天球儀の卒業メダル2013年03月31日 09時55分42秒

今日で3月も終わり。
今日も昨日につづき、卒業にちなんだ話題です。

下の写真は、昔の(1900年ごろ?)フランスの初等教育修了章、つまり小学校の卒業記念メダルです。当時の初等教育は6歳から13歳まで。その間に読み書き計算、それに歴史と地理と理科を習って卒業したので、メダルにはそれらにちなむ品々が鋳込まれています。三角定規、コンパス、分度器、望遠鏡、書物、実験用レトルト、一番下は羊皮紙の巻紙か地図かなんかでしょうか。


それらの中心にあって、ひときわ大きく目立つのがアーミラリースフィア
天球上での星の位置や動きを示すための道具で、一種の天球儀です。

当時のフランスの小学校で、どれだけ天文学が教えられたかは分かりません。少なくとも主要教科でなかったことは確かでしょう。それなのに、アーミラリーがデンと鎮座しているのは、それが天文学のみならず、「人間の知識・学問の総体」を象徴するものという約束事(記号体系)があったからだと思います。学問とはイコール世界を理解することであり、その究極の成果として、こうした宇宙モデルがある…という暗黙の了解があったのでしょう。

それにしても、画像を拡大して初めて気が付きましたが、このアーミラリーには黄道星座も表現されているし、中心の地球儀にはちゃんと経緯線があるし、ほかの物たちもそれぞれ相当細かく表現されています。直径わずか35ミリの円盤上に、小さな小さなレリーフをこしらえた原型師の技もなかなか見事。

ちなみに裏面は月桂樹のリースが表現されています。



【付記】
聞くところによるとフランスの卒業式は6~7月だそうですから、日本とはちょっと雰囲気が違うかも。でも卒業に伴う喜び、不安、哀感…は、万国共通ではないでしょうか。


コメント

_ S.U ― 2013年03月31日 19時15分18秒

>アーミラリースフィア~「人間の知識・学問の総体」

 そうなんですか。天球儀はすごい意味を持っているのですね。
 
 大塩平八郎の肖像画に天球儀(渾天儀)が描かれていますが、これも西洋の象徴的な意味の影響を受けたものなのでしょうか。玉青さんはどう考えられますか。(画像は、「大塩平八郎」で画像検索していただけばなんぼでもかかります) 大塩平八郎が天文をやっていたとか洋学をやっていたとかは聞いたことがないです。ちょっと不思議に思います。

_ 玉青 ― 2013年03月31日 19時54分39秒

あ、本当ですね。これまで大塩の肖像画を目にしながら、全然見えていませんでした。
さっそくウィキペディアの大塩の項を見たら、「師匠・交友」の節に、間重新の名が挙がっていました。そして「大塩は易学に基づき、天体観測によって天意を読み取る試みを続けており、天体観測技術を重新から学んだ」云々とあって、どうやら彼は表看板である陽明学以外のところから天文学に接近したようです。(したがって渾天儀は象徴的なものというよりも、実際に身辺に置いていたのではないでしょうか。)

_ S.U ― 2013年03月31日 21時46分24秒

おぉ、ウィキペディア恐るべし。歴史の教科書にも書いてないことがかいてありますね。この周辺人物のリストは映画のキャスト紹介かと思うほどです。

 天王星を観測した達人・間重新から天体観測を習って、易学で天意を読んだというのがまたすごいです。蜂起の日取りも天意だったとしたら、...これは象徴などという甘いものじゃありませんね。

_ 玉青 ― 2013年04月01日 21時11分09秒

>映画のキャスト紹介

あはは。本当に豪華な顔ぶれですね。
一介の与力とはいえ、これだけの人脈を築き得たのは、やはり大阪という土地柄もあったのでしょうね。

それにしても、大塩と重新の交友はもっと具体的に知りたいところです。
時代的に言って、大塩が重新から天王星観測の苦心を聞かされていたとしても、特に矛盾はなさそうですが、彼のいう「天意」に新惑星の存在は何か訴えかけるものがあったのかどうか…?

ところで『近世日本天文学史』を見たら、大塩平八郎の名前が一か所だけ出ていました。
それは他ならぬ重新が、大塩の乱に際会して、家蔵の儀軌類を守るためにとった処置を報告する文書(報告相手は不明)を引用した箇所(下巻p.673)で、そこには「今朝天満川寄与力屋鋪ヨリ思モヨラザル不容易ノ一大事ヲ発ス 悪賊ノ者乱暴狼藉天満郷船場北辺上町所々飛道具火器ヲ用テ放火シ〔…〕其時ノ騒動其時ノ事状手紙ノ述ブベキ所ニ非ズ」とあります。かつての知友を「悪賊の者」と断じた重新の心情、まさに「手紙の述ぶべき所に非」ざるものがあったのかもしれません。

_ S.U ― 2013年04月02日 07時53分55秒

>「手紙の述ぶべき所に非」
大塩の乱の影響については、町民、庶民では心を動かされて共鳴する人が多かったそうですが、間家は、厳格に真理を見通す観測家、技術者であり、また、幕府から褒賞を受け、かつ、蔵を並べた大商家でもあったことから、実に複雑な心境におちいったであろうことは間違いないと思います。

>豪華な顔ぶれ
 キャストで大塩の敵役の頭目を務めるは、『雪華図説』(1832)を著した下総国古河藩主(当時大坂城代)土井利位ですね。彼は、家老鷹見泉石の協力を得て顕微鏡で雪の結晶を観察しスケッチをしました。大塩の天球儀に対し大坂城代の顕微鏡とは、文化的ハイレベルにうならせるものがありますが、彼らが実力で戦わなければならない窮状にあったことについてはこちらも複雑な心境におちいります。

_ 玉青 ― 2013年04月03日 22時49分44秒

>彼らが実力で戦わなければならない窮状

時代が悪かった…と軽く済ませてはいけませんが、とにかく時代が悪かったですね。
今の時代がいい時代かどうかは、いろいろ意見もあるでしょうが、とりあえず与力と大名の区別もなく、星を眺め、雪を眺め、みなが自由に語り合えるのは良いことだと、部屋の隅で仲良く並ぶ天球儀と顕微鏡を見るにつけ、つくづく思います。

_ S.U ― 2013年04月04日 07時27分40秒

>時代が悪かった
 思うに、江戸時代後期の武士であれば、藩籍や地位が違っても、陽明学だの洋学だの水戸学だのといっても、人生や社会に対するものの考え方のベースはそれほどは大きく違わなかったのではないかと思います。その一方で社会に関わる手段が違うことで激しく争うことになったのだと思います。
 これに対して現代ではどうなのでしょうか。いろいろな考えの人が仲良くしていてそれなりにけっこうな時代だと思いますが、自由なのかやはり江戸期同様社会に縛られているのか、まあ単純には答えられないですね。

+ + +

 天球儀でえらいところまで来てしまいましたが、元来の卒業メダルのテーマに戻します。共感できるデザインなので少し画像検索してみました。
certificat d'etudes, médaille などでグーグル画像検索すると同様のデザインで裏面だけ違う物がいくつか見つかりました。(オークションの画像がいくつかあったのでご存じだと思います) 想像するに、フランスの教育委員会の推奨のシンボルマーク的なものだったのではないでしょうか。役所か学会の紋章でないかと思ってそちらの方面でも画像検索しましたが、天球儀その他の理科機器をごちゃごちゃ集めたデザインのエンブレムは見つかりませんでした。

_ 玉青 ― 2013年04月04日 20時41分18秒

>天球儀でえらいところまで来てしまいましたが

まことに。まあ、仲が良いとも言えませんが、激論の末に白刃一閃ズンベラリンということのない分、相対的に当世の方が安穏だとは言えるんじゃないでしょうか。

ときに、天球儀メダルの情報をありがとうございました。
なるほど、こうして見るといろいろありますねえ。下のリンク先のものは、1954年に授与されたものだそうですから、かなり後の時代まで(ひょっとして今でも?)天球儀メダルはフランスの津々浦々で配られ続けたようですね。
http://rolbenzaken.vip-blog.com/vip/articles/5258504.html
フランス人の小学校時代の思い出には、かすかに天球儀がこびりついているのかもしれません。

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