流れ星の句と歌 ― 2012年08月13日 10時40分42秒
昨日の流星はどうでしたか?
私は酔眼だったので、まあ何でしたが、今日あたりもまだまだチャンスはありそうです。
私は酔眼だったので、まあ何でしたが、今日あたりもまだまだチャンスはありそうです。
★
今日の朝日俳壇・歌壇より。
○流星の先に猫ゐる異郷かな (ドイツ)ハルツォーク洋子
金子兜太氏、大串章氏の共選句。
流星、猫、異郷の取り合わせが、凛としたイメージです。
異郷(ドイツでしょうか)の建物が描くスカイライン。
その上空をスッと飛んだ流星。
視線を地上に戻せば、闇に佇む猫の瞳がふとキラリと輝いた…という情景でしょうか。
硬質な情緒をただよわせた佳句。
個人的に、この猫はターコイズの瞳を持った黒猫であってほしい。
(でも、実際の黒猫はゴールドの瞳のものが圧倒的に多いそうですね。)
(ドレスデンの夜景)
○しんしんと流れ星ゆく蜩のひとしきり鳴きしあとのしじまへ (東京都)吉竹 純
永田和宏氏選。
先ほどまで鳴いていた蜩も声をひそめ、暮色のいよいよ濃くなった刻限。
空はオレンジから藍色へと変わり、星が静かに姿を見せ始める頃合いです。
そんな夏の宵空を、流れ星がかすめたのですが、作者はそれを「しんしんと」飛んだと感じ、またそれが周囲の「しじま」をいっそう深めたと言うのです。
美しいと同時に、哀切な印象も受ける歌です。
季節柄、盆の行事と故人への思いが背景にあるような気もします。
コメント
_ S.U ― 2012年08月16日 08時22分40秒
流れ星を異郷で見た場合と自分の住む街で見た場合、一人で見た場合と大勢で見た場合、そのときの自分の気分など、いろいろな状況が想像されますが、そのあとに訪れる「しじま」の感触はどれも格別のものです。
_ 玉青 ― 2012年08月18日 07時59分31秒
流れ星が飛んだ後の「しじま」。
動と静、明と暗の対比からくる、その印象には独特のものがありますね。
そして夏には夏の、冬には冬の、四季それぞれの情緒をまとっている気がします。
動と静、明と暗の対比からくる、その印象には独特のものがありますね。
そして夏には夏の、冬には冬の、四季それぞれの情緒をまとっている気がします。
_ S.U ― 2012年08月18日 09時27分42秒
はたまた、脱線した質問で恐縮です。
流星など星が流れるという単純な現象に過ぎないのに、「いくら見ても見飽きない」と感じるのはなぜでしょうか。2つ3つ見ると、あともう1つ、あともう1つ見てから寝ようと思ってしまいます。似たような感触は、霧箱やスパークチェンバーで放射線や宇宙線の軌跡を見ているときにも感じられます。手花火もこれに似ているかもしれません。これらは、軌跡がのべつまくなしに走り続けますが、きりがないと思いつつ見入ってしまいます。
たくさん見たら得するわけでもなく、特に珍しい変化が期待できるわけでもないのですが、この「見飽きない」というのはどういう心理によるものなのでしょうか。お考えがありましたらお聞かせ下さい。(私には特に考えがありません。「見飽きないですねぇ」と他人にとも自分にともつかずにしゃべっているだけです)
流星など星が流れるという単純な現象に過ぎないのに、「いくら見ても見飽きない」と感じるのはなぜでしょうか。2つ3つ見ると、あともう1つ、あともう1つ見てから寝ようと思ってしまいます。似たような感触は、霧箱やスパークチェンバーで放射線や宇宙線の軌跡を見ているときにも感じられます。手花火もこれに似ているかもしれません。これらは、軌跡がのべつまくなしに走り続けますが、きりがないと思いつつ見入ってしまいます。
たくさん見たら得するわけでもなく、特に珍しい変化が期待できるわけでもないのですが、この「見飽きない」というのはどういう心理によるものなのでしょうか。お考えがありましたらお聞かせ下さい。(私には特に考えがありません。「見飽きないですねぇ」と他人にとも自分にともつかずにしゃべっているだけです)
_ 玉青 ― 2012年08月18日 19時20分36秒
「これは見飽きない名画だ」というのはちょっと脇に置きます。
比較的単純な視覚刺激に対する選好性は、かなり生得的なもののようです。例えば、乳児を対象にした選好注視実験(提示された2つの刺激のどちらをより注視するか)によれば、動くもの>静止したもの、点滅光>無変化の光、曲線>直線、模様のあるもの>無地、人の顔>顔以外のもの…等、かなり一貫したパターンがあることが知られています。
視認知(あるいは視覚関連行動)は、その後の学習によって変化する部分も大きいとは思いますが、上記のような選好性はヒトという生物種に予めプログラムされたものであり(その一部は他の哺乳類や鳥類とも共通するようです)、子ども・成人を問わず、かなり普遍的なものなのでしょう。
ご質問にあった視覚刺激は、いずれも上記のいくつかの要素を兼ね備えていますから、それだけ「魅力的」であり、行動心理学でいうところの、いわゆる「正の無条件強化刺激」となっているのだと思います。
問題は、そうした刺激がなぜヒトにとってプラスの価値を持つのかという点ですが、今のところはっきりした答はないと思います。ヒトの祖先が生活していた環境において、そうした刺激に鋭敏に反応することが、生き伸びる上で有利であった…という進化学的説明はおそらく正しいと思いますが、後付けの解釈の域を出ません。
現時点では、いわば現象記述にとどまっているので、S.Uさんの疑問に十分答えられませんが、現象自体は経験的に昔からよく知られていて、広告業者は盛んにその応用に努めています。(ネオンサインがまさにそうですね。風にはためく酒屋の幟旗や、子どもを喜ばせる風車なんかも、その古典的応用と言えるかもしれません)。
比較的単純な視覚刺激に対する選好性は、かなり生得的なもののようです。例えば、乳児を対象にした選好注視実験(提示された2つの刺激のどちらをより注視するか)によれば、動くもの>静止したもの、点滅光>無変化の光、曲線>直線、模様のあるもの>無地、人の顔>顔以外のもの…等、かなり一貫したパターンがあることが知られています。
視認知(あるいは視覚関連行動)は、その後の学習によって変化する部分も大きいとは思いますが、上記のような選好性はヒトという生物種に予めプログラムされたものであり(その一部は他の哺乳類や鳥類とも共通するようです)、子ども・成人を問わず、かなり普遍的なものなのでしょう。
ご質問にあった視覚刺激は、いずれも上記のいくつかの要素を兼ね備えていますから、それだけ「魅力的」であり、行動心理学でいうところの、いわゆる「正の無条件強化刺激」となっているのだと思います。
問題は、そうした刺激がなぜヒトにとってプラスの価値を持つのかという点ですが、今のところはっきりした答はないと思います。ヒトの祖先が生活していた環境において、そうした刺激に鋭敏に反応することが、生き伸びる上で有利であった…という進化学的説明はおそらく正しいと思いますが、後付けの解釈の域を出ません。
現時点では、いわば現象記述にとどまっているので、S.Uさんの疑問に十分答えられませんが、現象自体は経験的に昔からよく知られていて、広告業者は盛んにその応用に努めています。(ネオンサインがまさにそうですね。風にはためく酒屋の幟旗や、子どもを喜ばせる風車なんかも、その古典的応用と言えるかもしれません)。
_ S.U ― 2012年08月19日 07時35分49秒
なるほど、疑問が解けました。玉青さんのコメント欄は「長年の疑問解決コーナー」のようです。
私の挙げた例は、曲線、点滅、斜めの線に関係しているのですね。小さい時にネオンサインが好きで、街に行くと良く親に頼んでネオン街につれて行ってもらいましたが、これと同根でしたか。
おっしゃるように、これに注視することが生存に何らかの有利な点があるような気分はしますが、それが何かは不明です。敢えていうならば、こういうパターンを見て分析することが、自然(気象、地理や地形、生物環境など)の微妙な兆候をつかむ能力を効率的に磨くことに役立つような気がします。これは人間であってもどんな動物であっても生存に有利になるでしょう。夜目の利く動物は今夜も流星を見つめ続けているかもしれません。
私の挙げた例は、曲線、点滅、斜めの線に関係しているのですね。小さい時にネオンサインが好きで、街に行くと良く親に頼んでネオン街につれて行ってもらいましたが、これと同根でしたか。
おっしゃるように、これに注視することが生存に何らかの有利な点があるような気分はしますが、それが何かは不明です。敢えていうならば、こういうパターンを見て分析することが、自然(気象、地理や地形、生物環境など)の微妙な兆候をつかむ能力を効率的に磨くことに役立つような気がします。これは人間であってもどんな動物であっても生存に有利になるでしょう。夜目の利く動物は今夜も流星を見つめ続けているかもしれません。
_ 玉青 ― 2012年08月19日 18時33分36秒
>夜目の利く動物は今夜も流星を見つめ続けている
我ながら生硬なコメントになってしまいましたが、美しくまとめていただきありがとうございます。では、無心に流星を見上げる動物たちの瞳を想像しつつ、ヒトたる我々も飽かず流れ星を追うことにしましょう。
我ながら生硬なコメントになってしまいましたが、美しくまとめていただきありがとうございます。では、無心に流星を見上げる動物たちの瞳を想像しつつ、ヒトたる我々も飽かず流れ星を追うことにしましょう。
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