前原寅吉、北の地で怪気炎を上げる(前編)2012年05月07日 22時21分35秒

最後の最後に大変な災厄を残して、今年の連休も終わりました。
ふと、今年もすでに3分の1以上が経過したのか…と気付き、愕然とします。

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以前、明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(1)~(9)」という長文の記事を書きました。

(↑青年期の前原寅吉と大理石製の太陽模型。この模型は、後に日本天文学会会長の寺尾寿に贈られた旨が、『前原寅吉天文論文集』の序文にあります。)

前原寅吉翁(1872-1950)は、八戸で時計店を営む傍ら天文趣味にのめりこんだ、明治時代にあっては稀有な存在で、上の記事はその実像をラフスケッチしたものです。

上の記事を書いた時は、ほとんど一次資料がなかったので、十分翁の実態に迫れませんでした。しかし、昭和7年(1932)に出た『前原寅吉 天文論文集 及身辺雑集』という小冊子のコピーを最近手に入れ、翁のことが少し詳しく分かったので、そのことを書こうと思います。(この冊子は国会図書館に所蔵されており、誰でもコピーを請求することができます。)

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これが表紙。「宇宙互愛研究所」という編者の名前からして、ちょっと微妙な雰囲気が漂います。

(マイクロからの複写なので一寸ピントが甘めです。)

奥付を見ると、「天文山 前原寅吉」の前に、「太陽観望眼鏡発明者、星座時計発明者、太陽光線療法器発明者、日本天文学会特別会員」という長々とした肩書きが付いています。

また冊子の巻末には、「来往文書集」と題して、いろいろな書状類が集められており、その内容は、「赤門出の秀才医学士大村光造先生〔…〕よりの書状」とか、「東洋皇漢医学の大家N氏よりの書翰」とか、はたまた「ユダヤ時代研究の一人者たるS氏よりの書翰」といった、必ずしも天文学とは関係ない人々による、寅吉翁を賛美する内容が続きます。極めつけは、「青森県庁 熊谷社会主事談」による「世界的の天文学者 前原寅吉氏」という一文。

どうも寅吉翁は、謙譲よりも自己賛美を旨とする性格だったように見受けられます。
こう言っては何ですが、こうした特徴は現代で言うところの「トンデモ系」の人を彷彿とさせます。

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肝心の「天文論文」の中身を見てみます。
まず「第一説、音声の昼夜によりて異なる理由」というのがあります。短文なので、その全文を引用させていただきます。(以下、〔 〕内は引用者)

 「音声の速度は物理学上にては一秒時間に三町三間〔=約333メートル〕は定説にして、昼間と夜間とに依り速度の異なる理も亦世人の認むる所なり。而して其の理由に就ては夜間の昼間に比し静粛なるに依るとは古来よりの定説なり。右は多少の差違あるべしと雖も余の愚考する所是太陽の光線の関係するにあらざるか。即ち夜間は昼間の三倍の速さの波動にして、電気の波動も亦同じ。諸動物の血液循環の異なる理も亦医学上に於て認むる所也而して太陽の水線下九十度なる時、即夜の十二時より二時頃までは音声の伝波力最も速し。又日蝕の皆既には夜間と異ならず。満月に於ても光線虚弱なれば音声の波動に及ぼす影響は暗夜の時と格別の違なきを認めたり。故に音声の波動の昼夜により異なる理は、太陽光線の高低の有無によるものと信ず。」

どうでしょうか。正直に言うと、私には最初から最後まで翁の言っている意味がまったく理解できません。私に理解できないから「トンデモ」だと言うのは不遜ですけれど、なんとなくそういう「匂い」を感じます。

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第三説、地球は果して楕円形なるか」というのも興味深い内容です。
地球の形は楕円形(回転楕円体)であるというのが通説ですが、「小生浅学を顧みず茲〔ここ〕に一二の実験を以てせる結果を挙げ、以て地球の楕円形にあらざるべきを論」じようというのです。通説への大胆な挑戦です。

翁は実験の前に、天文学上の「事実」を指摘します。
「太陽を始めとし〔…〕木星及び〔…〕火星も亦〔…〕月等も総べて楕円形なるを認めず」。
一瞬、「え?『楕円形なるを認む』の間違いでは?」と思いましたが、翁はこれらの天体は楕円形ではない、なんとなれば、「太陽、月、木星、火星、を撮影し之を計り見るに、少しも径に長短あることなし」。つまり、写真に撮ったものを物差しで測っても、長径・短径の区別がないから、これらは完全な球体なのだ…と、自信を持って主張します。

で、翁が言うところの「実験」とは何か。
まず直径3尺(=約90cm)の球と、それとほぼ同じ大きさで、南北の径が東西の径よりも4分(=約1.2cm)だけ短い、ひしゃげた「球」を作ります。これを500尺(=150メートル余)の距離に置き、肉眼や望遠鏡で観察したり、望遠撮影したりしてみます。すると肉眼で見ると両方同じに見えますが、写真上で計測すると、「明かに一つの球には径の長短なく、即円形にして一つの球には径の長短なく、即円形なるを認むべし」。
もちろん、これは誤植で、後半は「…一つの球には径の長短ありて、即楕円形なるを認むべし」の間違いでしょう(でなければ文意が不明です)。

要するに、翁は、「実際に、通説が述べる地球と同比率のひしゃげた球体を作って、それを写真に撮ると、写真上でそれが楕円であることは、はっきり計測できる。しかるに太陽等の諸天体の写真を計測しても、それらが楕円であるとは認められない。すなわち、太陽等は楕円ではなく真円であり、そこから翻って地球だけが楕円である道理がない」と言うわけです。

ちょっと論の展開が独特だという気がします。
それに、もちろん正しく写真を計測すれば、これらの天体が扁平であることは明らかなはずで、上の主張は、翁の天文学に関する基礎的理解の程度を示すものと言わざるを得ません。

(後編につづく)