お知らせ2012年10月01日 06時06分14秒

野分が去って、今日から10月。秋本番です。

さて、アンティーク星図の話の途中ですが、季節仕事になっている「日本ハーシェル協会」の用務にそろそろ取りかからねばなりませんので、その間、ブログの方はしばしお休みします。

鉱物(イシ)のきらめく博物サロン2012年10月04日 14時11分07秒

ハーシェル協会の仕事は雑事に追われてはかどらず、ブログの更新も滞っているという、なんとなく「虻蜂取らず」的日々です。まさに人生とは、重き荷を負いて遠き道を行くがごとし(←意味のない引用)。

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さて、今日は急告として、明日から始まるイベントのご案内です。
この種の情報は、これまで東京・関西圏に偏っていましたが、今回は珍しく中京圏発。



『鉱物アソビ』や『鉱物見タテ図鑑』を著わし、また「鉱物Bar」という素敵な空間づくりによって鉱物趣味の一時代を画した、フジイキョウコさんの鉱物イベントが、ついに名古屋でも行われます。

■「鉱物アソビの博物サロン」 
 ○日時: 10月5日(金)~10月28日(日) 会期中無休
        11:00-19:00
 ○会場: 北欧アンティーク ミュシカ(Myshica)
        名古屋市名東区高社1-190 サンローヤル東山1F
       (地下鉄東山線「一社駅」1番出口から徒歩5分)
 ○イベント詳細:  http://www.myshica.com/2012/09/04/


博物サロン的空間を彩る、鮮やかな鉱物、古い博物画、硝子壜、不思議な紙物の数々…。

会場では、ミュシカさんの北欧アンティーク、antique Salon さんのフランス・アンティーク、そして鉱物を使った カトウユカリ さんの作品類や、フジイさんが海外で買い付けた鉱物群が展示・販売されます。
 「鉱物もアンティークも、年代も場所も様々なところから集まったものです。煌めく鉱物を手に、時間旅行をしてみるのも楽しいのではないかと思います(主催者)。

会期中、10月5日~7日は、フジイさんご本人が在廊されます。
また、7日にはフジイさんのトークイベント鉱物アソビのサロントークも予定されているとのことですが、こちらは残念ながら、すでに満席の模様(→ LINK )。

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フジイさんの『鉱物見タテ図鑑』には、「鉱物アソビの博物学」という副題があり、今回のイベントは、それにちなむもののようです。
鉱物趣味が、より広い博物趣味の文脈の中に置かれたとき、どんな輝きを見せるのか、とても楽しみです。

秋晴れの一日、サロンへ2012年10月06日 20時08分16秒

前回ご案内した「鉱物アソビの博物サロン」に行ってきました。

地下鉄一社(いっしゃ)の駅から地上に出て、大通りを北に折れ、住宅街のゆるやかな坂道を上っていったところに、北欧アンティークの店「ミュシカ」はあります。
ドアを開けると、いかにも北欧アンティークのお店にふさわしい、素木と白壁を基調とした明るい店内に、今回の主人公である鉱物たちと不思議な品々がゆったりと並び、とても居心地のいい、穏やかな空間が広がっていました。

この「博物サロン」は、「ブックマークナゴヤ」(http://www.bookmark-ngy.com/)という、市内各地の書店・古書店・雑貨店等が参加する、本をテーマとした横断的イベントのサブイベントとなっているせいか、訪れる客層も広く、在廊中のフジイキョウコさんや、ミュシカの店主ご夫妻(絵に描いたような素敵なご夫婦!)と、皆さんいろいろ言葉を交わし、まさにサロン的な愉しいひと時を過ごされているようでした。もちろん、私もその一人です。

会場の写真を撮らせていただくと良かったのですが、カメラを持参しなかったので、本日の購入品から、その雰囲気だけでもしのんでいただければと思います。

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イベントのDM、それと出品者であるミュシカさん&Salon さんのショップカードと並ぶのは、『鉱物見タテ図鑑』から抜け出したような「流星遊星」。
インド産のスコレス沸石を流星に見立て、星図をモチーフとしたオリジナルパッケージに収めた心憎い品です。


題して「鉱物見タテ標本函」。


流星のようにも、ほうき星のようにも見える、不思議な純白の造形。

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ちょっと強引ですが、ミュシカさんの店舗イメージは、あるいはこの品を見ていただくと、よく伝わるかもしれません。質感、カラーデザイン、空間構成…この標本箱には、ミュシカさんのそれと、妙に類似した点が感じられます。北欧由来の品ということで、図らずも共通する造形感覚が現われているせいかもしれません。


5ミリ以下の、小さな、小さな甲虫たち。ここに集められているのは、すべてスウェーデン産のゾウムシ類です。ラベルには産地のみで、採集日の記載がありませんが、全体の雰囲気としては1950年代頃に集められたものでしょうか。


ガラス蓋を外したところ。やや黄変し、生成り色になった紙が優しい印象。



ゾウムシ(象虫)の名の由来である、長い吻(ふん;口器)が見えるでしょうか。
かわいらしいミニチュアの象の群れ。
ただ惜しむらくは、最近老眼が始まった私の目では、その姿をよく捉えることができません。。。

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「鉱物アソビの博物サロン」は、10月28日(日)まで開催されます。

またまたお知らせ2012年10月10日 23時08分18秒

日本ハーシェル協会の用務に加えて、私的なこともあれこれ加わって、ますます記事が書きにくくなっていますが、なんとか近日中に再開できればと思います。通常営業まで、今しばらくお待ちください。

今後の予定など2012年10月17日 05時31分19秒

すっかりご無沙汰をしております。
この間、季節もめぐり、世間にはいろいろなニュースが流れては消え、時の流れの速さを、しみじみと噛みしめています。

さて、ようやく今後のめどが立ったので、取り急ぎお知らせまで。
来週金曜日(26日)までは、まったく身動きの取れない状態が続きますが、それ以降は徐々に身辺も正常化しますので、本来の記事を再開できそうです。(ということは、ちゃんと暖簾を出す頃にはもう11月で、クリスマスの話題もちらほらと…。時の流れの何と早いこと。。。)

世間には悪い風邪やら、RSウイルスやらが流行っていると聞きます。
みなさま、どうかご自愛くださいますように。

画面の<向こう>と<手前> …不思議なスチームパンカーとの不思議な出会い2012年10月25日 21時54分10秒

(スチームパンク風アブラハム・リンカーン 出典:http://nvate.com/3074/why-is-steampunk-so-popular/steampunk3/

何だか、記事の書き方を忘れかけていますが、ぽつりぽつりと書いてみます。

前の記事でお知らせしたように、明日ちょっと大きな仕事が片付くと、身体が少し自由になるので、本格的な記事の再開はその後になります。

ただ、昨日は「スチームパンク大百科」(http://steampunk.seesaa.net/)の麻理さんとお会いするという、特筆すべき出来事があったので、日記代わりに書いておきます。
これはヴンダーカンマーに関する取材が麻理さんの所にあり、その余波が私のところにまで及んだ結果、そういう機会が得られたのでした。ネットは偉大なり。

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オンラインで買い物をするとき、買うべきか買わざるべきか、さんざん迷って、それこそ画面に穴が開くほど凝視した末に注文した品が、現実のモノとして手元に届いたとき、一瞬クラクラッとすることがあります。

画面の<向こう>と<手前>、非現実世界と現実世界がつながった感じと言いますか、私の場合、無意識のうちに、ネットの世界はフィクションの世界だという思い込みがあるせいで、そう感じるのかもしれません。(元々、リアル世界にもリアリティが感じられない、一種の離人症的傾向があるので、画面を通して見る情報はいっそう遠く感じられます。)

麻理さんとお会いしたときも、ちょうどそんな感じがしました。
もちろん、麻理さんは現実世界の住人だということは、理屈では良く分かっているのですが、でもそのいっぽうで、感覚的には何となく仮想世界に住む方のような気がしていたので、とても不思議な気分でした。

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明るい秋晴れの午後、そういう不思議な感覚を味わいながら、麻理さんという不思議な方とお話しができたということ。これはやはり「ネットは偉大なり」と呟かざるを得ません。

(あえて言えば現実離れした)その話の中身や取材の件は、いずれ折を見て文字にできればと思います。


【付記】

画面の<向こうの世界>が<手前の世界>とまじり合うことへの戸惑いというと、「貞子」を思い出します。もちろん、麻理さんを貞子に例えるわけではないんですが(笑)、2つの世界の障壁が外れることに対して、リアリティの揺れと違和感を覚えるのは、私だけではない証拠ではありますまいか。

輝くラピスの天文古書2012年10月27日 15時18分27秒

緊張感もゆるみ、心に平安が戻ってきた休日。
寝床から起きた私はまず何をしたか?

(答)ネットオークションのページからページへと、あてどなく徘徊した。

いったい他にすることはないのかね…と、自分でも思いますが、その誘因力に打ち克つことは容易ではありません。病臥中、せっかく煙草をやめていたのに、治ったとたんに一服つけるスモーカーのようです。

そして、勢いにまかせて、即落価格が設定されていた本を1冊買いました。

 (↑売り手による商品紹介写真。ちょっと画像をいじりました。)

■ヴィルヘルム・シュッテ(著)『星空 ― やさしい宇宙論』
  Wilhelm Schütte
  Der Sternhimmel. - Eine populäre Darstellung des Weltgebäudes.
  Leipzig, ca. 1880

19世紀後半の一般向け天文学書ならば、買う前からその内容はだいたい想像がつきます。どんな章立てで、どんな図版が載っているか、類書はお互い金太郎飴式によく似ているからです。ひょっとしたら嬉しい誤算も無いとはいえませんが、まあ多分思った通りの本でしょう。

しかし、この装丁を見せつけられては、もはや買う以外の選択肢はありません。
19世紀天文学書の最大の見どころは装丁だ…というのは、ずいぶん偏った主張だし、愚かな話だと思いますが、しかし「モノとしての本」の魅力(の相当部分)が、そこにあるのは否定できません。そうした観点からすると、この本は、最近の買物の中でも出色の品です。

モチーフからすると、これは新ロマン主義を背景としたデザインでしょうが、流麗な線には次代のユーゲントシュティール的感性も混入している気がします。
青と金のラピスラズリのような配色にも心惹かれます。

安堵2012年10月28日 20時07分46秒

前からやるやると言っていた、日本ハーシェル協会のニューズレター発行作業にやっととりかかり、今日は印刷から発送まで一気に済ませました。まあ、今号の紙面は、すべてU会員が作られたようなものなので、私がドヤ顔をする道理はないんですが、でも懸案事項が片付き、気分がスッと軽くなりました。
これをお読みの会員の方、お手元に届くまで今しばらくお待ちください。

アンティーク星図の話アゲイン2012年10月30日 22時37分22秒

記事が中断する以前、アンティーク星図の話をしていました。が、「今度は古星図の彩色について書く」と予告したところで記事が途切れていたので、改めてそのことについて書こうと思います。

今回の記事を書くにあたっては、以前ご紹介した、Nick Kanas 氏の『STAR MAPS』に加え、Kevin Brown 氏の以下のページも大いに参照しました。

Geographicus Antique Map Blog : Is my Antique Map Authentic?
 

以下、私なりに咀嚼して述べます。

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古星図の彩色については、版元が彩色した上で販売した「純度100%」の正統な彩色も少数ながら存在します。しかし、多くの場合は、彩色なしで出版された絵図に、いずれかの時点で、誰かが色付けしたものが、現在商品として出回っているわけです。
後者については、それこそピンからキリまで千差万別です。

たとえば出版直後に、購入者がプロの彩色職人に色付けをさせたものは、限りなく「純度100%」に近い扱いを受けます。あるいは購入者自らが色を塗ったものもあって、この場合は、彩色の年代は星図そのものと同じぐらい古く、時代は十分ですが、所詮は素人の手わざですから、その巧拙はさまざまです。中には「子どもの塗り絵」レベルの粗雑なものもあるようです。

星図の彩色は、それが出版されてから現代に至るまでのどの段階でも起こり得ます。
現代の業者が、利益を大きくするために、モノクロ図に彩色を施すこともしょっちゅうです。

ただ、古星図(古地図)が他のアンティークと違うのは、こういう「現代における彩色」が、商品の評価にマイナスに働かないことです。普通のアンティークであれば、日本でも、欧米でも、原状に何か手が加わっていると、それは「瑕疵」として表記されるのが普通だと思います(たとえ「professionally repaired」とか「neatly repaired」と書かれていても、“直し”それ自体は、マイナス要素であることに変わりはありません)。

しかし、古星図の場合は、たとえ現代の彩色であっても、それが巧みになされている限り、「偽物」扱いされることなく、むしろ商品の価値を高めるものと考えられているのが特徴です。したがって、業者も何らやましさを感じることなく、堂々と「Later colored」と表記しています。

このことは、真贋に潔癖な日本人からすると、ちょっと理解しにくい点だと思います。私も最初、こういう現代の彩色品を、フェイクまがいのあざとい品のように感じていました。しかし、実際はそうではなくて、古地図ディーラーである上記 Kevin Brown 氏も、「巧みな彩色は、たとえそれがごく最近になされたものだとしても、ほぼ常に地図の価値を高める」とハッキリ書いています。

で、私が腕組みをした末に思いついたのは、古星図の彩色は、たぶん日本の骨董に例えると、「表具」に近い感覚ではないかということです。たとえば仏画なんかだと、時代のついたウブな表具が好まれたりということはあるにせよ、一般にはボロボロの表具よりは、きちんと表装し直されているほうが、市場で高く評価されるのと似たような現象だろうと思います。…とすると、彩色なしの昔の星図は、いわば「マクリ」(表装されてない書画)のようなものでしょうか。

まあ、この説の当否はともかく、彩色の時代については(少なくとも欧米の価値基準に従う限り)あまり気にしなくてもよく、純粋にその巧拙のみに注目すればよい、ということのようです。(でも、個人的には現代の彩色はやはり一寸どうかと思います。)

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ところで、Kanas氏とBrown氏が等しく言及しているのが、古い時代の彩色に特徴的な、紙の「焼け」の問題です。特に、緑色の彩色部分だけが選択的に焼ける現象については、私もずいぶん驚いたので、次回実例を挙げて見てみます。

(この項つづく)