ジョバンニが見た世界…銅の人馬(1) ― 2013年01月04日 21時55分38秒
今日は殊のほか寒い一日でした。でも定時に職場を出たら、まだ西の空がほんのり明るいのに気づき、寒気の底に春のきざしも感じました。
例の買物の一件は、まずは円満解決できてホッと一安心。
例の買物の一件は、まずは円満解決できてホッと一安心。
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さて、予告通り「ジョバンニが見た世界」の「時計屋編」を続けます。
ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯や木の枝で、すっかりきれいに飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。 (四、ケンタウル祭の夜)
ここに登場するアイテムは、ネオン灯、ふくろう、宝石を載せて回るガラス盤…etc、いろいろありますが、いずれも以前の記事で取り上げた記憶があります。しかし、この「銅の人馬」については、まだしっかり取り上げていなかったと思うので、そのことを書きます。
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なぜここに人馬が登場するか?といえば、当然ケンタウル祭の晩だから人馬が飾られていたのでしょう(したがって、この星をモチーフにした時計屋のディスプレイは、あくまでも今宵限りのもののはずです)。
天空の人馬といえば、ケンタウルス座と射手座(「いて座」と書くと読みにくいので、以下「射手座」と書きます)。いずれもギリシャ神話に登場する異形の存在で、ケンタウルスはこの半人半馬の種族全体を指す名称、そして射手座はこの猛々しい一族の中にあって、例外的に知恵と徳にすぐれた賢者「ケイロン」をモチーフにした星座と言われます。
(Johannes van Keulen の世界地図帳 BOECK ZEE-KAARDT, 1709 に併載された星図(部分)。さそり座をはさんで、左にケンタウルス座、右に射手座)
時計屋に置かれた人馬は(そしてケンタウル祭の祭神は)、ケンタウル祭のシンボルなのだから、当然ケンタウルス座を表しているのだ…と、即断できないのは、ケイロンもケンタウルス族の一人には違いなく、またケイロンの方が祭り上げられるのに相応しい存在と感じられるからです。さらに占星術で言う「人馬宮」は、元々射手座に由来しますから、宗教的シンボルとしては、射手座の方がふさわしいとも言えます。
しかし結論を言えば、これはやっぱりケンタウルス座なのだと思います。
「銀鉄」の世界では、ケンタウル祭の晩に子供たちが星に向って、「ケンタウルス、露をふらせ!」という、一種の唱えごとをする習俗があるようです。時計屋の店先を離れて、ジョバンニが母親のために牛乳を取りに行く途中でも、子供たちは盛んにその声を上げていました。
そして物語の後段、タイタニック号の犠牲者らしい男の子は、銀河の旅の終わり近く、いて座やさそり座を越えて、ケンタウルス座が迫ったところで、「ケンタウル露をふらせ!」と叫びます。…とすれば、やはりケンタウル祭の祭神は、いて座ではなくて、ケンタウルス座そのものなのでしょう。
それにしても、「銀鉄」の世界では、なぜケンタウルスを祀るのでしょう?
たびたび引用している、西田良子(編著)『宮澤賢治「銀河鉄道の夜」を読む』(創元社)には、賢治が盛岡高等農林3年生のとき(大正6年)に詠んだ「わがうるはしき/ドイツたうひは/とり行きて/ケンタウル祭の聖木とせん」という短歌が紹介されています。賢治にとって、ケンタウル祭は、「銀河鉄道の夜」が構想されるよりも、ずっと以前から温めてきたイメージのようです。
賢治にとってのケンタウル祭りとは、どんなイメージのものだったのでしょう?
ケンタウルスには、どんな意味が込められていたのでしょう?
(話が時計屋から遠ざかりますが、ケンタウルスにこだわって、もう少し話を続けます。)
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