パトリック・ムーア氏、死去2012年12月10日 06時23分59秒

「イギリスの野尻抱影」とも呼ぶべき偉大な天文趣味の鼓吹者、パトリック・ムーア氏(Sir の称号を受けているので、本来はパトリック卿と呼ぶべきかもしれません)が、12月9日、現地時間の午後12時25分、イングランド南部のセルジーの自宅で亡くなられました。享年89歳。

BBC NEWS (動画あり)
 Sir Patrick Moore, astronomer and broadcaster, dies aged 89
 http://www.bbc.co.uk/news/uk-20657939

取り急ぎ第一報。
以下、続きは帰宅後に書きます。

パトリック・ムーア氏のこと2012年12月10日 21時24分08秒

今日は思わぬ初雪。
パトリック・ムーア卿(1923-2012)の訃と重なったのは偶然にしても、窓から見える景色がいつにも増して心に沁みます。

ムーア氏は、元はれっきとした英国空軍将校。


禿頭にトレードマークの片眼鏡をかけて、愛用のオンボロタイプライターをパチパチ叩く晩年の姿は、微笑ましくも一寸怪人めいた雰囲気がありました。しかし、写真で見るかぎり、壮年の頃はスラリとした、まことに男っぷりの良い人だったようです(この点は野尻抱影翁もそうでした)。

(36歳のムーア氏)

1つ前の記事で、ムーア氏を「イギリスの野尻抱影」と書きました。
氏は専門の天文学者ではなく、あくまでもアマチュアの立場で情報発信を続けながら、専門家を含む多くの後進を育てた点でも、野尻抱影とよく似た立ち位置の人だったと思います。(ムーア氏の知名度が日本で今ひとつなのは、まさに抱影翁がいたせいかもしれません。もし抱影翁なかりせば、日本でももっとその訳書が歓迎されたかも…)

   ★

ただ、抱影との大きな違いは、その活躍の場が文筆の世界にとどまらず、テレビにまで広がっていたことです。ムーア氏を語るとき、必ず言われるのが、イギリスBBCの天文番組「The Sky at Night」の司会(※)を、長年にわたって続けられた功績です。イギリスでは、氏の名とこの番組は不即不離であり、「同一番組連続最長司会者」というのが、いつの頃からか、氏を語るときの枕詞になっていました。


手元に、「The Sky at Night」の単行本第4巻(1972)があります。1970~72年に放映された内容を書籍化したものですが、その序文で、BBCのオーブリー・シンガーという人が、こんなことを書いています。

「今やテレビの最長寿シリーズとなった彼の番組、The Sky at Nightは、1957年4月に始まった。ロシア人が、小さいながらも偉大な彼らの衛星・スプートニク1号を打ち上げる半年前のことである。それ以来放映された約275本の番組の中で、パトリック・ムーアは宇宙時代が成し遂げた成果と推論を幅広く取り上げ…」

この一文が書かれてから早40年。まさか40年たっても、依然この番組が続いているとは、シンガー氏も予想だにしなかったでしょう。そして、ムーア氏その人が、司会を続けているとは!

(※)「司会」というよりも、語り手/プレゼンターと呼ぶ方が適切かも。

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残念ながら、私は生前の氏とお会いすることはできませんでした。
以前、日本ハーシェル協会の一員として、英国ハーシェル協会の年会に参加したとき、本当はムーア氏も参加されるはずだったのですが(氏は同協会の名誉会長でした)、体調がすぐれず欠席されました。

ただ、以前も書いたように(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/04/20/3209982)、ハーシェル協会の用務で、一度だけお手紙を頂戴したことがあります。あの老タイプライターがカタコト打ち出したお手紙を。。。

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ともあれ、天文趣味の1つの時代が終わったのは確かです。
上で氏のことを老怪人のように書きましたが、実際の氏は誰にも腰の低い、真にジェントルな人であったと言います。心からご冥福をお祈りします。

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以下はおまけ。
『The Sky at Night』第4巻は、たまたま日本関連の記事で始まっています。



1969年10月に発見された「多胡-佐藤-小坂彗星」が、もうじき天空に壮麗な姿を見せることを期待する内容(1970年1月12日放映)。
残念ながら、その期待は裏切られたことが、単行本化するにあたって注記されていますが、氏が日本のアマチュア天文家の活動にも注目していたことが分かる記述です。