豊郷小学校に見る、昭和の理科教育空間(5)2012年05月27日 22時34分13秒

(一昨日のつづき)

さて、昭和10年代から時代を下って、昭和30年代の豊郷小を見にいきます。
以下の図版や解説は、特に断りがない限り、すべて昭和39年(1964)に出た、近畿教育研究所連盟(編)『理科教育における施設・設備・自作教具・校外指導の手引』(以下、『手引』)に拠るものです。

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まずは下の写真をご覧いただきたいのですが、この先生たちの熱気はどうでしょう!
おそらくこのシーンは、時間外や休日に食い込んでいるはずですが、3人の先生はトンテンカンテン、飛び散る汗をものともせず、製作活動に余念がありません。


豊郷小に限らず、当時は自作教具の製作がさかんでした。
これについて、『手引』には、次のような説明があります。

「理科という教科の特質は「事物現象から直接学ぶ」にあるから〔…〕理科教育のあり方を正常ならしめるには、直接子どもの学習指導にあたる教師も、学校管理者も、また、教育行政者も、それぞれの立場から、理科学習の「物」の整備、充実を意図しなければならない。〔…〕この問題解決の一手段としての自作教具の製作に大きな意義と価値を認めざるを得ないであろう。」(p.122)

特に豊郷小の場合は、「手工動力室」という強力な援軍があったので、教具の製作には大いに力が入ったことでしょう。

(昭和13年の絵葉書から。既出)


(昭和39年現在の動力室の状況)

こうした豊かな人的・物的資源を背景に、自作教具は日々生み出され、それらは理科準備室の棚を徐々に占領していきました↓。


上で引用した一節からも分かるように、当時はモノにこだわることが、すなわち理科教育の王道とされた時代です。そして買うのでも、作るのでも、とにかく教材を充実させることが(たぶん)至上命題でしたから、いきおい理科室はヴンダーカンマー化することになったわけです。

教具や標本であふれかえった理科準備室に入ることを許された、当時の子供たちの心境やいかに?うやうやしく棚から教材を取り出す、下の少年たちの横顔と手つきに、一種の誇りと憧れを感じとるのは、私だけではありますまい。


もちろん、今では昔の先生が作ったお手製の教材など、すべて廃棄されているでしょうが、とにかくすばらしく力が入っていたことは確かで、そうした時代を素朴に懐かしく思います。

(この項つづく)