実験ノ時間デス。ミナサン理科室ニ集マツテ下サイ。 ― 2012年08月21日 21時41分59秒
今日の昼下がり、遠くの山並みの上に素晴らしく大きな入道雲が見えました。
でも頭上を見上げると、そこには細かいうろこ雲がキラキラ光っていて、高い空の上では夏と秋が交錯しつつあるのを感じました。
でも頭上を見上げると、そこには細かいうろこ雲がキラキラ光っていて、高い空の上では夏と秋が交錯しつつあるのを感じました。
子どもたちの夏休みも、もうじき終わり。
どういう脳内配線になっているのか分かりませんが、私は夏休みといえば理科室という連想が働くので、去年の8月には「理科室の怪談」の話題で、ひとり盛り上がっていました。今年も夏の名残りを惜しみつつ、理科室の話題です。
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「さて、理科室といえば…?」
「人体模型!」と即答する人も中にはいるでしょう。でもそれは少数派で、まあふつうは「実験!」というのが常識的な答でしょう。
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理科室には、オドロオドロしいヴンダーカンマー的な顔と、すっきりと理知的な顔の両方があって、両者がヤヌスの面のように表裏一体となっている気がします。いわば理科室はマジックとロジックの出会う場。そこに理科室独特の魅力もあるのでしょう。
「実験」というのは、言うまでもなく理科室の理知面を代表するものです。(ヴンダー面の代表は怪しい標本類でしょうか。)
とはいえ、化学実験には遠い昔の錬金術師の影が差していますし、怪奇な解剖標本も、その背後にあるのは、生体を要素にばらして全体を理解しようという、要素主義・還元主義的思考法ですから、まさに近代の知の営みを体現するものだともいえます。
要するにマジカルとロジカルの対立は、一見した印象ほど単純には割り切れなくて、その辺の絡み具合も、理科室の妙味を醸し出しているのだと思います。
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前口上が長くなりましたが、以上を予備的考察として、これまで明示的に話題にすることがなかった「実験の場としての理科室」をテーマに、いくつか記事を書いてみます。まあ難しい話は抜きにして、例によって古絵葉書を材料に、実験する少年少女たちの一途な姿に注目しようという夏休み企画です。
(この項つづく)
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