天地明察アゲイン…渋川春海の時代の望遠鏡を考える(4)2012年11月09日 19時04分40秒

17世紀は、まだ反射望遠鏡が実用化されていない時代ですから、望遠鏡イコール屈折式です。そして、初期の屈折望遠鏡といえば、元祖・ガリレオの望遠鏡が目に親しいと思います。



思うに、これが私の誤解のはじまりかもしれません。
つまり、ガリレオ望遠鏡はまさに現代の屈折望遠鏡をプリミティブにしたような姿をしているので、ガリレオ望遠鏡がそのまま漸次進化して現代の望遠鏡になったのだ…と、私は無意識のうちに思い込んでいました。
しかし、屈折望遠鏡にかぎっても、天体望遠鏡の進化にはいろいろな曲折があって、決して単線進化したわけではない、ということを、キングの本を見ながら、改めて感じました。

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屈折望遠鏡の泣き所は、像のボケとにじみ、すなわち球面収差と色収差ですが、それを克服する近道は口径比(F値)を大きくすることです。当然17世紀の人も、同一口径なら長焦点が有利と考えて、17世紀の後半に入ると鏡筒はどんどん長く伸びていきました。(そこには同時に、高倍率への欲求を満たす目的もありました。)

で、ここでいう「進化の曲折」とは、長焦点化が現代人の想像をはるかに超えて進んだことです。今の常識でいえば、F値は大きくてもせいぜい15ぐらいでしょう。つまり口径10センチなら焦点距離は150センチです(屈折望遠鏡の場合、大雑把にいえば望遠鏡の長さが150センチということです)。

しかし、キングの本によれば、当時のF値は文字通り桁外れでした。

「望遠鏡は今やますます長くなっていった。口径がわずかでも大きくなれば、それ以上に大きな長焦点化がそれに続いたからである。やがて後者は、口径比1:150〔=F値150〕という望遠鏡も決して稀ではないほど、極端なレベルにまで達した。17世紀の版画には、高い柱の上からロープと滑車で吊るされた、長くてやわな鏡筒をもった、そうした望遠鏡の型破りな姿が描かれている。」(p.50)

口径10センチ、鏡筒が15メートルの望遠鏡をはたして想像できるでしょうか?当時はそんな望遠鏡がのし歩いていた時代なのです。



(↑1690年にオランダで出版された本の挿絵。なお、私は昔これを後世の贋作ではないかと書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/04/15/327886)、それは誤解で、やっぱり本物のようです。)

前回の記事に登場した、ヨハネス・ヘヴェリウス(1611-1687)の天文家人生は、この望遠鏡の長大化時代と重なっています。

ヘヴェリウスがその最初の著作、詳細な月面図で有名な『Selenographia』を世に問うたのは1647年ですが、このとき彼が所有していた望遠鏡は、すべて12フィート(約3.6メートル)未満のものでした。しかし、同時代のクリスティアン・ホイヘンス(1629-1695)が長焦点望遠鏡を使って土星観測で成果を上げたのに刺激され、負けじとばかりに長大望遠鏡の建造に乗り出します。60フィート、70フィートと筒はどんどん伸びていき、そしてついにあの150フィート(約45メートル)の空気望遠鏡が誕生します。

もう1人の同時代人、ジョバンニ・カッシーニ(1625-1712)も代表的な長大望遠鏡ユーザーで、彼が1684年に土星の衛星テティスとディオネを発見したときに使用したのは、100フィート及び136フィート(約30メートルと41メートル)の望遠鏡でした。

再びキングの記述から。

「パリ天文台にあった、カンパーニ製〔ジュゼッペ・カンパーニはローマのレンズ製作者〕の最大のレンズは、焦点距離が136フィートもあり、その大きさのために空気望遠鏡として使用された。だが、オランダ製のレンズに比べれば、それもごくささやかものに過ぎなかった。ハルトゼーカー(Hartsoecker)は、焦点距離が155フィートと220フィートのレンズを磨いたし、〔…〕フランス人物理学者のオズー(A. Auzout)にいたっては、300ないし600フィートという、全く実用性を欠いた焦点距離のレンズを製作した。オズーは、月面上の動物を眺めることを夢見て、その最も長焦点のレンズに1000の位の倍率を持たせることを思い描いていた。」(p.59)

『図説・望遠鏡の歴史』(朝倉書店)の中で、著者リチャード・ラーナーは、ヘヴェリウス、ホイヘンス、カッシーニらの望遠鏡を、いみじくも「光学的恐竜」と呼びました。本物の恐竜と同じように、屈折望遠鏡もいったん進化の袋小路に入って絶滅し、18世紀にはニュートン式やグレゴリー式の実用化に伴い、天体観測は反射望遠鏡に限るという時代が長く続きました。

屈折望遠鏡が再び頭角を現すのは、ヘヴェリウスの時代から約1世紀の後、1760年代に色消しレンズが発明されて以降のことです。ラーナーの比喩にしたがえば、現代の屈折望遠鏡は、こうした空白期を隔てて再登場した、いわば新生代の哺乳類のような存在なのでしょう。

(この項つづく)