寸後に出た、昭和12年12月12日発行のものですが、内容的には霜ヒゲさんが言及された版と同じもののようです。

(『天球と星座』 表紙)

うーむ…編者と出版のタイミングを考えれば、これはもっと早くにピンとくるべきでしたが、大迂闊でした。頭を叩きながら、関連部分を引用します(以下敬称略)。

上掲書の中で、村上忠敬が分担執筆した「星座の歴史と境界線」の章に、当時の星表・星図についての解説があるのですが、「容易に入手出来る肉眼星図」という節にはこうあります。

 「尚ほ花山天文台で草場修氏が山本博士監督の下に昨年完成した大型星図がある。約三万二千の恒星と東洋西洋の学名星名等を入れ、各種の色彩を用ゐ、世界一美麗な星図である。近いうちに出版される筈である。
 草場氏は今又ボン星図の改正版を画いてゐる。星数約百万、五ヶ年事業である。一部は出版中。
(p.148)

なんと!!!!!

昭和9年(1934)に世間をアッと言わせた草場のオリジナル星図は、コストの壁に阻まれて世に出なかったのかと思いきや、さにあらず。実際には、山本一清の監修を経て、近々(というのは、遅くとも昭和13年中のことでしょう)出版を待っていたというのです。
しかも、草場・山本コンビは、さらに星数約100万という詳密星図の刊行をもくろみ、5ヶ年事業に営々と取り組んでいたという、驚愕の事実。

これらの偉業も、すべては山本一清の失脚によって消し飛んだのでしょうが、これぞ日本星図史における最大の痛恨事と言わずして、何と言いましょう。(まあ、失脚の件がなくとも、戦争の激化と敗戦によって、事業の完遂はおぼつかなかったでしょうが…)

さらに続けて「掛図式の星図」という節には、こうあります。

 「次には我国で普通に使用されてゐる一枚刷即ち掛図式の星図には、日本天文学会編の新撰恒星図、東亜天文協会発行の古賀恒星図、同草場恒星図(一九三六年版、海軍水路部編の星図などがある。草場氏のは六等まで、他は皆五等星迄である。もっと簡単なものとしては東亜天文協会編の新版簡易星図である。(pp.148-9)

そして、上掲書には巻末付録として、この「新版簡易星図」が貼付されています。





以上の記述から、一連の草場星図の書誌が一層はっきりしたような気がするのですが、これは「気がする」だけで、まだ頭の中がちょっとごちゃごちゃしています。もう一度気持ちを落ち着けて、再度情報を整理の上、一覧の形で提示したいと思います。