『星の文化史事典』 を読む2013年04月06日 21時54分09秒

家族の身体にメスが入るということで心配しましたが、幸い無事に終わりました。
経過も悪くなさそうです。
そんなわけで、今はエビスビールを開けて、一寸くつろいでいます。

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病院での落ち着かない時間、無理にでも気を紛らすために、最近買った本↓を持っていきました。人間、切羽詰まると、半ば無意識のうちに何か悠遠なものにすがりたい気になるせいでしょう。

出雲晶子(編著) 『星の文化史事典』、白水社、2012

(表紙を飾るのはコーネルの箱作品、「Cassiopeia #1」)

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思い起こせば、今は成人した息子がまだ幼いころ、流行り病で生死の境をさまよっていた時も、私は病室で星の本を読んでいました。
目を閉じた息子の顔と、眼下の街の灯り、その上に広がる夜空、そして星の本を交互に見ながら夜を明かしたあの時。空が紺から透明な青に、そして白々と明けていく様子を、ある種の感動をもって眺めたのを覚えています。あの時自分が何を感じたのか、今となっては正確に思い出せません。絶望・希望・祈り、そういったもので心がいっぱいになりながら、でも窓外の景色をやっぱり美しいと感じていたように思います。
ひょっとして、私はあの時ほど宇宙と向き合ったことはないかもしれません。

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『星の文化史事典』に話を戻します。
こういうときは、頭を使うものや、ストーリーのあるものよりも、どこから読み始めてもよい、軽いエッセイ風のものの方が心に叶うので、この事典はまさにうってつけでした。

この本の性格については、著者の出雲さん自身が「まえがき」で、「星の文化なんでも雑学事典」であり、「本書を〔天文学、文化人類学、民俗学、あるいは文化史の〕どの棚に並べるのかは本屋の店員さん次第」と書かれているように、これは既存の学問の枠に収まらない、非常にユニークな本です。そもそも、版元が文学色の濃い白水社だというのも、星の本としては異例でしょう。

なぜこういう本が編まれたかといえば、これまた「まえがき」にあるように、「〔…〕星の文化については、全体像がよくわかっていない。個々のジャンル別には詳しく研究されているのだが、それが全部合わさるとどういう横のつながり、勢力図になっているかがピンとこない。それを概観だけでも見てみてはどうかと考え、雑多な星に関連した文化を分野の垣根を越えて集めてみた」というのが、主な動機づけになっています。

ですから、本書は特定の調べ事のツールとして使うよりも、ボンヤリ眺めているうちに、ふと何か新しいことに気づく…というのが「正しい読み方」なのかもしれません。

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本書の見出しは、純粋な五十音順になっています。
しかし、なかなか名詞一語で表現しがたい文化事象も多いので、中にはちょっと強引と思える項目もあります。でも、それがかえって面白い効果を生んでいます。

たとえば、「つ」の項には、月に関する見出しがずらりと並んでいます。
「月犬とランプ」、「月かあさんと太陽かあさん」、「月が夜しか出ない理由」、「月とカエル女房」、「月にいる狼とノロ鹿」などなど。それぞれ、ミャンマー、スーダン、中国、カナダ、ロシアの民話の題です。読み比べてみると、月に寄せる各地の人々の思いが伝わってくるようです。

あるいは、月とウサギの結びつき。これは日本だけでなく、中国にも、インドにも、ミャンマーにもそういう伝承があって、まあそれだけだと、仏教説話とともに伝播したのかなあ…とも思いますが、実はアジアばかりでなく、ロシアにも、アフリカにも、中米のマヤやアステカにもそういう話があることを、本書は教えてくれます。これは単純に月の模様がウサギに似ているからなのか?それとも、もっと何か深い理由があるのか?…考え出すと、にわかにいろいろ興味が湧いてきます。さらに、宇佐神宮の神官・宇佐氏は月読命(つくよみのみこと)の子孫であり、そのためウサギにちなんで「宇佐」を名乗っているのだ…なんていうことも、私は本書で初めて知りました。

あるいは、怠け者の7人の娘が星になったという伝承が、アイヌ民族にもネイティブアメリカンにもあると聞くと、ちょっと偶然とは思いにくいですが、でも前者は北斗七星で、後者はプレアデスだと知ってみると、やっぱり偶然なのかなあ…と思ってみたり。

とにかく縦に読んだり、横に読んだりすると、いろいろ発見のある本です。