賢治の抽斗(第7夜)…法華信仰の世界(中編)2013年06月25日 23時21分43秒

賢治の遺志で作られた国訳妙法蓮華経の成立の事情は、奥村敏明氏が詳しく書かれているので(※)、そちらに当たっていただきたいですが、かいつまんで言うとこういうことです。

(※)奥村敏明、「『日本近代文学文庫』の初版本」第4節、明治大学図書館紀要
   No.1(1997年3月18日)所収
   http://www.lib.meiji.ac.jp/openlib/issue/kiyou/kindai/node4.html

昭和8年(1933)、臨終の席で、賢治は父親に口頭で、ある遺言をしました。

「国訳の法華経を千部印刷して、知己友人にわけて下さい。本の表紙は赤に─。お経のうしろに、『私の一生のしごとは、このお経をあなたのお手もとにおとどけすることでした。 あなたが、仏さまの心にふれて、一番よい、正しい道に入られますように』ということを書いて下さい」
と。

その翌年、賢治の父・政次郎は、賢治の遺言を実行に移すべく、盛岡の山口活版所に印刷を依頼し、さらに近所の箱屋に帙を作らせ、こうして和本仕立ての『国訳妙法蓮華經』1,000部が完成し、葬儀の列席者や、 生前の知人友人、あるいは自ら希望する人に配られたのでした。


この『国訳妙法蓮華経』の原本として使われたのは、賢治が大正3年(1914)、20歳の時に読んで、身震いするほど感動したという、島地大等著の『漢和対照妙法蓮華經(明治書院刊)で、題名こそ違え、前者は後者をそっくり翻刻したものであり、賢治自身の創意が、その訳文に生かされているわけではありません。
また、本の題字も別人が書いたものなので、結局、この本で賢治のオリジナルといえるのは、表紙の色の選定と、巻末の「贈る言葉」のみということになります。
(なお、ここでいう「国訳」とは、漢文を単に訓み下したものを指し、法華経の精髄を、流麗な大和言葉に翻案したものを指すわけではありません。)

   ★

賢治の遺言で作られた『国訳妙法蓮華経』は、今ではたいへんな珍本で、現物を手に入れることは困難ですし、上のような事情を考えれば、賢治ファンだからといって、必ずしも入手しなければならないというものでもありません。

むしろ、その原典である、島地大等の『漢和対照妙法蓮華經』の方が、賢治自身にとっては意味があったはずで、こちらは現在、国書刊行会による復刻版(昭和62年刊、底本としたのは大正7年刊の第12版)という形で、一般に流通しています。

上に掲げた写真がそれで、新書版よりもちょっと丈が長いくらいのサイズですから(高さ約19センチ)、例の賢治缶↓に乗せることもできます(どうか罰当たりと仰いませんように)。


   ★

以下、その中身を簡単に見ておきます。


冒頭を飾る、朱字で刷られた「開経偈(かいきょうげ)」。
要するに法華経全体の序文です。


第11章に当たる「見宝塔品(けんほうとうほん)」
釈迦が弟子たちに教えを説いている場に、突如、言語に絶する美しい巨大な宝塔が出現し、皆は度肝を抜かれます。いったいこれはどういうわけですか?という問いかけに、釈迦はおごそかに答えて、「皆聞きなさい、実は遠い過去世において…」云々。

法華経全巻の中でも最もドラマチックな場面であり、寺院建築でいう「多宝塔」の原義でもありますが、「銀河鉄道の夜」に登場する「天気輪の柱」のイメージは、これに由来すると説く人もいます。


「見宝塔品」の地の文に続く偈文(げぶん)。仏の教えを、美しい詩句(韻文)の形で表現したものです。

   ★

なんだか抹香臭い話が続いていますが、賢治と法華経の話題に関連して、もう1冊だけ本を載せます。

(この項、次回完結予定)

コメント

_ かすてん ― 2013年06月26日 20時09分43秒

すみません、ちゃんと真面目に読んでいなかったのですが、またまた国書刊行会の社名に目が止まりました。一風変わった素敵な出版社です。

_ 玉青 ― 2013年06月26日 23時14分06秒

あはは。まあ、あまり真面目に読まなくても…という気はしますが、確かに変わった会社ではありますね。
たった今、ウィキペディアを読むまで、同社が1971年設立の(他の老舗出版社に比べれば)比較的新しい会社であり、2012年から北海道で温泉の熱を活用した発電事業に取り組んでいる、ますます変な出版社だということは、ぜんぜん知らずにいました。

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