賢治の謎 … 別役実著 『イーハトーボゆき軽便鉄道』2012年11月14日 21時35分35秒

(この本は、もともと1990年にリブロポートから出て、2003年に「白水uブックス」の1冊に加わりました。上は白水社版の表紙です。)

ねこぱんちさんに以前コメント欄で教えていただいた出色の賢治本です(どうもありがとうございました)。

   ★

賢治作品を読んで、何かモヤモヤっとするものを感じることはないでしょうか。

たとえば「オツベルと象」で、強欲なオツベルから救い出された小象は、なぜ「嬉しそう」に笑わずに、「さびしく」笑ったのでしょう?
あるいは谷川の底を舞台にしたファンタジックな「やまなし」。あそこに登場する、謎のキャラクター「クラムボン」とはいったい何なのか?

…そういう風に考えながら賢治作品を読んでいくと、あちこちに謎めいた記述が目に付きます。それがまた彼の作品の魅力ともなっているようです。

別役氏は、そうした謎をこの本で軽やかに解いていきます。
その推理の手並みは鮮やかで、驚くほど冴えわたっています。

あっと思ったのは、「グスコーブドリの伝記」に関する解釈です。
あの教訓めいた物語は、結局何を伝えたかったのか? 主人公のブドリは、森から草原に、そして都市へと生活の場を移していきますが、ここには人類進化の歴史が重ね合わされているのだと、別役氏は喝破します。そして、ブドリの死は人類が自然に対して負った罪に対する罰であり、彼は自分の死を必然として、はるか以前からそれを予見していた…。こういう風に書くと、ちょっと強引に聞こえるかもしれませんが、それは私の書き方がまずいからで、別役氏の文を読むと、なるほどそうだなと納得させられます。

こんな調子で、別役氏は賢治の主要作品を、ごく短い文章で次々と撫で斬りにしていくのですが、実はそこには2つの例外があります。
1つは「風の又三郎」で、これについては「その1」から「その3」まで3編のエッセイを宛てています。そしてもう1つは「銀河鉄道の夜」で、こちらは実に10編の連作形式で、延々と謎解きを続けています。

別役氏は、「銀河鉄道の夜」全体を通底するテーマとして、「父なるもの」と「母なるもの」、そして人間関係の基礎としての「三角関係」、さらに少年の「自立」といったものに注目します。その解釈自体はおそらく正しいのでしょう。しかし、こうしたいわば「真っ当な解釈」を下すのに、別役氏が長々と紙数を費やしているのは、他の作品評にくらべて、明らかにペースが鈍重です。私には、名探偵・別役氏が、「銀河鉄道の夜」に関しては、はっきりと戸惑っているように感じられます。

「銀河鉄道の夜」は、もちろん「自己犠牲のススメ」のような単純な教訓物語ではないし、さらに別役氏がそうしたように、精神分析的解釈を援用したからといって、それだけで解決が付くわけでもなく、依然多くの謎を含んでいるように思います。

私にも、その「謎」に対する答は当然ありませんが、しかし、別役氏の解釈から漏れている要素は予想が付きます。それは「銀河鉄道は、なぜ銀河鉄道なのか」ということです。

「銀河鉄道の夜」が、単にジョバンニの成長小説ならば、別役氏の解釈で充分なのでしょうが、この作品の主人公は、実は「銀河鉄道」そのものだとも言えます。このもう一人の主人公は、なぜ汽車の姿をとり、そして銀河のほとりを疾駆するのか?そこにはおそらく時空の謎、万象の生成と消滅をめぐる宇宙論的なテーマがあるはずで、それが別役氏の視野からは抜け落ちていると思います。

夏の夜、銀河を振り仰いで、そのほとりを走る汽車を思い浮かべれば、この疑問は解けるのかもしれません。あるいは解けないまでも、賢治さんのこころの片鱗はうかがい知ることができるような気がするのですが、さてどんなものでしょうか。

   ★

ともあれ、賢治ファンにはお勧めの一冊です。
別役説に脱帽するか、はたまた別の解釈に到達するか、いずれにしても賢治作品を見る目が豊かになることは請け合います。