12月の星の句、星の歌2012年12月16日 12時31分59秒

いよいよ選挙です。

かつて、これほど争点が多岐にわたった選挙があったかどうか、一寸記憶にありません。もちろん、これまでも国民の生活を左右する重大事はたくさんあったわけで、以前、郵政民営化が争われたときのように、過度に状況を単純化した政治ショーが行われることの方が異常なのでしょう。その意味では、今の方があるべき姿という気がします。確かに分かりにくい選挙ではありますが。

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心を落ち着かせるために、今日の朝日俳壇・歌壇から。

○稲畑汀子氏 選
 
 いちめんの星冬めける夜空かな (東京都)長谷川弥生

都会地で暮らす人にとって、「夜空に星が明るく光って見える」という体験ができるのは、事実上冬だけでしょう。毎年のことながら、秋から冬になり、一気に夜空がにぎやかになる様は、いくつになっても嬉しく、新鮮な感動を伴うものです。
一読了解できる平明な句ですが、こういうふうに散文で書くと長くなることを、短く平明に詠むのはなかなか難しいものです。

○高野公彦氏 選
 
 西空に冬の六角東には春の曲線走る払暁〔ふつぎょう〕 (神戸市)有馬純子

<選者評>
 第一首、暁の冬の大六角(シリウス、リゲル、カペラなどが形作る六角形)と、春の大曲線(北斗七星から牛飼い座、スピカを結ぶ長大な曲線)を詠んだ爽快な歌。

身体が芯から凍る冬の夜明け前、人知れず天空で演じられる雄大な星のドラマ。
西に傾く冬の主役たちと、東から立ち上る春の主役たちの鮮やかな交代劇。
そこに早くも春の予兆を感じ取った作者の感動。
「冬、東、春、走る、払暁」という「は行音」の連続と、「六角、曲線、払暁」という促音・拗音の連なりが織りなす、心地よい音のリズム。
そういった一連のものが相まって、この歌に一種の爽快味を与えているのでしょう。


(なお、ジョバンニの話題はこの後まだ続きます)

コメント

_ S.U ― 2012年12月17日 07時34分58秒

すみません。また(未記入)をやってしまいました。前コメントを消去してやって下さい。どうも一定の周期で定期的にやっているみたいです。
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稲畑汀子氏は、高浜虚子の時代から変わらない「花鳥諷詠」に沿った平明な句を現代においても確実に拾い上げていますね。こういう何気ない自然の力を認識する気持ちはどんな世になってもずっと引き継がれていってほしいです。

_ かすてん ― 2012年12月17日 16時46分18秒

事物と出会って思わず「ああ」という叫びから俳句は生まれる、と山口誓子は書いていましたが、そういう感性を忘れないでいたいものです。

_ 玉青 ― 2012年12月17日 21時51分14秒

○S.Uさま

自然との向き合い方は様々でしょうが、真っ直ぐ、変にひねらずに向き合いたい時も多いですね。
私の場合、若い頃はどちらかといえば「ひねり派」(ひねくれ派?)でしたが、最近は「真っ直ぐ派」に変わってきたようです。
なかなか微妙な違いですけれど、やはり歳月とともに、人の感じ方は一寸ずつ変わるようです。

○かすてんさま

「ああ」と叫び、「うーむ」と唸る。
それ即ち阿吽の呼吸であり、その間にすべての言葉はあるのだとか。
50音が「あ」で始まり、「ん」で終わるのも、深い意味のあることだと聞きました。

_ S.U ― 2012年12月18日 08時00分54秒

>「真っ直ぐ派」
 素直で静かな心で自然に向かえば素人俳人であっても「真っ直ぐ派」の名句が浮かんでくることはあり得ると思います。しかし、それを何百何千と送られて来るであろう凡句の中から選び出す選者(ここでは稲畑氏)の才覚は私には計りしれません。ここには何か深いことが示唆されているように思いますが、すぐには何ともわかりません。

_ 玉青 ― 2012年12月19日 22時11分09秒

>何百何千と送られて来るであろう凡句の中から選び出す

タレントやスポーツのスカウトは、大勢の中からパッと光る人を見つけられるらしいですね。他の分野でも似たような話を聞きます。こういうのは、ご当人にもその理由やプロセスを説明できない、かなり自動化された(意識できない)処理が脳内で行われているのでしょう。

選句の場合も、稲畑氏ぐらいのレベルになると、一つ一つ選り分けるというよりは、「その葉書だけが立ち上がって見える」とか、「読む前にパッと分かる」とか、まあ流石に読まないと分からないかもしれませんが(笑)、それに近い状況があるのかもしれませんね。

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