豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(3) ― 2012年05月23日 06時07分37秒
ここでまず、落成間もないころの同校の様子を見ておきます。
昭和13年(1938)に、「青年学校教育研究会」というのが同校で開かれ、それを記念して作られた絵葉書セットが手元にあるので、真新しい校舎を見て回りましょう。
昭和13年(1938)に、「青年学校教育研究会」というのが同校で開かれ、それを記念して作られた絵葉書セットが手元にあるので、真新しい校舎を見て回りましょう。
↑ヴォーリズの設計になる白亜の学び舎。瀟洒という言葉が似合います。
右上の銅像は、古川鉄治郎(1878-1940)。豊郷出身の財界人で、丸紅の専務などを務めた人。豊郷小学校の建物がこれほど立派なわけは、彼の莫大な寄付があったためだそうです。
上に掲げた絵葉書のうち、上の画像は、校門から校舎に至る道の左右に設けられた農場(学校園)。ここも理科教育の場として、大いに活用されました。
ここに写っているスペースだけでも、並の小学校のグランドぐらいありますが、本当の運動場は校舎を越えた、さらにその奥に広がっています(下の画像)。空間の取り方が実に贅沢です。
普通の講堂のようにも見えますが、考えてみれば体育館とは別にこうした講堂があるというのは、相当贅沢です。私の母校(旧校舎)も戦前に建てられた鉄筋校舎で、それなりに堂々としていましたが、講堂は体育館と兼用でした。
↑こちらが体育館(右図)。バレーやバスケのコートが作り付けになっているのは、戦前としてはずいぶんハイカラだったのでは。
なお、左の「手工動力室」は、理科教育空間の1つとして、後ほど話題にします。
(この項つづく。本来の理科室は次回登場します。)
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