収集考…コレクションとアキュムレーション2012年06月24日 09時01分11秒


(出典:Caroline Cliftyon-Mogg, A Passion for Collecting. Bulfinch Press, 2002)

昨日のヒングレーさんもそうですが、司書という仕事にあこがれます。
何といっても古い本に埋もれて働けるのがいいところ。
「しかし、自分だけのライブラリーを作り上げれば、いつでも専属の司書になれるじゃないか!」と気づきました。もちろん無給ですが、その分働かなくても怒られないし、いつでも好きなだけ本が読めるのですから、プロの司書より恵まれているかもしれません。

   ★

前々回登場のジョン・シッソンさんも大学図書館司書で、自宅には独自のライブラリー(宇宙ものの児童書コレクション)があるので、公私ともに司書三昧の生活です。
先日のリンク先からは、さらにシッソンさんのインタビュー記事↓にリンクが張られており、そのコレクター談義が面白かったので、内容をかいつまんで紹介します。

ephemera:  Space Flight Children's Book Collector John Sisson

シッソンさんの収集のきっかけは、その生い立ちにあります。
シッソンさんは、パサデナのジェット推進研究所(JPL)の近くで育ち、1960年代半ばに小学校生活を送りました。クラスメートの父親には宇宙開発関係者も多く、最新の情報に接する機会がたっぷりあったことが、その興味の根幹を形作っています。
ケロッグのおまけシールや、当時人気があったドクター・スースの児童書シリーズを夢中で集めた子ども時代。その後、成長とともに薄れていった関心が、再び目覚めたのは1980年代のことで、1990年から本格的な児童書の収集を開始し、現在に至っているという話。

   ★

私が注目したのは、シッソンさんがアキュムレーション(集積)とコレクション(収集)をはっきり区別している点です。(以下、かなり適当訳)

インタビュアー: あなたはご自分の収集対象が何であるか、最初から意識して取り組み始めたのですか?それとも、ある日ふと、ご自分がなさっていることを自覚したとか?」
シッソン: そこには、アキュムレーションからコレクションへの明確な転換点がありました。最初、これらの本や資料は、失われた時に対する懐かしい喜びを与えてくれるものに過ぎなかったのですが、その量の多さ(少なくとも400冊以上)を知るにつれて、これらの本が出版された理由を知ろうと思い立ち、1950年代初頭にそのルーツを求めるようになったのです。〔…〕つまり、ある時点から、これらの本に対する私の愛情は、過去に存在したモノたちを記録・収集しようという情熱に置き換わったのです。」

集積と収集とでは、モノを購入するときの態度にも大きな違いがあります。

シッソン: アキュムレーションがコレクションへと変わるには、収集対象を絞らねばなりません。私の場合、宇宙飛行に関するものをすべて対象にするのではなくて、1945~75年というコアタイムに焦点を当てることにしました。さらにノンフィクションの作品に限るという選択も迫られました。トム・コルベットやバック・ロジャーズ、トム・スウィフトなどの宇宙小説は、コレクターも多いし、私は開拓済みの領域にはそれほど興味が持てませんでしたから。これで私の収集範囲は明確に定まり、たとえ良いモノであっても、守備範囲外のモノを容易に避けることができるわけです。」

私なりにまとめると、単に好きという感情で集めているうちは、それは単なるアキュムレーションに過ぎず、そこに知的要素(調査研究と組織立った収集方針)が加わって、はじめてコレクションになる、ということでしょう。

   ★

私の場合、組織だった収集方針は皆無ですし、その必要を感じたこともありません。
このブログの紹介文には、「モノにこだわって」とあるので、こう書くのは矛盾ですけれど、私はモノに対するこだわり(絶対これでなければ!というような)が少ないので、そういう意味では、永遠にコレクターにはなれず、アキュムレーターにとどまるのでしょう。

結局のところ、私がこだわっているのは、モノよりも空間だと思います。
前にも書いた気がしますが、私は本そのものよりも図書館の空気が好きだし、標本を手にするよりも、標本のある空間に身を置きたいという願望が一貫して強いです。物フェチではなくて、いわば「空間フェチ」ですね。あるいは、モノはモノでいいのだけれど、モノ自体よりも、その気配が大事といいますか。

たとえば古い星図帳を手に入れたいと思ったとします。
本当のコレクターであれば、「18世紀に出たユニークな星図帳で、少部数しか発行されなかった稀少な1冊」などを追い求めるはずで、そうでなければウソです。
しかし、私の場合は「古い星図帳がまとう空気」を味わえればいいので、19世紀に大量に出回り、古書価もぐっと安いもので事足ります。要は「それっぽいモノ」でありさえすれば満足するのです。コレクターからすると、甘々な態度です。

   ★

シッソンさんのインタビューから、さらに実際的なアドバイスと述懐をいくつか。

「私の目標は、上記の期間に出たすべての宇宙ものの児童書を調べる、あるいは所有することなので、次なる問題は予算です。1冊1冊はそう高くないといっても、やはりじっくり取り組まざるを得ませんでした。
 私はeBayに出品されている本の中で、関係のありそうなものはすべてプリントアウトしておきました。まあ、実際に購入しようと思ったのは、そのごく一部ですが。これで将来のコレクションの全体像と、そのための探求書リストが得られたわけです。それによって、優先度の高いユニークなアイテムに集中し、ありふれた品は後回しにすることができるようになりました。もちろん、収集を続けていれば、ありふれた本とそうでない本の区別や、価値ある本を見逃すこともしょっちゅうだということは分かってくるでしょう。」

「私は今、目標達成の難しさも味わっています。というのは、ありそうな本はほとんど見つけられたので、現在では英語以外で書かれた本にまで収集範囲を広げつつありますし、宇宙飛行が1960年代に学校でどう教えられていたかも調べているところだからです。コレクションとは、いったいいつ完成するものなんでしょうかね?」

これは永遠の問いでしょうね。
単なるアキュムレーターである私にも大いに共感できる部分です。
何かのカードシリーズのように、原理的にコンプリートがあり得る場合でも、実際には無数のカードバリエーションがあって、「より高次のコンプリート」がその先に控えていたりするので、結局どんな分野でも、コレクションが完成することは永遠にないのでしょう。まあ、人間のあらゆる営みがそうだとも言えますが。