天地明察アゲイン…渋川春海の時代の望遠鏡を考える(5)2012年11月10日 19時06分53秒

(※今日は記事を3連投しました。2つ前の記事からお読みください。)

さて、以上のような時代背景を考えて、渋川春海の望遠鏡の話に戻ります。

望遠鏡はたしかに17世紀の初頭から日本でも知られていました。
しかし、17世紀後半のヨーロッパのスタンダードからすると、天体観測機器としてのスペックを備えた望遠鏡は当然日本には存在せず、海の向こうで「光学的恐竜」たちがのし歩いていたことすら、春海や同時代の日本人は全く知らずにいました。

春海の時代に日本にあったのは、国産にしろ、舶来の献上品にしろ、要は地上用ないし航海用の「遠眼鏡」の類でしかなかったように思います。このことは、歴史的事実として1つ押さえておきたい点です。

ただ、そんな遠眼鏡でもガリレオは立派な観測を行ったわけですし、17世紀後半に入ってからも、小型屈折望遠鏡を使った天体観測がすたれたわけではありません。特にヨーロッパを遠く離れた東洋ではそうでした。

以下、いよいよ本題である、春海の観望風景を考える際のヒントとなりそうなイメージを順に見ていきます。

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 (出典:ウィキペディア「クリストフ・シャイナー」のページより)

ドイツ人のクリストフ・シャイナー(Christoph Scheiner、 1575(3?)- 1650)は、イエズス会員にして天文学者。太陽の黒点を最初に観測した一人としても知られます。ヘヴェリウスの1世代前の人で、ガリレオ(1564-1642)に近い世代です。
 
(出典:リチャード・ラーナー『図説 望遠鏡の歴史』、朝倉書店、1984、p.17)

そのシャイナーのインゴルシュタット観測所。上の肖像画にも、窓辺に置かれた小望遠鏡が見えますが、17世紀前半の人であるシャイナーはもっぱら小望遠鏡を使って観測していたようです。架台はまだ三脚が用いられず、一種のピラー式ですが、いかにも細く頼りなげです。

ちなみに、ガリレオその人の望遠鏡の架台について、キングは「おそらく小型のユニバーサルジョイント(自在継ぎ手)と受け台を備えた、直立する複数の支柱もしくは三脚式架台から構成されていただろう」と書いており(p.41)、さらにシャイナーがそれを改良して、一種の赤道儀式架台をデザインしたことに触れていますが、実際にはまだ架台の重要性はそれほど認識されていなかったのでしょう。

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ヘヴェリウス『月面誌Selenographia』(1647)の挿絵より。

稀代のロング望遠鏡愛好家のヘヴェリウスも、この頃はまだ「その道」に踏み出す前で、小望遠鏡ユーザーでした。前代に比べ架台はずいぶんとがっしりとなり、ロング望遠鏡時代よりも、むしろ現代の観望風景に近い感じですが、鏡筒そのものの剛性が乏しいせいか、「添え木」に固定されているのが注目されます。角度を正しく測定するにはそうする必要があったのでしょう。

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(出典:ウィキペディア「フェルディナント・フェルビースト」のページより)

清代の「お雇い外国人」、イエズス会宣教師のフェルディナント・フェルビースト(Ferdinand Verbiest, 1623-1688)の肖像画にも屈折望遠鏡らしいものが描かれています。その架台は不明ですが、画面左手には何かの測器の脚部らしいものが見えています。儀器本体に加えて、こういう細部のデザインやアイデアが、長崎経由で日本に伝わっていた可能性は大きいと思います。

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以下の画像は、いずれも1680年代にイエズス会宣教師が、シャム(タイ)の王宮と天文台でおこなった観測風景です。出典はすべて「Astronomy in the 17th century(http://www.cosmicelk.net/telrev.htm)」。
 
 



 
遠眼鏡とあり合わせの架台を使った即席観望あり、西洋式の天文台に据え付けた本格的な望遠鏡を使った観測ありですが、最後の望遠鏡も、よく見ると下部に添え木っぽいものが見えるので、全体の構成はヘヴェリウス式のものだったのかもしれません。
この辺は、春海と同時代、しかも日本にその文化的影響が及びうる地域の実例ですから、春海の望遠鏡を考える際には、参考になろうかと思います。

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あれこれ寄り道をしましたが、いちばん最初の疑問に答えます。

春海の望遠鏡は、金属製の鏡筒だった可能性もありますが、しかし映画に出てきたような一本筒ではないはずです。おそらく多段伸縮式の、どちらかといえばなよなよっとしたものだと思います。架台は、あってもせいぜい簡単な一本足式のものではないでしょうか。そもそも望遠鏡のスペックが低いので、あまり架台に凝ってもしょうがないような気がします。(望遠鏡がやわだからこそ、しっかり見るために架台に凝る…という行き方もあるとは思いますが、であれば、もっとその観測記録が残っていても良さそうに思います。)

(この項とりあえず完結)

コメント

_ S.U ― 2012年11月10日 20時43分33秒

伸縮式鏡筒というのは、船乗りの望遠鏡を基礎にして、天体望遠鏡が作られていたということなのでしょうか。天体用としてはあまりメリットがないように思いますがどうでしょうか。
 
 私も一つイエズス会士系の文献を見つけました。ニーダムの『中国の科学と文明』にアダム・シャールが『遠鏡説』に描いた天体望遠鏡の図が載っています。一本足の架台で立っています。伸縮式に見えないこともありません。

同じ図が、
(The TOF spot)
http://tofspot.blogspot.jp/2011/04/far-seeing-looking-glass-goes-to-china.html
の1626年のところにあります。

 岡田准一さんや宮﨑あおいさんが操作するのがこの望遠鏡では、ちょっと格好がつかないかもしれません。

_ 玉青 ― 2012年11月10日 22時26分26秒

以下、あてずっぽうで書いてみます。

空気望遠鏡のように、17世紀においても、天体観測に特化した望遠鏡はすでにあったと思いますが、小型のポーターブル機材に関しては、まだ航海用・地上用・天体用という用途区分がはっきりせず、あるのは一種の「汎用望遠鏡」だったろうと想像します。

そうした小型機材は、小型とはいっても全長1メートル、ときには2メートルを超えましたし、後世のように、最初から架台に据えっぱなしで使うという観念もなかったので、実用性を考えると、全体の小型化を図るために、どうしても伸縮構造をとる必要があったのではないでしょうか。今日の記事で図示した望遠鏡も、どうやらすべて伸縮式のように見えます。本当は、ヘヴェリウスの望遠鏡などは、職人に特注して、最初から一本筒で仕上げた方が良かったのでしょうが、やっぱり伸縮式です。

   +

資料のご紹介をありがとうございました。しかしリンク先のページ、なぜか私の手元では本文が表示されません。画像検索で出てくる下の図と同じものでしょうか?
http://www.sciencemag.org/content/332/6025/39/F1.small.gif
これだと、多段伸縮式のようにも、竹筒のようにも見えますね。
(話題がずれますが、日本や中国で竹製の望遠鏡が作られなかったは、ちょっと不思議な気がします。それとも、ありますかね?)

_ パリの暇人 ― 2012年11月11日 04時09分58秒

いつも楽しい記事有難うございます。

古望遠鏡について書かれた 珍しい本として 「A PERTE DE VUE / WEITBLICK」 (by Marisa Del Vecchio 1995年) があります。イタリアのLuxottica博物館所蔵の17世紀から18世紀の望遠鏡の本で 書名のように仏語と独語で書かれた カラー写真満載の美しい本です。 限定版で入手が難しいかもしれませんが一見の価値ありです。

友人が17世紀の台付の望遠鏡を持っています。 私も大量の古望遠鏡を所有していますので 機会があれば写真をお送りいたします。 また 私のコレクションの中に古伊万里の皿が1点あるのですが 元禄美人が台にのった望遠鏡を覗いているという面白い絵柄です。

以上ごく簡単ですが ご報告まで。

_ パリの暇人 ― 2012年11月11日 07時15分16秒

付記
「A PERTE DE VUE」に 18世紀中期の中国の竹とマホガニー製の望遠鏡が出ています。

_ 玉青 ― 2012年11月11日 08時51分27秒

本のご紹介をありがとうございました。早速探しましたが、残念ながら『A Perte de Vue』は見つかりませんでした。ただ、同じ編者による『In View: The Telescopes of the Luxottica Museum』(1995)というのを見つけて、こちらは英語-イタリア語併記だそうですが、ひょっとしたら同じもの?と思い、注文してみました(4ヶ国語出版だったのでしょうか)。

>竹とマホガニー製の望遠鏡

あ、ありましたか!いかにもオリエンタルですねえ。
もし上の想像が正しければ、もうじきその写真を拝めるものと期待しています。

>大量の古望遠鏡を所有

おお!!!!!
すごい…。一瞬言葉を失いました。とにかく驚異の一語に尽きます。なんとも羨ましい限りです。ぜひぜひ、天球儀やその他のコレクションと併せて、その一端なりとも拝見できればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

_ S.U ― 2012年11月11日 16時18分50秒

>「汎用望遠鏡」
 ということは、当時の天体望遠鏡はケプラー式が主流だったと思うのですが、地上用、航海用も倒立像だったということでしょうか。(あり得ることだと思いますが)

 引用しましたアダム・シャールの文献の望遠鏡は、ご指定のものと同一の画像です。以下にこの"The TOF spot"さん のページ"The Far-Seeing Looking Glass Goes to China"の本文から関連箇所を引用(下の英文)をさせていただきます。

1626 Schall writes Treatise on the Telescope and reviews all of the discoveries of “a celebrated Western astronomer.”

それから、興味深い「竹筒説」をご紹介いただきましたので、それを見極めるべく、ニーダムからの拡大画像を用意いたしました。私のURLリンクでご覧下さい。絵ですから拡大してもわからんものはわからんです。

 竹製の望遠鏡については、私は聞いたことがありませんでした。尺八が作れる職人なら作れそうに思います。内部の絞り環は節抜きで調節するとして、それでも内部の塗装がやっかいかもしれません。パリの暇人様ご紹介の品の内部が気になります。

_ 玉青 ― 2012年11月11日 20時05分24秒

ちょっと話が入り組んできましたね。改めて自分の頭の中を整理して書き出してみます(前に書いたことと違う部分もあります)。以下「A」とあるのは、確かな答ではなくて、単なる作業仮説です。

(Q1)17世紀に「天体望遠鏡」という概念はあったか?
(A1)天体観測に特化した望遠鏡はすでにあった。しかし、望遠鏡で星を眺めたいという、一般のニーズは乏しかったので、「天体望遠鏡」と銘打った商品は流通しておらず、天体観測用の望遠鏡は、事実上すべて特注品であった。ただし、商品として売買されていたのは、もっぱら地上用望遠鏡だったにせよ、好奇心の強い人は、それを空に向けて天体観測を試みることもあったと思われる。

(Q2)17世紀の望遠鏡は、伸縮式鏡筒が一般的であったか?
(A1)一般向けの望遠鏡はそうであった。また絵画資料によれば、ポータブル式の天体観測用望遠鏡もそうだった可能性が高い。A3も参照。

(Q3)伸縮式鏡筒の理由・メリットは何か?
(A3)持ち運びの便が、その最大の理由である。また17世紀には、木製鏡筒がまだ一般的ではなく、日本と同様に紙製が主流であり、多段式を採用したのは、長くて丈夫な筒を製作するのが難しかったという技術的な理由もあったかもしれない。
なお、天体観測用望遠鏡については、当時すでに木製や金属製の鏡筒を用いるのが一般的だったとも言われる(*)。その場合、上と同じ技術上の理由から、外見は「多段式」の構造を採用していても、実は「伸縮」しなかった可能性もある。

(Q4)17世紀の望遠鏡の光学系は何か?
(A4)17世紀の望遠鏡は素材が脆いため、現存する品が少なく、実態が今一つはっきりしないが、一般向け望遠鏡(=地上用)については、当初はガリレオ式、世紀の後半からはシルレ式(正立像)が好まれたと言われる。また、天体観測用望遠鏡に関しては、ヘヴェリウスは当初(1647年以前)ガリレオ式とケプラー式を併用していたが、望遠鏡の長大化以降は、もっぱらケプラー式を採用するようになった。ホイヘンスも同様だが、1680年以降は、ケプラー式光学系を改良して、平凸レンズ2枚構成のホイヘンス式アイピースを採用するようになった(*)。

(*) Reginald Cheetham, OLD TELESCOPES, Samedie, 1997

…とまあ、以上のような感じですが、テクニカルな話になると私はちょっと腰が引けるので、むしろこの辺のことはS.Uさんにお任せしたいと、いくぶん日和ったことを考えています。(笑)

   +

「遠鏡図」の詳細をありがとうございました。
何だか本当に竹筒っぽいですが、単に絵が稚拙なせいでしょうか。まあ、現地で製作したのでなければ、竹説は消えるのでしょうが、ともあれ竹製望遠鏡の実際を確かめてみたいと思います。

_ S.U ― 2012年11月12日 22時12分04秒

お説によりますと、地上用の正立像のが天体に流用されていた場合のほうが多かったということですね。やはり、天地がひっくり返っていては気色が悪い、これもうなずける話です。

 日本側の文献も見てみようということで、山路彰常他編の『遠鏡図説』(1856?)を見てみました。当時の西洋の望遠鏡は凸レンズ4枚玉が主流だと書かれていました(天体用ではないのでしょうが)。ただし、これは江戸中後期のことであり、江戸前期の望遠鏡の構造については、アダム・シャールの『遠鏡説』のころの望遠鏡が2枚玉であったことくらいしかわかりませんでした。

 しかし、さきほど、日本での西洋の望遠鏡の輸入状況を示している研究を見つけました。ミヒェル・ヴォルフガング氏の研究で、
http://wolfgangmichel.web.fc2.com/publ/aufs/71/071.htm
の第3節の表によると、渋川春海の時代に、毎年なのか数年に1度なのかわかりませんが、20前後の望遠鏡がオランダ商船によって日本に送られたようです。
 渋川春海の望遠鏡が西洋製である可能性はかなり高いのかもしれません。

_ 玉青 ― 2012年11月13日 20時26分50秒

うわ、これは見事なクリーンヒットが出ましたね!!

ヴォルフガング氏の論文によれば、上記の「Q1 17世紀に天体望遠鏡という概念はあったか?」には、かなりはっきり「YES」といえそうです。
単なる望遠鏡とは別に、「惑星を見る望遠鏡」、「月を見るための望遠鏡」、「足つきの望遠鏡」等々、用途や外形を明示しつつオランダ商館が仕入れ台帳を整備していた事実は、レディメイドかオーダーメイドかはさておき、オランダ本国では、既にそうした機材が商業ベースで流通していたことをうかがわせます。また日本側もそうした区別を熟知しており、早くも1640年代には、幕府の要人が「木星の4つの衛星を見ることのできる望遠鏡」という細かい指示を与えて、発注をかけていたというのは、まことに驚くべく事実です。
私はちょっと17世紀を見くびっていたかもしれません。

となると、春海が手にした望遠鏡も、立派な「天体望遠鏡」であった可能性が高まりますが、その観測記録が「天の川を個々の星に分離した」、「こぐま座にある二星を分離した」程度なのはちょっと寂しいですね。剛立先生のように、暦学を修めるかたわら、月面観望記などを残していてくれたらなあ…とチラッと思いました。

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