天体議会の世界…天象儀館(1)2013年07月25日 20時54分42秒

突如の雷鳴と豪雨。遠くの街の明かりが霞んで見えないほどです。
さて、「蝶凧(パピイ)」の話題は、ちょっと画像の準備の都合で、後程もういっぺん触れることにして、少しストーリーを先に進めます。

   ★

地下鉄のホームで、水蓮と銅貨が毎朝待ち合わせる場所は決まっています。
そこは、二人にとっては思い出のある、お気に入りの場所。

二人が出会ったのは3年前、こちらの世界で言えば、小学校高学年の頃の、ある冬の日でした。転校生然とした真新しい制服に身を包んだ水蓮に、銅貨の方から声をかけると、水蓮も笑いながら答えました。

「よろしく、ぼくは第七学級〔クラス〕だけど、きみ同じ学年。」
 そう云った水蓮は、頬など透徹るほど白く、端正な顔だちをしていた。
「生憎と、そうらしい。」
 銅貨の人を喰った返事に、ふたりは同時に噴き出した。そのあとプラネタリウムの広告燈〔ネオン〕のことに話がおよび、すぐに意気投合した。銅貨がそれとなく勘づいたとおり、水蓮は偶然ではなく意識してこの広告燈〔ネオン〕の見える場所を選んで、地下鉄を待っていたのだと云う。
 ほとんど乗客のない地下鉄の車内で、銅貨と水蓮は互いに鉱石や天体に強く興味を持っていることを確認しあった。(p.18)

このプラネタリウムの広告が見える場所が、今でも二人の暗黙の定位置。

たいてい水蓮のほうが先に来て、あのプラネタリウムの広告燈〔ネオン〕が正面に見える花崗岩〔みかげ〕の円柱にもたれかかっていた。(p.10)

ここに繰り返し出てくる「プラネタリウムの広告燈」こそ、「未来の世界なのに懐かしい」、この作品世界を象徴する存在だと言えます。かと言って、それはいわゆる「レトロフューチャー」とも違います。いうなれば文字通りのレトロ。つまり近未来に設定された舞台に、異様に古めかしいものが突如顔を出し、しかも全体として違和感がないという、独特の世界描写です。

 そのうちに七時半発の地下鉄が近づいて、轟音にかぶさるように入線案内が繰り返される。
 重く響く鉄輪〔クランク〕とともに闇を突き進んでくる燈火は、地下道の黒ずんだ拱門〔アーチ〕を俄に明るく照らしだした。正面に見えるプラネタリウムの広告燈〔ネオン〕が、ぱッと黄昏〔たそがれ〕のように染まる。銅貨と水蓮がプラットフォームのこの地点を好んでいるのは、ひとえにこの広告燈〔ネオン〕を見たいがためである。南十字の煌〔かがや〕く夜天〔よぞら〕を背景に旧式の投影機を描いた広告燈〔ネオン〕は、もう相当に古びていたが“天象儀館〔プラネタリウム〕”と書いてあるところなど、少年たちはおおいに気に入っていた。(pp.12-13)

   ★

前にも書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/05/277997)、この古風な広告燈のイメージは、戦前、東京・有楽町にあった「東日天文館」(1938年オープン。戦災で焼失)のパンフレットに拠るものと思えてなりません。

(天象儀館の文字が、いかにもそれらしい1940年版のパンフ)

(パンフの裏面。「年中無休 晴雨不論」と、わざわざ断っていますが、当時は「今日は雨だからプラネタリウムも休みだろう」と思う人がいたんでしょうか?)

(この項つづく)

コメント

_ かすてん ― 2013年07月26日 06時17分50秒

>「今日は雨だからプラネタリウムも休みだろう」
 現代は都会では天候に係わらず星が見えないので、本物の夜空とプラネタリウムは別ものという感覚が強いと思われますが、雨だとプラネの星も見えないと考えた(あるいはドームを開ける装置と勘違いしていた?)当時の人の感覚の方が自然かもしれません。

_ S.U ― 2013年07月26日 06時56分55秒

>「レトロフューチャー」と「レトロ」
 SFアニメや小松崎茂氏の箱絵のレトロフューチャーに大人がはまり、骨董や昔の映画の純粋なレトロに年少者がはまるのは不思議な現象です。両者の感覚に関わりはあるのでしょうか。

>雨だからプラネタリウムも
 私の小学校低学年頃の記憶ですが、「プラネタリウムというのは、昼間でも星が見える機械」じゃ、と家族か近所の大人複数名から聞いたことがあります。当時の大人の感覚では、プラネタリウムは星を投影する装置ではなく、昼間に星が「見えるようになる」装置であったらしいです。

 私はこれを聞いて、半信半疑ながらも、ほんものの空の星が、昼間に見えるようになるのかな、と考えました。あほな誤解をしたものですが、流れとしては自然でもっともなように思いますので、プラネタリウム開業時代の大人の一部も同様の流れで考えたのだと思います。

_ 玉青 ― 2013年07月26日 21時34分01秒

かすてんさま、S.Uさま

S.Uさんのお話を伺うと、当時の人(少なくともその一部)は、プラネタリウムとは「昼でも星が見える不思議なカラクリ」であり、一種の「観望装置」だと考えていたようですね。天文台のドームと、プラネタリウムのドームの区別も、あまり付いてなかったのでしょう。
であれば、「曇天雨天は観覧不可」と考えても、ちっとも不思議ではありません。

「昼間でも星が見える機械」というと、何だか魔術的な匂いがしますが、魔術と科学が入り混じった微妙な感覚は、錬金術の遠い昔ばかりでなく、意外に近い過去まで残存していたのかもしれませんね(今でも残ってるかも…)。

ところで、今の技術だと、昼間に星を見る装置って作れますかね?
昼間観望会というのもあるぐらいですから、望遠鏡の力を借りれば、3等星か4等星ぐらいまで眼視でもいけそうですが、昼間の星を全天一望するような装置ができたら、夜間はもっとすごい光景でしょうし、それこそプラネタリウムはいらなくなるんじゃないでしょうか。(でも曇天雨天用にやっぱり必要か…。)

_ S.U ― 2013年07月27日 07時34分10秒

>魔術と科学が入り混じった~(今でも残ってるかも…)
 上の例のように科学上の知識にあほな誤解をしてそのような感触を持つことは今でもしばしばあるでしょうね。現代では、それよりも、計算機・通信技術や原子力発電が、事実上、身近な「魔術的」科学技術といえるのではないでしょうか。近くこれにiPS細胞治療が加わるかもしれません。

>昼間に星を見る装置
 どうなんでしょうね。原理的には、大気中で発生した青空の散乱光と大気圏外からの天体の光を選り分けることができればよいことになりますが、光子には位置と方向と波長と偏光の情報しかないので、厳密に選り分けることは困難ではないでしょうか。
 でも、望遠鏡で4等星が見える以上は、全天を望遠鏡でカバーしてそのビデオ画像をリアルタイムで処理すれば、デジタル画像として昼間の星空を再現することは原理的には可能なはずです。

 でも、それよりか人工衛星から見た宇宙の暗い空を中継するほうが早いでしょうね。プラネタリウム施設が人工衛星を契約して、営業時間に常時ライブ中継をして丸天井に投影すれば、まあそれなりに客にも受け営業に乗るのではないでしょうか。昼間にプラネタリウムの椅子にもたれて、「これが今、大気圏外から見た満天の星空だよ」と語り合うのもよろしいのではないでしょうか。曇りの日でもOKです。

_ 玉青 ― 2013年07月27日 18時36分21秒

>人工衛星から見た宇宙の暗い空を中継

あ、それですね!
それに配信を受けるだけなら、今や個人レベルでも十分可能でしょうし、眼鏡型端末をかけて、ごろりと土手に寝転んで、昼間の星をリアルタイムで楽しむなんてことも、技術的にはすぐできそうです。(まあ、プラネタリウムソフトでも似たようなものかもしれませんが、この場合、生の映像という点に有難味がありますね。)

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