前原寅吉、北の地で怪気炎を上げる(後編)2012年05月08日 22時07分25秒

(↑寅吉翁の号「天文山」を刻んだ印章。『前原寅吉天文論文集』のコピーよりスキャンして加工)

寅吉翁は、凶作克服のために天文学の知識を応用しようという、宮沢賢治ばりの志を持っていたと言われます。このことが、翁を偉人視する大きな理由でもあるようです。
しかし、これまでのことから予想されるように、その所説はかなり怪しげです。

第五説、天候は果して人為に依りて左右せらるゝか」の中で、翁は「人為を以て天候を随意に左右し得らるゝか、否か」、「換言すれば人為を以て、晴天続きに降雨を促し、又は霖雨を霽〔は〕らして晴天となす至極便利なる方法を講ぜん」ことを試みています。

その至極便利なる方法とは、焚火をたくことです。
いわゆる伝統的な日和乞いの習俗ですが、「是等は全く迷信的の遣り方の如しと雖も、其の理由を説明するに於ては全然科学的の方法にして、大に取るべき点あり」と翁は力説します。その理由はまことにシンプルで、「夫れ地上に篝火を焚くや附近の空気は温暖となりて上昇すると同時に、地の寒冷なる空気は其隙間に乗じて入り代り、空気に変動を来すの結果、或は風を起すこともあるべく、或は雨を呼ぶこともある」からだ、と翁は言います。

焚火の上に上昇気流が生じるのは事実としても、果たして、それだけで気候を変えうるものか?

斯く云はば人或は笑ふて言はん。此広き地上に於て或一小局部に篝火したりとて何の功あらんやと。然れども、怪む勿れ、大事小事より起ることを。鍼灸の一局部に施して巧験全身に及ぶと同じ理なり
故に余は断じて云はんとす。晴天を促し、或は降雨を望む際には、風なき時ことに危険なき処へ、朝夕毎日三十分位に篝火をなし以て人為的に天候を動かし得べしと

何だか落語を聞くようです。翁の説が正しいとすると、天候が温和な時には、天候不順になる恐れがあるので、うっかり火を焚くこともできません。翁の誠を疑うわけではありませんが、これはやはり怪説と言わざるを得ないのではないでしょうか。

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翁の天文学応用はおどろくほど広範囲にわたります。
曰く「第八説、星学上より見たる地球の内外を論じ併せて其変化変動を論ず」、曰く「第十説、天文学上より人生の運命を論ず、宇宙学より見れば世に不思議なし」、曰く「第十一説、天文学上より世人無情とする原因を論じ、併せて記憶速成法を論ず」…

(↑寅吉翁が描いた太陽系の図。往時の絵葉書より)

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寅吉翁は、高等教育を受けぬまま成長し、制約の大きい中で精進を重ねた人です。
そうした老翁を、後世の知識で嗤うことは厳に慎まねばなりませんが、しかし、翁の「奇説・怪説」の類もきちんと取り上げなければ、やはり公正さを欠くと思います。

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敬愛すべき寅吉翁に対して、いささか皮肉めいた調子になるのも厭わず、あえてその負の面を書き綴ったのは、寅吉翁を過剰に神格化する動きが最近も続いているからです。

例えば、昨年10月、青森県企画政策部は、『見つけよう!伝えよう!あおもりの人財』マンガ誌(vol.1)というのを発行しました(http://www.pref.aomori.lg.jp/kensei/seisaku/jinzai_manga02.html)。

これは青森ゆかりの著名人を、県内の中高生が取材してマンガ化したもので、そこで寅吉翁は、子供たちに慕われ、世の蒙を啓き、ハレー彗星の太陽面通過の観測に世界でただ一人成功した人として、理想化して描かれています。

取材者である生徒さんの純真は疑うべくもなく、またその取材の不備を責める気も毛頭ありません。何せ、世間にはそういうミスリードの情報があふれているのですから。

問題とすべきは、発行者・青森県の見識です。この事業は、「中高生の自主的取材とその成果を、県として応援しているだけ」なのかもしれませんが、しかし、発行者として青森県に最終的な責任があることは言うまでもありません。

繰り返しますが、寅吉翁については、上記のような、あきらかに「奇説」と言うほかない主張も含めて、もっときちんとその事績を紹介すべきです。現代の言い方では、寅吉翁は「トンデモ」系の要素が多分にある人なので、それを「天文学の大偉人」のように持ち上げるのは問題が大きいと考えます。そうした説が破たんするのは明らかなので、これは教育的にも、むしろよろしくないと思います。

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(日本天文学会発行の絵葉書。1910年)

さて、問題のハレー彗星の一件。
これは寅吉翁を語る上で、もっとも華やかなエピソードで、ウィキペディアも、1910年のハレー彗星の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%BD%97%E6%98%9F#1910.E5.B9.B4)で麗々しく記述していますが、その出典がはっきりしないことを以前↓書きました。

■「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(7)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613143

しかし、この小冊子でそれがはっきりしたので、そのことを記しておきます。
結論から言うと、出典は「満州日日新聞」の明治43年(1910)5月下旬(日付未詳)の記事なのですが、文章自体は新聞記者ではなく、寅吉翁自身の手になるものでした。つまり、翁の投稿に基づく記事です。当然他紙にも書き送ったと思いますが、結果的に採用されたのが、外地の満州日日新聞だけだったのでしょう。同紙がこの投稿に敏感に反応した理由は、以前↓の記事で推測まじりに書きました。

■「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(6)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/12/28/5613140

翁の『天文論文集』に再録された該当記事は以下の通りです。


注意を要するのは、寅吉翁がハレー彗星の観測に成功したのは、「太陽面直接観望用眼鏡」と称する独自の装置を使ったからだという説がありますが(連載(4)(8)を参照)、上の記事を読むと、「右三鏡〔=翁が所持した3種類の望遠鏡〕にて直接望見せんが為黒色硝子を製し観測せしに」とあるだけで、普通にサングラスを使って観望しただけのように読めることです。

当時、他の観測者もサングラス越しに彗星と太陽面を観測していたわけですが、色の変化(彗星が太陽面を通過する時、太陽が青く変じたと言います)を察知し得たのは、寅吉翁だけだったという事実。これは寅吉翁にとって「見る」という行為がどんなものであったかを示すエピソードです。

どうも寅吉翁には、容易に何かを「見て」しまう癖があったようです。
翁の天文論文の第十二説、「太陽のプロミネンスを容易に見る法なきか」には、プロミネンスを簡単に見る方法が説明されています。それは、たらいに水を入れて、そこに太陽を反射させて、白い幕か紙に投映するというもので、そうすると、「例へば間欠温泉の噴出するやうに或は火山の噴火するやうに、又海上ならば竜巻を見るやうに、陸上ならば旋風を見るやうに、或はポンプで空中に水をまくやうに昇るのが写るのです」。もちろん、これは水面の揺らぎや立ち昇る水蒸気によるものに違いありませんが、翁もその可能性を一応認めつつも、3分~5分毎に爆発的に映じる像は、やはりプロミネンスだろうと、自説に強くこだわっています。

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翁は、たしかに常識にとらわれず、ユニークな発見を追求した人です。
ハレー彗星の青い光にしても、水鏡によって捉えたプロミネンスにしても、そのユニークさを証するエピソードだとは思います。ただ、奇想の人であるだけに、その所説の解釈には十分な慎重さが求められると思います。

私が寅吉翁を評価するのは、何も翁が天文学の天才だからとか、学問的に価値のある業績を上げたから…というわけではありません。
そうではなしに、天文趣味がまったく普及していなかった明治時代の日本で ― しかも八戸という、中央から遠く離れた土地で ― 星への強烈な憧れを抱きつづけ、その夢を一生かけて追った天文趣味の大先輩として、深いを敬意を表したいと思うからなのです。