続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(6)2013年05月01日 06時28分27秒

ヴンダーカンマーについて、例によってS.Uさんとコメント欄でやりとりしていて、いろいろ気づいたことがあります。(言うまでもないことですが、どなたも議論には自由にご参加ください。当ブログのコメント欄は、井戸端や縁側、ちょっと洒落て言えば古代ギリシャのアゴラ(自由討論の広場)のようなものでありたいと思っていますので。)

その中で思い出したいちばん大切なこと。
それは、私にとってのヴンダーカンマーは昔の理科室に似た場所であり、だからこそ私はそれが好きなのでした。これを忘れちゃいけない。

昔の人にとって、ヴンダーカンマーは文字通り「驚異の部屋」でしたが、子供の頃の私にとっての理科室も、まさに驚異に満ちた部屋でした。人々がヴンダーカンマーに惹かれるのは、実は驚異に満ちた子供時代―その象徴が「理科室」であるかどうかはさておき―を追体験したいという、強烈な願望があるせいではないでしょうか。

(戦前の理科室の標本陳列用戸棚。理科室とヴンダーカンマーの距離は驚くほど近い。堂東傳(著)、『小学校に於ける理科設備の実際』、昭和3より)

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これは私の一人合点かとも思いましたが、東大総合博物館の公式サイトを改めて見たら、果たして次のように書いてあるではありませんか。(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2006chamber_description.html

 「大航海時代の西欧諸国においては、Wunderkammer(驚異の部屋)と呼ばれる珍品陳列室が王侯貴族や学者たちによって競ってつくられたことが知られています。人は誰しも生まれたばかりのときには、目に見えるもの、手に触れるもの、「世界」を構成するありとあらゆるものが「驚異」であったはずです。このような「もの」をめぐる原初的な「驚異」の感覚は、体系的な知の体得へ先立つものであるとともに、新たな知の獲得へと人々を駆り立てる潜在的な原動力ともなっているものです。」
(「驚異の部屋展」の展示概要より)

人類の精神史をさかのぼり、冷たいハードサイエンスが支配する現代から、素朴な驚異に満ち溢れていた熱い時代に立ち返ること、それは自己の精神史の歩みをさかのぼることにもつながるのでしょう。

あるいは逆に、酒ビンのふたや近所の虫を狂的と思えるほど集めたり、お土産にもらった古銭や外国切手を恭しく引き出しにしまっておいた子供時代の心を思い出すと、昔のヴンダーカンマーの作り手たちの気持ちが、しみじみ分かる気がします。

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さて、先日私が書きかけた2番目の疑問は、「アートの世界は自由である」という主張をめぐるものです。と言って、別に難しい議論を始めるつもりはなくて、「ミクロコスモグラフィア」展は、観客の側がどんな見方をしても許されるのかなあ…ということをチラッと思ったのでした。「アートは自由」といっても、それはあくまでも作り手の側について言うことで、受け手の側は、やはり作者の制作意図に縛られるんじゃないか…とも思うわけです。

この疑問は上で書いたこととつながっています。
つまり、私のヴンダーカンマーへのまなざしは、「ノスタルジー」のフィルターが、分厚くかかっています。しかし、もしダイオンの「ミクロコスモグラフィア」展が、そういうノスタルジックな見方を拒むものであったら、私はいったいあの展示とどう向き合えばいいのか?西野氏はこの点について、どう思われるのか…というのが、2番目の疑問でした。

そして第3の疑問は、西野氏とダイオンとの関わりは、果たしていつから始まったのかということ。キュレーターとアーティストという立場の違いはあっても、両者の博物趣味の濃いプロジェクトは、90年代のほぼ同時期に始まっています。これは偶然なのかどうか? 西野氏の営みを歴史に位置付ける上では、なかなか重要な点だと思うのです。

(泥沼から抜け出せないまま、この項つづく)

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(7)2013年05月03日 11時56分46秒

ゴールデンウィークも後半に入り、相変わらず良い天気です。
私の方はなんの予定もなく、記事の方もなんだかよく分からないまま続いています。

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ここで、ちょっと目先を変えて、ダイオンその人に目を向けてみます。
これは、前回書いたような疑問に直接答えるものではないにしろ、それを考えるヒントになるものと思います。
ダイオンの作品観や制作意図、創作史等は、以下の本にまとめられています。


■Coleen J. Sheehy(編)
 Cabinet of Curiosities: Mark Dion and the Universitiy as Installation.
 University of Minnesota Press, 2006


ダイオンは、東大のミクロコスモグラフィア展に先立って、オハイオ州立大学ウェクスナー芸術センター(1997)や、ミネソタ大学ワイスマン美術館(2000)でも、大学が秘蔵(あるいは死蔵)している学術資料を使って、驚異の部屋をテーマにしたインスタレーションの展示を行っています。上の本は、その一連の活動を回顧的にまとめたものです。

(The nine cabinets of Mark Dion: Cabinet of Curiosities. ミネソタ大学ワイスマン美術館。出典:http://nevolution.typepad.com/theories/2010/06/mark-dion.html

残念ながら、私の英語力だと理解しがたいところも多いのですが、パラパラ見て何となく分かったのは、彼は「世界(世界そのものと、それに関する人間の知識)」を目に見える形で表現するこや、ミュージアムの歴史を相対化するこに関心があり、その手段として、かつてのヴンダーカンマーを参照しているということ、そして、ヴンダーカンマーは「科学の揺籃期」と同時に「魔術の死」をも表現しているがゆえに面白いと考えていることです。そう言われると、なるほど…と思える点が多々あります。

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以下に適当訳するのは、オハイオ州立大学のビル・ホリガンとの対話の中で、ダイオンが語った言葉で、2003年現在での意見です(上掲書所収)。さらに10年経った現在では、また違ったパースペクティブを彼は持っているかもしれませんが、一応彼の肉声として挙げておきます。

まずは彼が驚異の部屋に取り組み始めたころの世間の有様と、その後の状況について(以下、改行は引用者。自分へのメモとして註も付けておきました)。

「1990年代の初め、つまり僕が古いコレクションに関するいろんなアイデアに興味を持ち始めたころからすると、文化的状況はいろいろと興味深い変化を遂げたね。

当時、驚異の部屋という事象を扱った本は、ほんの少ししか出ていなかったし、そのわずかな例外にしたって、見つけるのがとても難しくてね。古いコレクションに関心を示す人もごく少なくて、その最大の例外が、ロサンゼルスのジュラシック・テクノロジー博物館にいたデイビッド・ウィルソンとその仲間たちさ[1]。デイビッドの献身と才能に刺激を受けたのは、僕だけじゃなくて、「美術界“art world”」の周辺にいたアーティスト全てがそうだったと思う。ロザモンド・パーセルの仕事も重要だったね[2]

もちろん、ヨーロッパに目を向ければ、ジャン=ユベール・マルタンが企画したシャトー・ドワロンもあったし[3]、カール・エルンスト・オストハイム美術館におけるミヒャエル・フェールの取り組みとか[4]、ゲルハルト・テーヴェンが始めた「サロン」誌とサロン出版社の事業なんかもあった[5]

今では、驚異の部屋というパラダイムも、本当にありふれたものになったようだね。この話題を取り上げた、たくさんの学術的な、あるいは一般向けの著作が出ているし、通俗的なヴィジュアル本(coffee-table art book)まであるぐらいだから。

〔驚異の部屋という〕このモデルは既に歴史のゴミ箱から救い出されたと言い切っていいんじゃないかな。スミソニアンのように、きわめて公的でお堅い機関ですら、驚異の部屋を取り上げようとしたぐらいだし。このモデルのいろいろな側面を復活させたいと望んだ我々の目標は、ある程度達成されたように思う。

でも、こういう驚異の部屋との向き合い方は、たいてい驚異の部屋の単なる模倣というか、驚異の部屋を生きた存在ではなしに、歴史的モデルとして組み立てているに過ぎないよ。たぶん、これまでの実践パターンではまだ実現できていない、自由な開放感(openness)とか、幻想味と驚異の念とか、力動感とかが残されている限り、オハイオ州立大学やミネソタ大学、あるいは東大の各プロジェクトが発展させてきた手法を、今後も用いる正当な理由は依然あるのだろうね。」
 (上掲書pp.41-42)


(ダイオンの声に耳を傾けながら、この項つづく)


[註1]
▼David Wilson と Museum of Jurassic Technology については、以下の本に詳しい。
ローレンス・ウェシュラー(著)、大神田丈二(訳)、『ウィルソン氏の驚異の陳列室』(みすず書房、1998)。
 以下は、同書裏表紙の紹介文より。
  「〔…〕屍に釘のような菌を生やす大きな蟻、物体を貫通するコウモリ、人間の角、トーストの上で焼かれたハツカネズミ…ここを訪れる者は二つのワンダーの間に捉えられてしまう。展示物に対する驚きと、どれが本物なのだろうという疑いの間に。
 この博物館を創ったデイヴィッド・ウィルソン氏が求めるのも、驚異の感覚そのものなのだ。人間の真の想像力を生み出す驚きの感覚、そして、これこそは近代の黎明期に西欧の各地に数多く存在した「驚異の部屋」と呼ばれるコレクションの、まさに動機となるものだった。〔…〕」 
▼ジュラシック・テクノロジー博物館公式サイト http://mjt.org/

[註2]
▼Rosamond Wolf Purcell は写真家、コラージュ作家。本人の公式サイト(http://rosamondpurcell.com/)はまだ工事中の模様。そのトップページを飾る、以前ネットで見てギョッとした↓の画像は、彼女のコラージュ作品らしい。
▼パーセルについては、以下のページにも関連記述あり。
http://www.erraticphenomena.com/2008/09/rosamund-wolff-purcells-forgotten-t.html

[註3]
▼フランスのポワトーにある15世紀に建てられた城館、「Château d'Oiron」は、1993年以降、「Curios & mirabilia(好奇心と驚異)」をテーマにした現代美術の展示場となっている。そのディレクターであるJean-Hubert Martinは、1989年にポンピドゥ・センターで開催された、「大地の魔術師たち」展の企画をしたことで有名。
*参照ページ
http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%AD%E3%83%B3
▼シャトー・ドワロン公式サイト http://www.oiron.fr/index.html

[註4]
▼Karl Ernst Osthaus Museum はドイツのハーゲンにある現代美術専門の美術館。Dr. Michael Fehrは現館長。1990年以降、その収集テーマは、「自然界の関係(natural relations)」、「歴史の自覚(awareness of history)」、「瑣末な機械(trivial machines)」、「性役割(gender)」、「ミュージアムのミュージアム(museum of museums)」に特化しており、最後のテーマを具現化するものとして、「ジュラシック・テクノロジー博物館ドイツ分館」の看板も掲げている。
*参照ページ
http://www.thebestinheritage.com/presentations/2003/karl-ernst-osthaus-museum-hagen,132.html
▼カール・エルンスト・オストハウス美術館公式サイト
http://www.osthausmuseum.de/web/de/keom/index.html

[註5]
▼雑誌「Salon」は、Gerhard Theewenが、まだデュッセルドルフ芸術学院彫刻科に在学していた1977年に始めた美術雑誌。1993 年に終刊。その後、テーヴェンは1995年に美術書専門のSalon Verlag 社を設立。同社はマーク・ダイオンの本も複数手掛けている。
*参照ページ
http://www.artists-pub.eu/presentations/publishing-houses/salon-verlag-edition/
▼Salon Verlag & Edition 公式サイト http://www.salon-verlag.de/

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(8)2013年05月04日 08時55分10秒


(昨日の記事に出てきた、シャトー・ドワロンの展示風景。↑はバハマ生まれの作家、Ian Hamilton Finlay による、写真・シルクスクリーン・バラの植え込み・養蜂巣箱から成るインスタレーション作品。この城館で追求されているのは、理科室趣味とは異なる「驚異の部屋」らしい。)

昨日のダイオンの発言から、1990年代に世界のあちこちでヴンダーカンマーの再評価が、おもにアートの文脈でなされはじめたこと、東大に拠った西野氏の試みは、極東の孤独な営みではなく、こうした世界的な動きの中に位置づけられるべきことが見えてきました。

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ダイオンの言葉をさらに続けます。

 「僕は1990年代の初期から、ルネッサンス期のコレクション、つまり驚異の部屋(Cabinet of Curiosities)をなぞることに心を奪われ、知識を可視化した領域としての博物学の歴史を調べ出したんだ。そして、世界の構造に関する理論として、ヴンダーカンマーのロジックが持ついろいろな側面を取り入れた作品を作り始めた。たとえば、ソンスベーク’93〔註:オランダ・アルンヘムで行われた美術展〕の出品作とか、あるいは「Scala Naturae(存在の階梯)」と題した、アリストテレスの宇宙論や階層的な分類学を、立体作品の形でパロディ化することを狙ったものとか。」 (前掲書p.31)

(Mark Dion, "Scala Naturae," 1994.
 出典:http://www.art21.org/images/mark-dion/scala-naturae-1994

 「驚異の部屋をめぐる僕の作品は、言うなれば静物画、つまり文字通りのコレクションというよりは、啓蒙期以前のコレクションの似姿(representations)に近いのかもしれない。明らかに、僕が目指しているのは何か特定のコレクションを再生することではないし、百科全書的収集の背後にある精神を追求しようというわけでもない。僕のアプローチは決して純粋でも、正確でも、断固たるものでもないんだ。僕は過去の再演者ではないし、ノスタルジックでもない。」 (同p.38)

この辺がダイオンの立ち位置なのでしょう。
彼はたしかにヴンダーカンマーを面白がってはいますが、ヴンダーカンマーそのものを、厳密に再現することを目指しているわけではなく、それはあくまでも1つの表現手段に過ぎません。では何を表現しているのかといえば、それは世界と世界に関する知識であり、要は、ヒトと宇宙の関係ということでしょう。そこにノスタルジーが入り込む余地は少ない。

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さらにダイオンの場合は、そこで素材として使われる古い剥製や標本、器械類は、象徴的に使われているだけで、原理的には他のモノでも代替可能であり、モノそのものへのこだわりはゼロです。質感さえクリアできれば、フェイクでもOKで、彼はむしろ意図的に、樹脂製の「ホットドックの化石」のような自作フェイクを展示に紛れ込ませたりもします。こうしたモノへのこだわりの有無が、たぶん西野氏との大きな分水嶺だと思います。

西野氏は、ミクロコスモグラフィア展の図録の中で、「暴論との誹りを覚悟であえてこのように言おう、世の中にはモノを集めるのが好きな人とそうでない人のふた通りしかいない、と。もちろんかく言うわたしは前者に属する。」と言い切っています。
そして、同展について語った著書、『ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの驚異の部屋 講義録』(平凡社、2004)では、徹頭徹尾、モノの来歴・背景・価値に関する「モノがたり」に終始し、ダイオンと鮮やかな対照を見せています。
(たぶん、西野氏は驚異の部屋にノスタルジーを重ねることに、より寛容なのではないでしょうか。)

ダイオンは西野氏のそうした思いをよく理解し、当時、両者の間には一種の黙契が成り立っていました。

 「ミクロコスモグラフィア展(2002)は、大学の物質文化(material culture)の保存を訴える西野博士のキャンペーンを大いに助けた点で、一種の政治的機能も果たしたね。彼の博物館のコレクションの基礎は、彼が自らの手で文字通り大学のゴミ箱から引っ張り出してきたものさ。彼は今、毎週自分の学生たちをゴミ探しに遣って、無関心で無知な学部がどんなお宝を廃棄しようとしているのか調べさせている。僕は文化財保存推進の広告塔として使われることに喜んで甘んじたよ。 (同p.38)

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書いているうちに、だんだん泥沼から浮上して、西野氏の営みの何たるかがちょっと分かってきたような気がします(あくまでも個人的にですが)。

(そろそろまとめに入りつつ、この項もう少し続く)

未来を生きるボクたち、ワタシたち2013年05月05日 05時33分28秒

驚異の部屋についての話題が続いていますが、ちょっと箸休め。
「天文古玩」とは全然関係ありませんが、黄金週間特別篇として。

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「時の流れ」の謎は、人類にとってこれからも永遠に謎であり続けるでしょうが、最近、過去・現在・未来の不思議さを、ふと感じる出来事がありました。

先日、わけもなく大友克洋さんの「AKIRA」を無性に見たくなって、YouTubeで探したら、英語版がアップされていたので、ボーっと眺めていました。そして作品の舞台が2019年と知って、ハッとしました。20世紀に、リアルタイムで連載を読んでいたころ、2019年はずいぶん遠い未来でしたが、いつのまにか6年後に迫っていて、「自分は今、たしかに“未来”を生きているのだなあ」と、しみじみ思ったのでした。

(ネオ東京の街並みを疾駆する金田と鉄雄)

で、他の作品はどうかと思って、自分が子供の頃、あるいは息子が子供の頃一緒に見た作品を中心に、何やかんや調べてみました。(たぶん、こういうことに関しては、どこかに物凄く詳しいページがあると思うのですが、すぐには見つかりませんでした。もしご存知でしたら、お教えください。)

【付記】 記事をアップしてから、息子に円道祥之(著)『空想歴史読本』(メディアファクトリー)という本の存在を教えられました。この話題に関心を持つ人は、少なくない様子。ただ、データが増えても、下に述べる感想は変わらないですね。

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創作世界の「未来」年表
(作品の中でも時間経過があるので、年次を1つに決められない作品もあります。以下は物語のスタート時点を基準にしました。なお、年代には一部異説もあります。いずれもネット上のチラ見情報なので、間違いもあると思いますが、一応ご参考までに。)

1975年  初代ウルトラマンの舞台
1987年  ウルトラセブンの舞台
199X年  北斗の拳の舞台
1998年  機動警察パトレイバーの舞台
2003年  鉄腕アトム誕生
2005年  勇者王ガオガイガーの舞台
2009年  超時空要塞マクロスの舞台(1999年、異星人の巨大宇宙船が落下)
2010年  映画ロボコップの舞台
2015年  新世紀エヴァンゲリオンの舞台(2000年、セカンドインパクト)
2018年  映画ターミネーターで、ジョン・コナーを中心に人類と機械が戦っている時代
2019年  AKIRAの舞台(1982年、新型爆弾で東京が崩壊)
202X年  電脳コイルの舞台
2028年  未来少年コナンの舞台(2008年の最終戦争から20年後)
2029年  攻殻機動隊の舞台
       (ただし、最初から現実と異なるパラレルワールドという設定)
2065年  サンダーバードの舞台(2026年とする設定もあり)
2112年  ドラえもん誕生
2122年  漂流教室(小説版)の舞台(漫画版ではもっと近い未来だったような…)
2122年  エイリアン第1作の舞台
2155年  火の鳥生命編(クローン人間を使った殺人番組作りが企画され…という話)
2199年  映画マトリックスの舞台
2199年  宇宙戦艦ヤマトの舞台
2221年  銀河鉄道999(TVアニメ版)の舞台
2221年  宇宙海賊キャプテンハーロック(TVアニメ版)の舞台(漫画版では2977年)
2264年  スタートレック初回シリーズ(宇宙大作戦)の舞台
2482年  火の鳥復活編(人造細胞を使って復活した主人公が、ロボットを人間と
       誤認識し、愛するロボットと駆け落ちして…という話)
2577年 火の鳥宇宙編(ベテルギウス第3惑星から地球に向かう宇宙船内で
       操縦者が自殺してしまい…という話)
30世紀 スーパージェッターの元の時代
3404年 火の鳥未来編(この頃、人類は世界5か所の地下都市で細々と
       生き延びているが、やがて核戦争で絶滅)
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あの頃の「未来」を、すでに追い越してしまったものも多くて、なんだか妙な気分です。
まあ、思ったより繁栄も、荒廃もしてないなあ…というのが素朴な感想ですが、これはむしろ人間の想像力について何かを物語るものでしょう。

結局、あの当時の「未来」は何一つ実現することなく、すでに「過去」になってしまいました。でも、それは「過去」でありながら、「未だ来らざるもの」という意味で、依然「未来」のような気もします。それに、あの当時の自分にとって、<現実世界の未来>と、<創作世界の未来>は、いずれも「現に存在しないもの」という意味で仮構的な世界でしたが、一方はこうして現実化し、他方は想念の中だけにとどまっている。当たり前のことですが、それも不思議といえば不思議です。

10年後、20年後に、この記事を読み返したら、また別の感慨を抱くかもしれません。

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(9)2013年05月06日 10時37分11秒

結局、ゴールデンウィークは何もせずダラダラしてしまい、そのおかげで小まめにブログは更新できましたが、世間のモノサシで言うと、これは非常にダメな過ごし方なのでしょう。反省と悔悟とともに、連休最終日を迎えました。

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さて、西野氏と東大ヴンダーのつづき。
西野氏は、かなり早期からヴンダーカンマーをめぐる美術界の潮流に自覚的だったと想像しますが、それを自ら実践するには、そのための器が必要であり、それが東京大学総合研究博物館・小石川分館だったのではないでしょうか。

(雨の小石川分館。2006年11月に訪問時の写真)

本郷には本郷の事情があり、官学の常として前衛的な試みを喜ばない空気もおそらくあったはずで、西野氏はそれを乗り越えるために、以前書いたところの「表芸」には本郷本館を、「裏芸」には小石川分館を、という使い分けを意識的にされていたように思います(←すべては憶測です)。

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明治の擬洋風建築である「旧東京医学校本館」を転用した小石川分館がオープンしたのは2001年11月。その開館1周年を記念する催しが、マーク・ダイオンの「ミクロコスモグラフィア」展でした。
以下、総合研究博物館のサイトにある「過去の展示」のページ(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/index_past.html)から、小石川分館の各展示がどのように自己規定されていたかを書き抜いてみます。

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まずは、改めてMICROCOSMOGRAPHIA―マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展(2002年12月17日~2003年3月2日)から。

同展は、「120 年を超える東京大学の歴史のなかで蓄積されてきた多種多様な学術標本を用いたアート・インスタレーション」であり、「ミュージアムの「原風景」を、科学(サイエンス)と芸術(アート)の関わりからあらためて掘り下げてみせる展示」だと称しています。

これまで繰り返し書いたように、この展覧会は全体が1つの「アート作品」であり、アートとサイエンスの関わりを、はっきりとアート側から表現したものでした。

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次に、このコスモグラフィア展の後を受け、マーク・ダイオンの作品を換骨奪胎して、西野氏オリジナルの常展企画として始まったのが、COSMOGRAPHIA ACADEMIAE―学術標本の宇宙誌」展(2003年3月19日~2006年2月19日)でした。

本展は、医学・自然(動物・植物・鉱物)・建築・工学という4 つのセクションから構成され」、「これら〔=標本・掛図・模型・機器・什器〕のコレクションの学術的位相とともに、骨・剥製・植物・鉱物あるいは木・石・金属・なまりガラスなど、標本1 点1 点の質感のヴァリエーションを重視し、標本を支える什器も古いものを中心に厳選して相互に最適な組合せを模索することで、全体として一つのアート作品に比肩しうる三次元「小宇宙」の実現を図った」ものでした。

ここでもやはりアートへのこだわりは明瞭ですが、その一方で、タイトル通り「学術」が強調され、コレクションそのものの価値を前面に出して訴えている点に、西野色が出ているようです。

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さらにその後、6年半の長きに及ぶ驚異の部屋―The Chambers of Curiosities」展(2006年3月9日~2012年9月30日)が始まります。

本展は、常設展示「COSMOGRAPHIA ACADEMIAE―学術標本の宇宙誌」へ新たな標本や什器を加える形でスタートした」ものです。「東京大学草創期以来の各分野の先端的な知を支えてきた由緒ある学術標本をもとに、「驚異の部屋」を構築し、「大学の過去・現在・未来へ通底する学際的かつ歴史的な原点とは何なのかということ」を問いかけようという意図が込められていました。

「コスモグラフィア・アカデミアエ」展と、この「驚異の部屋」展とは何がどう違うのか?上の説明では、後者は前者に「新たな標本や什器を加える形でスタート」したとあります。私は前者を見ていないので何とも言えませんが、当時の観覧記↓を拝見する限り、両者はほとんど同じもののように見えます。

陰影礼賛:強行旅行2(by かなゑ様)
 http://undergrass.air-nifty.com/bosch/2006/02/2_172f.html
日毎に敵と懶惰に戦う:小石川から秋葉原、銀座(by zaikabou様)
 http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20050312/p1

結局、小石川ではマーク・ダイオンの「コスモグラフィア」展から数えて、ちょうど10年間、「驚異の部屋」をテーマにした展覧会が延々と続いていたことになります。

この間、本郷本館では多様なテーマで、実に多くの展覧会が行われたことを考えると、小石川分館の展示の「賞味期限の長さ」、つまり完成度の高さと、訴求力の持続性がよく分かりますし、西野氏の「驚異の部屋」への愛着ぶりもうかがえるように思います。

(この項、いよいよ次回完結の予定)

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(10)2013年05月07日 05時54分03秒

小石川では、「驚異の部屋」以外にも、「裏芸」系の実験的展覧会が折々開かれました。それぞれにアート色のきわめて濃いもので、西野氏の指導する博物館工学ゼミの学生さんが主体的に参加していたことから、いずれも西野氏が全面的に関与したイベントだったのでしょう。

1つは、2004年に開かれた森万里子―縄文/光の化石トランスサークル」展です(10月16日~12月19日)。
 
 「国際舞台で華々しい活躍を続ける日本人美術家森万里子とのコラボレーション展示。現代社会の「文化状況」を一身に具現する美術家が、人類先史部門の所蔵になる麻生遺跡出土縄文晩期遺品「土面」(国指定重要文化財)から強い霊感を得て、現代の先端的テクノロジーを駆使した作品を制作し、小石川分館内に仮設した。〔…〕文字通り、「アート&サイエンスの協働」の成果である」

…という内容で、何だかおどろおどろしい印象です。

もう1つは、2005年の国際協働プロジェクト―グローバル・スーク」展です(5月27日~8月28日)。

 「イタリア人建築家セルジオ・カラトローニ、ミラノ在住の服飾評論家矢島みゆき、サンパウロのカーサ・ブラジリエイラ国立美術館館長アデリア・ボルヘス、総合研究博物館西野嘉章の4 人の呼びかけにより、欧州、アフリカ、アジア、南北アメリカなど、世界各地の人々から寄せられたさまざまな人工物約300 点を観覧に供することで、人間の有する造形感覚、表現手法、価値体系がいかに多様か、その多様性を相互に認め合い、結び合う寛容さこそが、現代社会に分断をもたらしている言語、宗教、文化、人種の隔てを克服する上でいかに大切かを、視覚的かつ悟性的に理解させようとするもの。〔…〕グローバリズムとトリヴィアリズムの対立項の止揚という、優れて今日的な課題にひとつの解答を見出そうとする試み」

…という、すぐれてコンテンポラリーな、メッセージ性の強い企画で、西野氏の面目躍如たるものがあります。東大総合研究博物館という、美術プロパーでない場所でこうした企画が実現したのは、驚きを通り越して、むしろ不思議な気すらします。

   ★

そして、小石川とインターメディアテクとを架橋する展示が2010年にありました。
オーストラリアの現代美術家、ケイト・ロードを迎えたファンタスマ―ケイト・ロードの標本室」展です(11月6日~12月5日)。


 「当館では「アート&サイエンス」をテーマのひとつに掲げ、これまでにも両世界を架橋するさまざまな展覧会や、ファッションショー、演劇などのイベントに意欲的に取り組んでまいりました。〔…〕 このたびはその一環として、特別展示『ファンタスマ―ケイト・ロードの標本室』を小石川分館にて開催する運びとなりました。本展は、丸の内地区に2012年オープン予定の総合文化施設「インターメディアテク(IMT)」のプレイベントとして位置づけられています。」

 「近世の王侯貴族たちの珍品陳列室では、ドラゴンや人魚、ユニコーンの角といった架空の動物もその一部を飾っていたように、彼女が表現する「フェイク」の動物や自然物、そして空間は「驚異の部屋」本来のあり方を今に感じさせるにふさわしい創造的で魅力的な要素となります。明治期に旺盛した擬洋風建築である小石川分館の空間内に、当館が所蔵する学術標本で構成された現代版「驚異の部屋」とロードがそれに着想を得て制作したサイトスペシフィックな新作の数々を織り混ぜたインスタレーションを展開させます。「まぼろし」「幻影」を意味する「ファンタスマ」をタイトルに掲げた本展覧会は、過去と現在、学術と芸術、実在と架空という既存の領域を横断した重層的な未知の世界へとわれわれを誘い、人々の驚きや好奇心を喚起する斬新な取り組みとなることが期待されます。」


「アート&サイエンス」をテーマにした現代版「驚異の部屋」。そこに「まぼろし」の影を重ね、過去と現在、実在と架空の境をも越える、さらなる驚異の空間を現出せしめようというのです。それをインターメディアテクのプレ行事と位置付けた西野氏の思いについては贅言無用でしょうが、インターメディアテクの、あの学術標本という「ファクト」たちの間を、黒々とした「ファンタスマ」の霧が流れていることは、銘記されてよいのではないでしょうか。

   ★

さて、こうして話はインターメディアテクに続きます。
改めてこの連載の始まり↓に戻って、全体を通読すると、西野氏の軌跡がそこに浮かび上がるのかどうか?それは定かではありません(と言うか、我ながら論旨のはっきりしないところがたくさんあります)が、ひと月前と比べると、インターメディアテクを見る目がちょっと変わったのは確かで、それを以て自らの成果とします。

東大発ヴンダーの過去・現在・未来
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/04/02/6765240
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(1)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/04/22/6786696


(とりあえず、この項は今回で完結です。)


【おまけ】

一昨日の駄文書き終わった後、ヴンダーカンマーについてモヤモヤしていたことに、ちょっとした気づきが得られました。ですから、あれもまったくの無駄ではありませんでした。

その「気づき」とは、ヴンダーカンマーとノスタルジーとの関係についてです。ヴンダー(英語のワンダー)は「未知」を本質とするのに、ノスタルジーは「既知」を前提にした感情ですから、両者を重ねることには、基本的に無理があるぞと気づいたのでした。

もちろん、人間には「初めて見るのに懐かしい」(déjà vu)とか、「よく知っているはずなのに、初めてのような気がする」(jamais vu)という心の動きもあるので、ヴンダーとノスタルジアが結びつく可能性もなくはないでしょう。いや、私の中では現に結びついているのですが、でも少なくとも、往時のヴンダーカンマーの作り手からすると、私の思い入れは、一寸いぶかしく感じるかもしれないなあ…と思いました。

新緑の理科室2013年05月08日 20時10分44秒

5月に入り、爽やかな日々が続いています。
今日、通勤電車からぼんやり外の景色を眺めていたら、
朝の麦畑に風が吹き渡り、緑の波が大きくうねるのが見えました。
麦が黄金色に熟せば、夏近し―。

   ★


緑あふれる窓外の景色と、暗く沈んだ実験室。
その中で透明な光を放つフラスコ、冷却器、試験管。
理科実験の様を、これほど詩情豊かに描いた絵葉書は他にないでしょう。

この絵葉書は「金沢医科大学付属薬学専門部」が発行したものです。
大正11年(1922)に、「旧・金沢医専薬学科」が上記のように改組したのを記念して発行されたもので、同年の消印が押されています。

下に「まごうた」とあって、「え、馬子唄?」と最初不審に思いましたが、これは右から「たうごま」と読むのでした。すなわちトウゴマ(唐胡麻)のこと。窓の外に青々と茂っている、ヤツデのような葉っぱの草がそれです。

トウゴマは、下剤にも使われる「ひまし油」の原料で、たぶん種子から油を抽出する手順が実験実習に含まれており、これはその場面を描いた絵葉書だと思います。
(したがって、この部屋は理科室というよりは、もうちょっと高度な実験室なのでしょうが、ここでは理科室ということにしておきます。)

フラスコについてのメモ2013年05月10日 06時04分09秒

フラスコは、本来何語か?

ウィキペディアには、「フラスコ (葡: Frasco、英: Flask)」とあって、ポルトガル語とも英語とも、どっちつかずの書き方がしてあります。しかし、林田明氏の「南蛮語拾遺―南蛮渡来の外来語―」(↓)には、明快にポルトガル語由来だと書かれていました(オランダ語に由来する用法も、江戸時代の途中からはあった由)。

 http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/nichibun/Gobun_08_hayashida.pdf 

 フラスコ(Frasco) (ポ) <水注子・水差・水指>
 ギヤマン(diamant)ガラス(glas)コップ(Kop)などはオランダ語であるが、これはポルトガル語である。主としてガラス製の水差瓶を呼んだ。オランダ語のフラスコ(Flask)は徳川時代に入り輸入された首の長いガラス瓶で今も化学実験等に用いられるが、フラスコの名称は南蛮語が紅毛語より先であった。」
 (上記ページより引用)

…というわけで、下のような嬉しい用例もあるわけです(理科室で先生が一杯やっているわけではありません)。

  フラソコの 酒の淡さよ 夏浅し  小泉迂外

(和の情緒を味わうため、部屋に短冊を掛けてみました。)


星のお菓子2013年05月11日 11時12分51秒


(PARLOR RED COMET のメニュー。 鴨沢祐仁・『クシー君のピカビアな夜』より)

蛍以下さんに、なんとも素敵なコメントをいただきました。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/03/29/6393910#c6805694
惑星を飴玉にするならば…という話題です。

蛍以下さんご自身は、「あまりしっくりこない」と言われながらも、下記のような提案をされました(蛍以下さんの苦心については、コメント欄でご確認を)。

 水: 水色でラムネ 
 金: オレンジ
 地: 青と白のマーブル(ソーダとミルク)
 火: 赤でイチゴ味
 木: チョコバナナ味
 土: 緑でメロン
 天: 黄緑でマスカット
 海: ソーダ
 冥: 薄荷
 太陽: パイン
 月: レモン


しっくりこないどころか、なかなかどうしてピッタリのラインナップではないでしょうか。

   ★

この話題は、稲垣足穂の「星を売る店」を、ただちに連想させます。
神戸の山ノ手のとある街角で、青く輝くショーウィンドウに目をとめた主人公。不思議に思って近づいて見ると…

「何と、その小さいガラス窓の内部はきらきらしたコンペイ糖でいっぱいではないか!
 ふつうの宝石の大きさのものから、ボンボンのつぶくらいまで、色はとりどり、赤、紫、緑、黄、それらの中間色のあらゆる種類がある。これが三段になったガラス棚の上に乗せられて、互いに競争するように光っている。」

店員に問いただすと、その正体は紛れもなく本物の星だという話。世界でいちばん天に近い、エチオピア高原の某所で、現地の男たちが先に袋のついた長い竿で集めたもので、エジプト政府も承認済みの確かな品だと言います。

この星はカクテルに入れてよし、粉末にしてタバコに混ぜれば、「ちらちらした涼しい火花が散って、まことに斬新無類の夏向きのおタバコ」にもなるし、さらにフラスコに入れて加熱し、その蒸気を吸えば「オピァムに似た陶酔をおぼえ、その夢心地というのがまことにさわやか」という、ちょっと怪しげな代物。
その味わいは「紅いのはやはりストローベリ、青いのはペパーミント。みどり色のは何とかで、黄色はレモンの匂いと味とに似かよっている」と言います。

個々の惑星に対する言及こそありませんが、「星を食べる」という文学的趣向は、足穂の創案になるものと思います。

   ★

さて、現実世界に存在する惑星キャンディとはどんなものか。
蛍以下さんは、かつて『月間天文』誌の広告で、それらしい品を見た記憶があると書かれています。それがどんなものだったか、今検索した範囲では分かりませんでしたが、その代わり以下のようなページを見つけました。

太陽系のキャンディーが登場し話題に!!
 太陽系8惑星+冥王星と太陽の10本セットで約1400円で発売
 http://irorio.jp/sousuke/20120910/27386/

内容は、Vintage Confectionsというアメリカのお店が、惑星の棒付キャンディを売り出したというニュースで、そのオリジナルの販売ページは以下(送料約25ドルで日本からも注文可能)。



なかなか美しいキャンディですね。
ただし、画像から判断する限り、これは食用インクを使ってプリントした惑星の写真を、透明なキャンディに埋め込んであるだけのように見えます。とすると、アイデア賞的な面白さはありますが、製菓技術として、格別ヒネリが利いているとも言い難い。
またお味の方は、上の日本語の記事には「綿菓子味とイチゴ味の2種類あるらしい」と書かれていますが、オリジナルページにはそういう記載がないので、全部同じ味なのかもしれません。

   ★

それよりもむしろ驚くべき製品は、上の飴玉の次に紹介されている、惑星モチーフのチョコレートです。こちらは日本のメーカーが販売しているもので、そのページは以下。

勝手キャプチャーで恐縮ですが、その美しいデザインと、ヒネリの利いたフレバーをぜひご覧いただきたい。


最初見たとき、私の惑星イメージとずれているものもあったのですが、でもこれはお手本とする画像によって、だいぶ変わってきそうです。たとえば、下の画像を見ると、このチョコの惑星たちは、むしろ至極リアルに造形されていることが分かります。


   ★

さらに、さらに、さらに驚くべき品は、同じメーカーが手掛けた「隕石チョコ」。

輝seki(きせき)隕石チョコレート8粒入
  http://www.melissa-ec.jp/products/detail.php?product_id=24

これは単に「漠然と隕石をイメージしたチョコ」ではなくて、隕石から発見された鉱物、「コスモクロア輝石」〔ウィキペディア〕と、世界7大陸で発見された実在の隕石7種をイメージして作られたという渋い、あまりにも渋すぎる品です。

以下に、その内容をそのままコピペさせていただきます。

Orgueil オルゲイユ隕石(ヨーロッパ大陸・フランス))
 1864年に落下。  最も大きい炭素質コンドライト。太陽系の初期の段階の様子をよく 保存しているといわれる。味:ビターチョコレート×カシス&マロン
Tatahouine タタフィン隕石(アフリカ大陸・チュニジア)
 母天体は小惑星ヴェスタだと考えられている隕石。1931年落下。味:ビターチョコレート×プラリネアーモンド
Henbury ヘンバリー隕石(オーストラリア)
 鉄隕石。鉄とニッケルの合金でできた宇宙の石。惑星の核部分と考えられている。1931年発見。味:ホワイトチョコレート×アプリコット&オレンジ
Pallasovka パラソフカ隕石(ユーラシア大陸・ロシア)
 鉄ニッケル合金とケイ酸塩化合物からなる隕石。1990年に発見。味:ビターチョコレート×プラリネヘーゼルナッツ
Kiseki 輝石に咲く華(コスモクロア輝石)をイメージ
 隕石より発見された初めての鉱物、「コスモクロア輝石」をイメージ。奇跡的に咲いた一輪の華。皆様に奇跡が起こりますように…。味:ホワイトチョコレート×グレープフルーツ&アールグレイ
Yamato86032 ヤマト86032隕石(南極)
 月は29億年前まで火山活動があり、新しい岩石が作られていた。原初の状態を保っている月隕石。味:ビターチョコレート×ブルーベリー&ホワイトバニラ
Canyon Diablo キャニオン・ディアブロ隕石(北米)
 隕石の研究により、クレーターは隕石衝突に起因するものと判明。19世紀発見。アリゾナ隕石孔のまわりで発見。味:ビターチョコレート×フランボワ&塩キャラメル
Allende アエンデ隕石(南米)
 太陽系成形の鍵を握る、初期太陽系星雲の凝縮物や星間微粒子が含まれている。味:ビターチョコレート×ピーチ&ドンペリニヨン

この商品を開発した人は、いったい何を考えているのでしょうか?
なぜここまで細部にこだわる必要があったのか?
もちろん、これが科学館のおみやげなら分かるのです。しかし、この品は一般に販売している、いわゆる「高級ショコラ」ですから、その辺がなんとも謎です。でも、私はこういう品が大好きなので、隕石チョコと、その作り手の方に最大級の賛辞を送ります。

風邪?2013年05月12日 17時41分47秒

何だか急に熱っぽくなってきました。
リンパ節もはれているようです。
とりあえず記事を休んで、しばらく養生に専念します。