ジョバンニが見た世界…小さな望遠鏡(2)2013年01月10日 06時04分41秒

昨日につづき、賢治の望遠鏡体験について。

賢治の童話「土神と狐」の中で、主人公の狐は、マドンナである白樺の木と、星について語る中で、つい見栄を張って嘘をついてしまいます。

「見せてあげませう。僕実は望遠鏡を独乙のツァイスに注文してあるんです。来年の春までには来ますから来たらすぐ見せてあげませう。」狐は思はず斯う云ってしまひました。

賢治がこれを書いた頃(発表されたのは賢治が没した翌年の1934年です)、高級望遠鏡の代名詞といえばツァイスだったのでしょう。とはいえ、賢治の望遠鏡に関する実践的知識は、実は「望遠鏡といえばツァイス」という素朴なレベルを、あまり出るものではなかったのでは?…という疑念も同時に頭をかすめます。

(1922年のツァイス望遠鏡の広告。eBayから適当に引っ張ってきた画像です。)

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「銀河鉄道の夜」には、望遠鏡の話題がもう1か所出てきます。他でもない、「午後の授業」の中に出てくる次の一節。

先生がまた云いました。
「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう。」
やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができませんでした。

これはよく考えると妙な記述です。銀河の正体が星であることを明らかにしたのは、これ以上ないというぐらい小さなガリレオの望遠鏡ですから、「大きな望遠鏡でよっく調べる」必要はないはずで、ある程度望遠鏡に親しんだ人であれば、こういう書き方はしないのではないでしょうか。

賢治の天文体験は、基本的に肉眼による星座鑑賞と、想像力と、本から得た知識のカクテルであり、レンズ越しの眺めは、ほんのフレバー程度に付け加わっていただけという気がします。草下氏は「望遠鏡で得た肉眼では味わえない天体の美を、なぜもっと作品の上に表現してくれなかったか」と惜しみましたが、実は「表現するだけの実体験がなかった」せいかもしれません(あくまでも憶測です。識者のご叱正をいただければ幸いです)。

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さて、話を最初に戻して、賢治はどんな望遠鏡を思い浮かべて、あの文章を書いたか?

上で名前の出たツァイスは、少なくとも光学メーカーとして盛名を得てからは、もっぱら白い鏡筒ですから、あの場面にはそぐいません。
また以前も書いたように、「銀河鉄道の夜」に出てくる銀河のイメージには、「午後の授業」で語られる科学的な相貌と、「時計屋の店先」に登場する華やかな神話的相貌の二面性があって、ツァイス望遠鏡は、前者の世界の住人という気がします。いわば「大きな望遠鏡」の輩(ともがら)と言いますか。

いっぽう時計屋の望遠鏡は、それとは対照的な、古風な星座絵との取り合わせがしっくりくるような、お伽チックな望遠鏡であり、だからこそ「小さくて、黄色く光っている」必要があったのでしょう。賢治が思い浮かべた望遠鏡も、明治生まれの彼の目から見ても古風な、19世紀以前のシルエットを持った望遠鏡だったろうと想像します。

(この項つづく)