2013年 元旦2013年01月01日 15時13分29秒

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
早々と賀状を頂戴した方々に、この場を借りてお礼申し上げます。

天文古玩の今年の目標は特にありませんが、近いうちの予定としては、
・「ジョバンニが見た世界」の「時計屋編」をとりあえず完結させる
・そのあと番外として「活版所編」に入る
というのがあります。
あとはすべて流れにまかせます。

買うものも、書くものも、最近変化に乏しいので、少し目先を変えたい気はするのですが、思うばかりでなかなか実行は難しいです。
何か刺激が欲しいです。ぜひ刺激を与えてやってください。

愚か者の記2013年01月03日 22時06分02秒

三ヶ日もあっという間に終わり、世間は明日から仕事始めです。

そろそろ記事の方も通常の内容に戻して、おもむろに「ジョバンニが見た世界」の続きを書こうと思ったのですが、新年早々、買い物のトラブルに巻き込まれて(というか、非は私にあるのですが)、その交渉が妙にややこしく、憔悴しきっています。年の初めからこれでは先が思いやられます。2013年はまさに波乱の幕開けとなりました。
…と愚かしいことを言っていられるうちが、まあ泰平なのでしょう。

たぶん明日には一段落すると思いますが、とりあえず片が付くまでそちらに集中します。

ジョバンニが見た世界…銅の人馬(1)2013年01月04日 21時55分38秒

今日は殊のほか寒い一日でした。でも定時に職場を出たら、まだ西の空がほんのり明るいのに気づき、寒気の底に春のきざしも感じました。
例の買物の一件は、まずは円満解決できてホッと一安心。

  ★

さて、予告通り「ジョバンニが見た世界」の「時計屋編」を続けます。

 ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯や木の枝で、すっかりきれいに飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。  (四、ケンタウル祭の夜)

ここに登場するアイテムは、ネオン灯、ふくろう、宝石を載せて回るガラス盤…etc、いろいろありますが、いずれも以前の記事で取り上げた記憶があります。しかし、この「銅の人馬」については、まだしっかり取り上げていなかったと思うので、そのことを書きます。

   ★

なぜここに人馬が登場するか?といえば、当然ケンタウル祭の晩だから人馬が飾られていたのでしょう(したがって、この星をモチーフにした時計屋のディスプレイは、あくまでも今宵限りのもののはずです)。

天空の人馬といえば、ケンタウルス座射手座(「いて座」と書くと読みにくいので、以下「射手座」と書きます)。いずれもギリシャ神話に登場する異形の存在で、ケンタウルスはこの半人半馬の種族全体を指す名称、そして射手座はこの猛々しい一族の中にあって、例外的に知恵と徳にすぐれた賢者「ケイロン」をモチーフにした星座と言われます。

(Johannes van Keulen の世界地図帳 BOECK ZEE-KAARDT, 1709 に併載された星図(部分)。さそり座をはさんで、左にケンタウルス座、右に射手座)

時計屋に置かれた人馬は(そしてケンタウル祭の祭神は)、ケンタウル祭のシンボルなのだから、当然ケンタウルス座を表しているのだ…と、即断できないのは、ケイロンもケンタウルス族の一人には違いなく、またケイロンの方が祭り上げられるのに相応しい存在と感じられるからです。さらに占星術で言う「人馬宮」は、元々射手座に由来しますから、宗教的シンボルとしては、射手座の方がふさわしいとも言えます。

しかし結論を言えば、これはやっぱりケンタウルス座なのだと思います。

「銀鉄」の世界では、ケンタウル祭の晩に子供たちが星に向って、「ケンタウルス、露をふらせ!」という、一種の唱えごとをする習俗があるようです。時計屋の店先を離れて、ジョバンニが母親のために牛乳を取りに行く途中でも、子供たちは盛んにその声を上げていました。
そして物語の後段、タイタニック号の犠牲者らしい男の子は、銀河の旅の終わり近く、いて座やさそり座を越えて、ケンタウルス座が迫ったところで、「ケンタウル露をふらせ!」と叫びます。…とすれば、やはりケンタウル祭の祭神は、いて座ではなくて、ケンタウルス座そのものなのでしょう。

それにしても、「銀鉄」の世界では、なぜケンタウルスを祀るのでしょう?

たびたび引用している、西田良子(編著)『宮澤賢治「銀河鉄道の夜」を読む』(創元社)には、賢治が盛岡高等農林3年生のとき(大正6年)に詠んだ「わがうるはしき/ドイツたうひは/とり行きて/ケンタウル祭の聖木とせん」という短歌が紹介されています。賢治にとって、ケンタウル祭は、「銀河鉄道の夜」が構想されるよりも、ずっと以前から温めてきたイメージのようです。

賢治にとってのケンタウル祭りとは、どんなイメージのものだったのでしょう?
ケンタウルスには、どんな意味が込められていたのでしょう?

(話が時計屋から遠ざかりますが、ケンタウルスにこだわって、もう少し話を続けます。)

ジョバンニが見た世界…銅の人馬(2)2013年01月05日 13時42分45秒

(昨日のつづき)

もちろん、単純に「ケンタウルス」という語が、ハイカラ好みの賢治の耳に心地よく響いただけだという可能性もあります。
しかし、もしそれ以上の意味があるとすれば、ケンタウルスが有する、まさに「獣人性」が、賢治の心の琴線に触れたのだと想像します。

ちょっと連想が飛躍しますが、賢治は同じ大正6年、異形の存在が舞い踊る岩手の民俗芸能に取材した「上伊手剣舞連」連作や、「原体剣舞連」の歌を詠んでいます。これが後に『春と修羅』所収の名作「原体剣舞連」の詩へと発展しました。

〔…〕
こんや銀河と森とのまつり
准平原の天末線に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
  Ho!Ho!Ho!
〔…〕
太刀は稲妻 萱穂のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

身体の内部からあふれ出る生命の力、人間の中にひそむ自然そのもの、勁く荒ぶる修羅の心、そうしたものを当時の賢治は、ケンタウルスに感じ取ったのではないでしょうか。

とすると、「ケンタウルス、露をふらせ」というフレーズは、従来言われるごとく単純な雨乞いの文句ではなしに、もっとストレートに生と性の発露という意味合いを持っているのかもしれません。
ケンタウルスには、古来「好色で粗野」というイメージがつきまといました。手元の『イメージ・シンボル事典』(大修館)にも、「抑えられない情念、情欲、獣力」などが挙がっています(同時に「魂と知性との結合、宇宙の力、本能」も挙がっていて、そのイメージは多義的です)。そこに雨乞いのイメージを重ねると、古代人が、降雨現象を父なる天空と母なる大地の聖婚と考えたことも連想されます。

(虎を狩るケンタウルス。ローマ時代のモザイク画。
出典:http://www.lessing-photo.com/dispimg.asp?i=10010869+&cr=31&cl=1

先ほどの銀河鉄道の車内の光景に戻ると、あの場面には、幼い姉弟を庇護する青年牧師風の家庭教師が出てきます。彼はジョバンニと唯一神をめぐる問答を交わし、キリスト教的神の存在をジョバンニに得心させようとしますが、ジョバンニは納得しません。キリスト教的神観念を超えた、もっと根源的な「神」があるに違いないとジョバンニは考えているからです。

その直前に、ジョバンニよりもさらに幼い男の子が、「ケンタウル、露をふらせ!」と叫んだわけですが、私は最初、この箇所に強い違和感を覚えました。ケンタウル祭は、キリスト教的伝統の中では、明らかに異教的性格を持つものであり、敬虔なキリスト教教育を受けたはずの男の子が、なぜ「ケンタウル、露をふらせ!」と叫んだのか不思議に思ったからです。

銀河鉄道は死者を運ぶ列車ですが、ストーリーを裏打ちしているのは、強烈な生の観念であり、そこには、生と死を止揚した命のドラマがあるように思います(男の子の姉が語った蠍の説話も、「自己犠牲ノススメ」というよりは、自己の命を滅却して他者の命を燃やす、「命のリレー」という点に力点があるのかもしれません)。

幼児という、より「自然的存在」が、キリスト教的議論を無化するように、星界に向かって「ケンタウル、露をふらせ!」と叫んだことは、やはり大きな意味があるように私には思えます。

…さて、以上の考察を踏まえて、時計屋のショーウィンドウに戻ることにします。

(この項つづく。なお、この項はどこまで真面目でどこから冗談なのか、自分でもよく分からないので、適当に読み飛ばしてください。)


【おまけ】

賢治が学生時代に読み得た、盛岡高等農林の天文学関連の蔵書の中で、ケンタウルス座の表記がどうなっているか、今分かる範囲で調べると、以下の通りです。

・明治12年『洛氏天文学』(ロックヤー著/内田正雄・木村一歩訳)
…センタウルス、センチュアル
・明治38年『天文講話』(横山又二郎著)
 …せんたうるす
・明治39年『宇宙研究星辰天文学』(ニウコンム著/一戸直蔵訳)
 …せんとうるす
・明治43年『恒星解説』(日本天文学会)
 …ケンタウルス
・明治43年『最新天文講話』(本田親二著)
 …ケンタウルス

ケンタウルスの名称は、明治43年以後、日本天文学会がお墨付きを与えてから普及したもののようですが、いずれにしても、ケンタウルス座にまつわる星座神話のたぐいは、上記の諸書には書かれていないので、賢治がケンタウルスに託したイメージは、賢治独自のものだった可能性が高いと考えます。(まあ、文学・神話のコーナーで読んだかもしれませんが…)

ジョバンニが見た世界…銅の人馬(3)2013年01月06日 18時29分15秒

さて、そんなわけで地味に重要な人馬像。

 いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って
 星のようにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬
 ゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。 

時計屋のショーウィンドウの中では、それが何らかの仕掛けによって、ぐるぐる回転しているらしいのですが、どんなふうに回っているのかは謎です。

「銀河鉄道の夜」の各場面を描いた挿絵画家や漫画家の方にしても、人馬像をただ漫然とそこに置いたり、あるいは最初からまったく省略してしまう人が多くて、果敢に「人馬回し」に挑戦されているのは、管見の範囲では田原田鶴子氏ただ一人です。

(田原田鶴子・絵、『銀河鉄道の夜』、偕成社、2000年)

田原氏は、人馬だけが単一で回るのではなしに、いろいろの宝石と一緒に青い硝子盤に乗って、それら全体が回転しているという解釈を取ります。

いっぽう小林敏也氏や、佐藤国男氏は「漫然派」で、回転機構は特に描かずに、何となく添景として画中に登場させています。

(小林敏也・画、『銀河鉄道の夜』、パロル舎、1984年)

(佐藤国男・木版画、『銀河鉄道の夜』、北海道新聞社、1996年)

時計屋の店先を再現する試みにおいて、人馬を本気で回転させようと思えば、私も田原説に立ちますが(それが一番シンプルだと思うので)、まあ小林氏のように、漫然とそこにあるだけでも雰囲気としては十分でしょうから、とりあえず適当な人馬像を入手することにしました。

eBayを覗くと、ケンタウルスのブロンズ像として、以下のようなマスプロ製品が大量に売られています(画像のみ借用)。ただ、私の部屋に置くと絶対に違和感がありますし、何よりも妙に大きかったり重かったりするので、いかに銀河鉄道のためとはいえ、そこまでして貴重な空間を犠牲にすることはできません。



結局、「小ぶりで軽い」というのを決め手にして、以下のような像を買いました。


これはアメリカのアーティスト、 Fred Press(1919-2012)がデザインした人馬像で、高さは約24cm。たぶん本来の用途は、ブックエンドだと思います。ですから、製作年代にしろ、造形にしろ、この品があの場面にふさわしいと主張する気は毛頭なくて、純粋に雰囲気だけの、あくまでも「参考出品」という位置づけです。
(なお、台座に「射手座 Sagittarius」とありますが、肝心の弓矢を持っていないので、これはケンタウルスと呼ぶ方が適当だと思います。)



右下は、将来、田原説に従う場合を想定して、おまけで用意した小さな真鍮の人馬像(こちらは射手座でしょう)。


なお、青銅は銅+錫、真鍮(黄銅)は銅+亜鉛の合金です。

ジョバンニが見た世界(資料編)…プラネタリウム番組から2013年01月07日 16時57分04秒

プラネタリウム番組「銀河鉄道の夜」がYouTubeにアップされているのに気付きました。これまで予告編や、一部は見たことがあったのですが、全編見られることには気が付きませんでした。アップされたのは2011年6月ですから、ずいぶん迂闊な話です。

(別ウィンドウでご覧ください。http://www.youtube.com/watch?v=RhERGX6kZvo

久しぶりに見て、とても懐かしかったです。
と同時に、現在続けている「ジョバンニが見た世界」的観点から、改めて細部の小道具に注目してみて、とても興味深く思ったので、今後の考証の参考として、いくつかイメージを切り取ってみました。




「午後の授業」で使われた星座掛図。一番下が天の南極。その少し上の黄道南極を中心に、座標線は黄緯・黄経が使われています。
方形星図でこういう表現は珍しいし、ましてや学校教育で使われる掛図としては異例です。モデルとなる図の存在は不明ですが、そのヒントは下述。


同じくレンズ型の銀河の模型。番組では、中の光る粒が美しく回転します。


以下、時計屋の店先から。赤い眼が動くふくろう時計。



宝石を載せて回る青いガラス盤。これは美しいデザイン。現実に在ってほしいです。なお、中央に薄青く見えているのは、ガラス盤を支え、かつ回転させている台座です。


星座早見盤。日本天文学会編の星早見見をそのまま登場させています。表記もすべて日本語。



「黄いろに光って立ってい」る「三本の脚のついた小さな望遠鏡」。
合焦ノブの後ろが、さらに2段伸縮になっているように見えるのは、やや不合理?


「いちばんうしろの壁に」掛かる「空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図」。
何となくモデルが分かりそうで分からないのが悔しいですが、よく見ると、これは午後の授業で使っていたのと同じ図です。たぶん、この図を下敷きにして、午後の授業の掛図が制作されたのではないでしょうか。

   ★

さて、「時計屋編」の考証も、上の最後の2つ、望遠鏡と星座図を残すのみです。
ジョバンニが見た世界にどこまで近づけるか…?

ジョバンニが見た世界…小さな望遠鏡(1)2013年01月09日 20時35分29秒

「またその〔=星座早見の〕うしろには三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたし…」  (四、ケンタウル祭の夜)

時計屋のショーウィンドウの奥に鎮座する望遠鏡。
「黄いろに光って」とありますから、真鍮製の望遠鏡にちがいありません。真鍮製のアンティーク望遠鏡は、それこそ無数に存在しますから、ここでは「小さな」という条件だけに注目して、それらしい望遠鏡を適当に置けばよいことになります。

とはいえ、それでは話がすぐに終わってしまってツマラナイので、以下に若干考証めいたことを加えます。

   ★

あの場面を考える最大のヒントは、賢治自身が文章を書きながらどんな望遠鏡を思い浮かべたかを知ることでしょう。そのためには、彼の望遠鏡体験がどんなものであったかを考える必要があります。

草下英明氏は、宮澤賢治と星(学芸書林、1975)に収められた賢治の天文知識についてという論考の中で、次のように書いています。(原文は全体が1つの段落。引用にあたって適宜改行を入れました。)

「次に賢治の天文に関する知識が書物の上や星座の趣味程度に止まらなかった例証として、望遠鏡でも天体を覗いてみたことのある事実を挙げてみよう。

大正13年3月25日に作られた『晴天恣意』という作品には(水澤緯度観測所にて)という副題があって、これが木村栄博士のZ項発見で名高い水沢の緯度観測所を訪れた時の作品であることが分る。

賢治は水沢の観測所をこの時ばかりでなく何度も訪れていたようである。年譜の昭和2年の項にも「凶作の予報あるごとに、盛岡観測所や水沢天文台を訪れて対策を講じ」とあるし、全集第5巻の『風の又三郎』異稿の中に、又三郎が緯度観測所で一休みして、所長の木村博士と技師がテニスをしているのを見て、一寸いたずらをさせている。

けれども賢治が観測所を訪れた目的は、別に望遠鏡を覗く為だけでなく、観測所では天体観測に及ぼす気象現象の影響の研究のため気象観測も同時に行っていたので、主にその方に用事があったからである。だから緯度観測所を頻りに訪れたということが、そのまま望遠鏡を覗いたという証拠にはならない。

しかしながら晩年の手帳詩篇中の『月天子』という作品には、

  盛岡測候所の私の友だちは――ミリ径の小望遠鏡でその天体をみせてくれた

という一節があって、緯度観測所でなく、盛岡測候所の小望遠鏡で月を覗いたことを
教えてくれる。恐らくこの時、月ばかりではなく他の天体、あの『銀河鉄道の夜』に美しくえがかれている白鳥座の二重星アルビレオや、『晴天恣意』で言及しているアンドロメダの連星(多分γ星)等を覗いてみたことであろう。

測候所でもこんな風であったのだから、緯度観測所でも同じ様に再三覗かせて貰ったに違いない。それにしても望遠鏡で得た肉眼では味わえない天体の美を、なぜもっと作品の上に表現してくれなかったかと惜しまれる次第である。」
 (pp.27-28.)

(水沢緯度観測所。過去記事より。http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/02/15/

賢治は地元の測候所や緯度観測所で、何回か望遠鏡を覗いたことがあったようです。
しかし裏返せば、望遠鏡体験をうかがわせる記述が(たぶん)これしかないということでもあり、これはある意味、意外です。

盛岡高等農林学校の研究生時代、あるいは稗貫農学校の理科教師時代に、学校備品の望遠鏡を使用したという話も聞きませんし(※)、稲垣足穂のように身銭を切って望遠鏡を購入することもなかったというのは、「銀鉄」の作者としては、いささか寂しい気がします。

(この項、ねちっこく続く)

(※)賢治が在籍した学校に実際に望遠鏡があったかどうかは、寡聞にして知りません。しかし、賢治よりも早い時期に(=明治の末年)、甲府中学校の英語教師をつとめた野尻抱影は、理科室の望遠鏡を私的に使って、盛んに観望をおこなっていましたから、その頃には教育現場に望遠鏡が普及しつつあったこと、そして教員はそれを自由に使える雰囲気のあったことが伺い知れます。

ジョバンニが見た世界…小さな望遠鏡(2)2013年01月10日 06時04分41秒

昨日につづき、賢治の望遠鏡体験について。

賢治の童話「土神と狐」の中で、主人公の狐は、マドンナである白樺の木と、星について語る中で、つい見栄を張って嘘をついてしまいます。

「見せてあげませう。僕実は望遠鏡を独乙のツァイスに注文してあるんです。来年の春までには来ますから来たらすぐ見せてあげませう。」狐は思はず斯う云ってしまひました。

賢治がこれを書いた頃(発表されたのは賢治が没した翌年の1934年です)、高級望遠鏡の代名詞といえばツァイスだったのでしょう。とはいえ、賢治の望遠鏡に関する実践的知識は、実は「望遠鏡といえばツァイス」という素朴なレベルを、あまり出るものではなかったのでは?…という疑念も同時に頭をかすめます。

(1922年のツァイス望遠鏡の広告。eBayから適当に引っ張ってきた画像です。)

   ★

「銀河鉄道の夜」には、望遠鏡の話題がもう1か所出てきます。他でもない、「午後の授業」の中に出てくる次の一節。

先生がまた云いました。
「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう。」
やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができませんでした。

これはよく考えると妙な記述です。銀河の正体が星であることを明らかにしたのは、これ以上ないというぐらい小さなガリレオの望遠鏡ですから、「大きな望遠鏡でよっく調べる」必要はないはずで、ある程度望遠鏡に親しんだ人であれば、こういう書き方はしないのではないでしょうか。

賢治の天文体験は、基本的に肉眼による星座鑑賞と、想像力と、本から得た知識のカクテルであり、レンズ越しの眺めは、ほんのフレバー程度に付け加わっていただけという気がします。草下氏は「望遠鏡で得た肉眼では味わえない天体の美を、なぜもっと作品の上に表現してくれなかったか」と惜しみましたが、実は「表現するだけの実体験がなかった」せいかもしれません(あくまでも憶測です。識者のご叱正をいただければ幸いです)。

   ★

さて、話を最初に戻して、賢治はどんな望遠鏡を思い浮かべて、あの文章を書いたか?

上で名前の出たツァイスは、少なくとも光学メーカーとして盛名を得てからは、もっぱら白い鏡筒ですから、あの場面にはそぐいません。
また以前も書いたように、「銀河鉄道の夜」に出てくる銀河のイメージには、「午後の授業」で語られる科学的な相貌と、「時計屋の店先」に登場する華やかな神話的相貌の二面性があって、ツァイス望遠鏡は、前者の世界の住人という気がします。いわば「大きな望遠鏡」の輩(ともがら)と言いますか。

いっぽう時計屋の望遠鏡は、それとは対照的な、古風な星座絵との取り合わせがしっくりくるような、お伽チックな望遠鏡であり、だからこそ「小さくて、黄色く光っている」必要があったのでしょう。賢治が思い浮かべた望遠鏡も、明治生まれの彼の目から見ても古風な、19世紀以前のシルエットを持った望遠鏡だったろうと想像します。

(この項つづく)

愚者、たたられる。2013年01月11日 06時12分37秒

今年はやっぱり祟られる年のようです。
昨日、楽しみにしていた品が届いたのは良かったのですが、内容が破損していました。しかも2つが2つとも。(絶句…)

またややこしい交渉の渦中に、厭々ながら飛び込まねばなりません。

こういうことが度々あるのは、「もうそろそろ足を洗え」という天啓かもしれません。いや、天に諭されるまでもなく、そのことは重々分かっているのですが。。。

記事の続き、並びにコメントへのお返事は、状況が落ち着くまで、今しばしお待ちください。

愚者、述懐す。2013年01月12日 20時08分17秒

遠い国に注文した品が、やっと届いたときの喜び!

しかし、いざ箱を開けてみて、大切な品物が無残に壊れているのを知ったときの気持ちは、ちょっと言葉にしにくいものがあります。届く前から、いろいろと想像をふくらませて、ひとり心をワクワクさせていたのに、それが叶わなかった悲しさ。そこには、モノと同時に、本来あったはずの輝かしい未来も同時に奪い去られたような、深い喪失感があります。

しかし、ゆっくり悲しんでいる暇はありません。
家人の罵声にじっと耐えながら、悲惨な証拠写真を撮ったり、売り手にメールしたり、最善の方法をいろいろ忙しく計算したりして、手と頭をフルに動かさねばなりません。

以前、天球儀がバラバラになって届いたときも、悲しみに暮れました。
あのときは、価格が普段の買い物より一ケタ多かったので、ほとんど半狂乱になって、でも全額補償をかけておいたから大丈夫、大丈夫…と自分に言い聞かせて、何日も何日も、海の向うの売り手と、ときには疑心暗鬼になりながら交渉を続けたのでした。

今回は金額的にはまだマシでしたが、それだけに「補償金が下りるまで、また長い日々を鬱々と過さねばならんのか…」という思いが、暗く心にのしかかりました。
日本時間ではすでに日付も変わった頃合い、地球の裏側の売り手に向けてカチャカチャと孤独にメールを打ちながら、出るのはため息ばかりです。

しかし、鬱々としたくないという思いは、売り手も同じだったのでしょう。
今回は、配送業者への事故報告をすっとばして、直ちに部分返金しようという申し出が売り手からありました。そのオファーに乗るか、乗らぬか。

― 結果的に乗りました。
補償金請求の手続きが面倒くさいというのもありましたが、じっと破損箇所を凝視して、これはひょっとして、意外に簡単に直せるのではないかと思ったのも大きな理由です。もちろんリペアすれば、商品としての価値は下がります。その辺の算定をどうするか、都合メールを4往復して、夜明け前に無事円満解決。

今日は一日その修理をしていました。一見したのでは、どこが壊れたのか分からないぐらいにまでなりましたし(そこまで言うと言い過ぎかも。でも私は不器用なくせに、ときとして異常な頑張りを見せるのです)、理科教具本来の機能も損なわれていないので、まずはめでたし、めでたし。(←まことにお目出度い奴。やっぱり愚かなのでしょう。。。)