星曼荼羅(その2)2012年07月28日 20時52分18秒

星曼荼羅について話の続きです。

(曼荼羅の中央に座す釈迦と、釈迦を守護する人面蛇身の竜王)              

星曼荼羅がどのような場面で使われたか、いわばその「機能」についてですが、これは密教の儀式である「北斗法」の際に、本尊として祀るのだと、諸書には書かれています(昨日の抱影の文章にも、そうありました)。

では、北斗法(北斗尊星王法、または北斗護摩とも)とは何ぞや?というのを、改めて中村元博士の 『仏教語大辞典』 から引いてみます。

北斗法   密教で北斗七星を本尊とし、息災または天変地妖を除くために修する密法。平安時代のころ、大原僧都長宴が、加陽院で修したのに始まり、以来、東密でも台密でもこれを行った。」

なんだか仰々しいですが、近世以降は庶民信仰のレベルで盛んに行われたらしいです。平たく言えば「開運厄除け」のための儀式であり、今でも、真言宗を中心に、節分の晩に星祭り(星供・ほしくを行う寺院がたくさんあって、信者でにぎわっているようです。いわゆる「星回り」を良くするためのご祈祷というわけでしょう(この辺の説明は、あるいは正確さを欠くかもしれません)。星曼荼羅は、その際、祈祷壇の正面に掲げられたものです。

(星供壇の荘厳形式。正面に曼荼羅を掲げ、幡を立て、銀銭を供える。岩原諦信著『星と真言密教』・東方出版より)

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末寺での需要がそれなりにあったので、星曼荼羅にも「量産型」が作られたと想像します。手元にある星曼荼羅がまさにそれで、近づいて眺めてみると、線は墨版で、その上から手彩色していることが分かります。

(絵師の北村桃渓については未詳)

金彩を施したり、それなりに細かい細工はしてありますが、基本的には「普及版」なのでしょう。素材も、中回しは織地ですが、それ以外は本紙・表装ともに紙です。時代的には江戸時代後期と見て、ほぼ間違いないでしょう。

(長くなりそうなので、ここで記事を割ります。この項つづく)