八月尽と流星2013年08月31日 13時38分38秒

「八月尽(はちがつじん)」は、八月の終わりを指す俳句の季語。
歳時記では初秋に置かれていますが、気分的にはまさに夏の終わり。

 人気のなくなった砂浜に打ち捨てられた麦わら帽子、
 空っぽの虫かご、
 下葉に黄色いものが交じってきた山の木々、
 キラキラ輝く夏の思い出が、文字通り「思い出」に転ずるとき―。

なんとなく祭りの後の寂しさに通じる哀感を漂わせる語句です。

今年の異常な猛暑で、秋の訪れを心待ちにしていた人も多いと思いますが、それでも猛暑は猛暑なりに、やっぱり一種の高揚感めいたものがあったような気がします。

私はあと何回、夏を迎えることができるのだろう…
そして、あの親しい人たちはいったい…
そんなことも、この頃は気になりだしました。

   ★

歳時記で「八月尽」の句を探しましたが、あまり心に残る句は見つかりませんでした。
でも、1枚ページをめくったら、流星」がやっぱり初秋の季語であるのを発見。
流星と秋…なんとなくつながるような、つながらないような…。

  星のとぶ もの音もなし 芋の上    青畝
  死がちかし 星をくぐりて 星流る    誓子
  流星や 黍〔きび〕に風ある 門畠   立葵

流れ星は四季を通じて飛びますが、そのかすかな涼感に、秋を感じるということでしょうか。

(オリオン座の下をかすめる流星。1930年代のステレオ写真。)

   ★

記事の方は「天体議会」をしばし離れて、製図ペンの話から、さらに製図用具周辺の話題に移る予定です。

コメント

_ まるて ― 2013年09月01日 16時39分39秒

いつもブログを楽しませてもらっています。
今回の記事を読んでいて、少しばかり地学屋の蘊蓄を語りたくなりました。
くどいと感じたら、どうぞ聞き流してください。

流星は秋の明け方に多いそうです。
特別な流星群は、季節によらず、彗星の軌道との接近点で発生します。
先のペルセウス流星群や、しし座流星群なんかがそれに当たります。

それとは別に、散在流星というものがあり、秋に増えるのはこちらです。
地軸が地球の進行方向に傾くことで、単位面積あたりにぶつかる塵の量が増えるからです。
明け方というのも同じ理由で、夜が更けるほど、公転の進行方向に向かうことになるからです。

とはいえ、流れ星が季語とされる理由かどうかは分からないです。
七夕からの派生かもしれないし、空気が澄む季節だからかもしれないですね。

_ 玉青 ― 2013年09月01日 17時53分53秒

〇まるてさま

>地軸が地球の進行方向に傾くことで

あ、なるほど!ご説明を伺い、パッと分かった気がします。
秋は現実に流星が多い季節なのですね。
古人がそのことを意識していたかどうかは分かりませんが、流星を秋の季語に据えたのは、無意識裡にそれを感じ取っていた可能性はありますね。
そして、おっしゃる通り空が澄みわたり、星を見上げる機会も増え…となれば、自ずと秋の季語と定まったのも道理だと思えてきました。

ともあれ、我々も古人にならい、これからの時期、流星を愛でつつ天のささやきに耳を澄ませたいですね。

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