Little Stargazer の伴(とも)2013年12月01日 16時06分16秒

ついに師走。
気ばかり焦りますが、最近は頭と心が濁っているので、なかなか本も読めないし、文章も書けません。何かスッキリする工夫はないか…と思い、古い天文児童書を何冊かまとめ買いすることにしました。1900~30年代に出た、子供向けの星座観測の本やら何やら。クリスマスまでに届いたら嬉しなと思っています。

   ★

この手の本は、当時けっこう需要があったらしく、いろいろ出ています(子供自身よりも、教育目的で買い与える親の需要かもしれませんが)。
手元にある本だと、たとえば下のような本。


James Gall
  An Easy Guide to the Constellations with a Star Atlas.
  (New and Enlarged Edition)
  Gall and Inglis (London), 1904

(中身は星座のガイド図と説明文を見開きに収めた構成で統一)

この本は一言でいえば、星座の見つけ方の本ですが、叙述はいたってシンプルで、「AとBの星を結んで、その中間のところに見える小さな三角形が、○○座の一部で…」式の説明がずっと続きます。その合間に少し星座神話の解説がはさまる程度。

(巻末に付いている広域星図)

この本は判型(14cm ×11cm)からいって「読み物」というよりも、ポケットにしのばせて、実際に星見に携行するための本なのだと思います。いわばリトルスターゲイザーの好伴侶。


表紙に貼られたシールに、星座早見盤の版元として有名なフィリップス社の名前があることからも、その推測は裏付けられます(同社が天文マーケットに向けて販売を中継ぎしていたのでしょう)。


この本は好評だったのか、同じ版元から別の著者(Mary Ackworth Orr)による南天版も出ました。

リアル天文趣味…か……2013年12月03日 21時53分30秒



再読中。

■チャールズ・レアード・カリア(著)、北澤和彦(訳)
 『ぼくはいつも星空を眺めていた―裏庭の天体観測所』
 ソフトバンク・クリエイティブ、2006

初読の際の感想は以下。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/12/10/992312

   ★

小さな頃から天体観測に熱中していた少年。
彼は当然のように天文学者になることを夢見ていましたが、ハイスクールのとき突如文学に目覚め、天文から心が離れていきます。あれほど大事にしていた望遠鏡も、天文関係の本も、一切合財知り合いに譲り渡して…。

彼はやがて結婚し、父親となり、住宅ローンを抱え、その身辺には平凡な日常が流れていきます。そんなある日、娘の一言から空を見上げた彼は、すっかり忘れていると思った星座を、すべて娘に説明してやれる自分に気づきます。その経験が彼の心に火を点け、彼がふたたび望遠鏡を、さらに自分だけの観測小屋を手に入れることを決意するまでに、大して時間はかかりませんでした。

   ★

これは多くの天文中年がたどった道であり、また天文以外の趣味の分野でもありがちな、ある意味普遍的なストーリーだと思います。しかし、その心模様をこれほど生き生き綴ったノンフィクション作品は稀有ではないでしょうか。
通勤電車の中で読んでいると、私の心にもリアル天文趣味に回帰したいという気持ちが、じりじりと押し寄せてくるのを感じます。

しかし―。地下鉄の駅から地上に一歩出れば、足元にはナトリウム灯、水銀灯、蛍光灯が作り出す濃い影がくっきりと落ち、大通りにはヘッドライトとテールランプが列をなしています。そして「やっぱりダメだな…」と呟く自分がいます。裏通りに入って、ようやく1等星が見えてくるという環境ですから、正直、天文趣味もヘチマもない感じです。

   ★

そんなわけで、結局は天文古玩趣味にすがるしかないのですが、今回この本を再読しようと思ったのは、実はそっち方面の関心が影響しています。というのは、この1958年生まれの著者の体験のうちには、一般の人とはいくぶん違った要素があって、そのことがフト気になったからでした。

(この項つづく)

現代の占星術師2013年12月04日 19時57分23秒

昨日の本の著者、チャールズ・レアード・カリアにまつわる特異な点、それは彼の母親が占星術師だったことです。そしてその父親、すなわち母方の祖父も占星術師でした。
占いのニーズは日本にもアメリカにもあるので、占星術が職業として成り立つのでしょうけれど、しかし世間にそうそう多い存在とも思えません。



著者が星空回帰を果たしたのと同じ年、母親はひっそりと77年の生涯を閉じました。しかし、著者は直接それに立ち会ったわけではありません。
著者が大学生のときに両親は離婚し、母親は東海岸から西海岸へとひとり移り住み、いささかエキセントリックな生活を続けながら、愛する本と原稿に囲まれ、眠るように亡くなったのです。

その母親の遺品として、彼の元に届いたのが1台の望遠鏡でした。孤独な生活を送りながら、彼女はどんな思いで小さな望遠鏡を買ったのか?かつてティーネイジャーの息子と一緒に彗星を覗いた晩の思い出がそこにこもっていたのかどうか?著者は「まさにやすっぽい三文小説のネタになりそうな」と書いていますが、彼がその「贈り物」に相当な衝撃を受けたことは間違いないでしょう。

   ★

この『ぼくはいつも星空を眺めていた』には、母親の思い出が繰り返し出てきます。天文少年だった頃に、占星術師の母親と交わした議論の光景が。

「惑星の位置をさがしだせないんだったら」と、わたしはいった。「ホロスコープなんて意味がないよ」
 母の唇に笑みが浮かんだ。
「惑星のじっさいの位置はどうでもいいの。重要なのは、それがあたえる影響なのよ」
「岩石とガスのかたまりの話をしてるんだよ、わかってるでしょ」
「あたしは観念の話をしてるのよ」(p.56)

議論と呼ぶには、あまりにも噛み合ってない問答です。
しかし、著者カリアの母親は単に迷妄愚昧な人というよりは、一種独特の神秘思想の持主であり、対象の奥にある真実を、自分の言葉で語ろうとした人でした。

「ねえ」と、母はいった。「それはあたしたちのために存在しているのよ。宇宙は」
 傲慢な意見だし、ずるい、とわたしはいつも思っていた。〔…〕
「すべては人びとのためにあるの?」と、わたしはきいた。
「人びとだけじゃないわ。あらゆる原子、石、あらゆる星のためよ。そのためにここにあるの」
「それはママの占星術だよ」
「占星術とは関係ないわ。宇宙は目的を果たすために存在しているの」
「どんな目的?」
「ふさわしい場所を見つけることよ。」(p.171)

少年のころ母が語った言葉に著者は反発し、納得できないものを感じながらも、その影響は彼の深いところに及び、その思索に色合いを添えることになります。

「謎がほしかったら」と、わたしはいった。「見あげてごらんよ」
 宇宙はいつはじまったのだろう?どんなふうに終わるのだろう?終わることができるんだろうか?〔…〕
 母はにっこり笑ってうなずいた。〔…〕
「気をつけなさい。あなたの天文学は神秘主義的になってきてるわよ」
 母の意味するところがわかるまでに、わたしは人生の半分を要した。(pp.56-57)

アメリカの占星術師が、みな件の母親のような人とは限りません。むしろ十人十色のような気がしますが、しかし、その生きざまはなかなか興味深いものがあります。

   ★

天文学と占星術、この2つの知の体系の歴史は非常に入り組んでいますが、相互に関係してきたことは間違いありません。そして「Astronomy天文学」と「Astrology占星術」は、そのスペルもよく似ています。実際、海の向こうには両者を混同している人も少なからずいるらしく、天文アンティークを探していて煮詰まった時、「Astronomy」の代わりに「Astrology」をキーに検索すると、ふっと面白いモノが見つかったりすることもあります。

なんだか書いているうちに長くなったので、占星術をめぐるモノ語りの方は次回にまわします。

(この項つづく)

占星術師の商売道具2013年12月05日 19時35分56秒

単なる物珍しさから、こんなものを買いました。
昨日のお母さんのデスクに乗っていてもおかしくない品。


ご覧のとおり、ホロスコープ作図用のスタンプです。これでポンポンと枠線を捺して、惑星の位置などを手で書き入れたのでしょう。大勢の顧客を相手にする、プロの占星術師が使った物かなと想像します。時代は不明、アメリカの業者から購入しました。


全体の大きさは21.5×14cm。かなり厚みのある板に、金属プレートが釘で打ち付けてあります。


ホロスコープの本体部分。まるで教会の薔薇窓のようです。
周囲の大円は天球を表現しており、左右が東西を、上下が天頂と天底を表現しています。すなわち円の下半分は地平線下の空。この図中にその人の誕生時点における各惑星の位置を書き入れて、あれこれするとその人の運命が浮かび上がる…という仕組みらしいです。


下半分には「火」「地」「風」「水」の4元素と星の配位を関連付けて、性格やら何やらをあれこれする表が付いています(文字が読めるように、画像を左右反転しました)。



古びた味のある印面細部。ちょっと謎めいた感じが漂います。

   ★

2013年12月某日某時某分、一人の異相の赤ん坊が生まれようとしています。
占星の術をよくする人は、この赤子の将来を占ってもらえないでしょうか。
顔を黒く塗りつぶされた、特定秘密保護法という禍々しい名前の赤ん坊の行く末を。


【2013.12.21付記】
 改めて見たら、一連の惑星が海王星(1846年発見)までで、冥王星(1930年発見)の表示がないことに気づきました。冥王星が占星術の体系に取り入れられたのがいつかは分かりませんが、このスタンプは戦前に遡るものと見て間違いなさそうです。

Don’t be curious.2013年12月07日 08時12分06秒

例の赤子は2013年12月6日午後11時20分(推定)、誕生しました。
定めの星や如何。

   ★


一冊の古びた本。


Index Librorum Prohibitorum(インデックス・リブロルム・プロヒビトルム)。
日本語でいう禁書目録。バチカンによる「有害図書」認定リストです。16世紀に生まれ、1966年に廃止されるまで、400年余りの長きにわたって版を重ねたロングセラー。

禁書目録と云うのは、時代とともに新たな本が付け加わって、どんどん長大化するのかと思ったら、どうもそうでもなくて、加わる本があれば除外される本もあるようです。

たとえば、手元にあるのは同書の歴史の中ではごく新しい1904年版ですが、コペルニクスや、ケプラーや、ガリレオは既に目録から消えています。本当は彼らの名前を見たかったのですが、すでにバチカン自体が天文台を所有し、天文研究を進めていたのですから、それも当然でしょう。(1904年版のタイトルページに登場する、教皇レオ13世は開明派で、彼の時代に天文台と教皇の関係が特に深まったと言われます。)

(各記載の末尾の数字は刊行年ではなく、禁書宣告された年を意味します)

それでも依然、デカルトやカントは禁書でしたし、天文学者だとラランド(1732-1807)の著作が2冊、『イタリア紀行』と『婦人のための天文学』というのがやり玉に挙がっています(彼は無神論者でした)。


気になるチャールズ・ダーウィンはなぜか載っていなくて、代わりにお祖父さんのエラズマス・ダーウィン(1731-1802)の著、『Zoonomia; or the Laws of Organic Life』が禁書になっています。この本もまた進化の概念を説いたものだそうですが、どうも選定の基準がよく分かりません。

   ★

選定の基準がよく分からんという点では、例の赤ん坊もそうなんですが、それにしても出産に立ち会った人たちは、せめて統制対象を明示的にインデックス化する気はなかったんでしょうかね。

法案に賛成する側の産経も、当然「『知る権利』や報道の自由を守るためには、政府による恣意的な特定秘密の指定を避ける仕組みが重要」だと主張していますが(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131207/plc13120703080005-n1.htm)、この「恣意」の2文字こそ最も危惧される点ではあります。

透き通った世界2013年12月08日 10時07分37秒

以前、「天体議会」の話題を書いていた時に、一粒の蛍石を登場させました。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/23/6955616

あの1粒を選り出すために、いささか無駄とは思いましたが、袋入りのタンブルを買いました。しかし余った石の処置に困り、ありあわせの壜に入れて、そのまま机の隅に置いてあります。


今、こうして改めて見ると、なかなか美しいものだと思いました。


ガラスの中に、さらに透き通ったものがあるというのがいいのでしょう。


透き通った青
透き通った紫
透き通った緑

   ★

いっそ世の中すべてが美しく透き通っていたら…と思いますが、現実にはいろいろドロドロしたものがあって、隠しておきたいものもあります。それは私自身の心もそうですし、国家という組織もそうでしょう。あの孔子先生ですら「知らしむべからず」と言ったぐらいですから、理想の徳治国家が仮にできたとしても、国家機密というのはなくせないのかもしれません。

ただ、現実の日本は徳治国家でも何でもなくて、平凡な人が集まって、平凡な幸せを何とか実現しようと汗をかくのがせいぜいですし、時には良からぬことを考える人もいますから(というか、平凡な人の心の内には、いくぶん良からぬ思いが混じっているものです)、凡庸な悪を防ぐ手立てが「絶対に」必要です。

   ★

さて話はかわって。


昨日の禁書目録も「インデックス」でしたが、こんなインデックスなら大歓迎。
米澤敬氏の鉱物エッセイ、『MINERALIUM INDEX』(牛若丸出版、1996)。
1篇が1ページかっきり。それが9篇集まって1章を構成し、全体では9章81篇のエッセイから成るという、それ自体が鉱物の結晶構造を思わせる凝った本。

左側はフジイキョウコさんから頂いたイベントのご案内(本ブログでは第2報)。
地球の欠片~鉱物アソビの贈物展~」は、いよいよ今週金曜日から開催です。
(公式サイト http://materiobase.jp/yoluca/koubutsu.html

金鯱の町にヴンダーショップあり2013年12月09日 21時29分59秒

いささか旧聞に属しますが、昨年、フジイキョウコさんの鉱物イベントが名古屋であり、その会場となったミュシカさんを訪れた際、博物系の品ぞろえに強いお店として、やはり名古屋にある「antique Salon」さんを訪ねるよう、お勧めいただきました。
(参照 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/10/06/6595051

その後、なかなか訪問の機会が得られませんでしたが、今日ちょうど近くを通り、やっと宿願を果たすことができました。しかも、予想のはるか上を行くヴンダーなお店だったので、ここに全き自信を持ってご紹介する次第です。

   ★

名古屋の都心に長者町というところがあります。
古くからの商業地として繊維問屋が軒を連ね、東京でいえばちょうど日本橋馬喰町のような地区です。最近になって、尖端的なショップがオープンしたり、あいちトリエンナーレ(美術展)の会場になったり、少しずつ雰囲気が変わりつつあるエリアでもあります。

その一角、「えびすビル」という、名前からして古めかしいビルの2階に、問題のお店はあります。以下、カメラを持参しなかったので、携帯の暗く粗い写真で恐縮ですが、とりあえず雰囲気だけでもお伝えします。


外からは目立ちませんが、改装後のえびすビルには新しいお店がたくさん入居していて、長者町の新しい顔を象徴するスポットとなっています。雰囲気のある階段をおそるおそる上がると…


いきなり古いキノコの模型が並んでいて、「おっ」と思います。




動・植物の教育用掛図、18世紀以前とおぼしき古書の山、キノコ図譜、ビュフォンの博物誌、大小さまざまな薬瓶、古い甲虫標本、ずらりと並ぶ義眼、中世の時祷書の零葉、博物画の詰まったチェスト、動物の頭骨が並んだ展示ケース…。
こうしたヴンダー路線の他に、「いわゆるフランスブロカント」的な品も並んでいますが、いずれも一癖ありげな面持ちです。


本日は残念ながらオーナー氏は不在で、若い女性が1人で店番をされていましたが、その方のお話によると、お店には常連さんも多く、特に造形作家さんが、創作の材料として標本を買い求めることが多いとのことでした。なるほど、そういう需要もあるわけですね。ただ、せっかくお店の前まで来ても、気味悪がって中に入ろうとしない人もいるそうで、たしかに客を選ぶ店かも知れません。

私のピンボケ写真で分からない細部は、以下の公式サイトでご覧いただけます。

antique Salon
 http://www.salon-interior.jp/
 名古屋市中区錦2-5-29 えびすビルパート1 2階
 

   ★

驚いた拍子に財布の紐も思わず緩み、あれこれ買い込みましたが、夜だとうまく写真が撮れないので、そちらはまた後日。

博物趣味の欠片2013年12月11日 19時50分28秒

antique Salon さんで先日購入したモノたち。


岩石標本、青い薬びん、ウサギの頭骨、古い地質図。
ちょっと取りとめのない選択ですが、こうして並べると、互いに博物趣味の香気を高め合う感じがします。

しかし、香気だけでは勿体ないし、それこそ取りとめがないので、順々にモノ語りをしてみようと思います。

(この項ゆるゆると続く)

博物趣味の欠片…ウサギの骨とドクトル・オゾー2013年12月12日 21時43分02秒

まずはウサギの頭骨標本から。
頭蓋を正中から半切して板に貼り付けてあります。


ご覧のように、下顎が大きく欠損しており、表面の損耗も著しいので、標本としての価値はあまりないと思うのですが、ヴンダーな退廃美が、そこはかとなく漂っている感じがしなくもない。ただ、この標本を買う気になったのは、審美的な要素よりも、むしろラベルに書かれたオゾーの名前に興味を持ったからです。


オゾーのことは、紙塑(パピエ・マッシュ)製人体模型の創始者として、このブログでも何回か触れました。しかし、彼が動物の、しかも「生身」の標本も扱っていたことは知りませんでした。というか、改めて考えたら、オゾーその人について、自分はほとんど何も知らないことに気づいたので、この機会に改めてオゾーについてメモ書きしておきます。

   ★

(Louis Thomas Jérôme Auzoux。wikipediaより)

まずはオーソドックスにウィキペディアの記述から。現在、日本語版には項目がないので、英語版↓から訳出してみます
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Thomas_J%C3%A9r%C3%B4me_Auzoux

「ルイ・トーマ・ジェローム・オゾー(Louis Thomas Jérôme Auzoux 1797–1880)はフランスの解剖学者、ナチュラリスト。ルイ・オゾーは1818年に医学の学位を取得し、ギョーム・デュピュイトランと共に、オテル・デュー〔=病院名〕の外科部門に採用された。彼は1820年にフランソワ・アムリーヌの紙塑工房を訪れ、後に(1827年)生まれ故郷であるノルマンディーのサン=トーバン=デクロスヴィルに、きわめて正確な人体および獣医学用解剖模型を製作する工場を設立し、オゾー商会(Maison Auzoux)の名で販売を行った。オゾーはまた動物学・植物学の教育用拡大模型の製作も行った。一連の模型は、構造全体を示すために分解することができたため、「分解解剖模型 anatomy clastique」(ギリシャ語のklastos「ばらばらの」に由来)と呼ばれた。同社はまたそれ以外の博物学関連商品も販売した。」

以上が全文です。これだけだとやや簡にすぎるので、フランス語版ウィキペディア(http://fr.wikipedia.org/wiki/Louis_Auzoux)から、オゾーの商売がその後どうなったかを補足します(Googleによる英訳は一部意味がとれないので適当訳です)。

「1833年、彼はパリのパオン街8番地に、地方や海外への販売拠点ともなる店を構えた。彼が亡くなった後には、世界的に認められた一群の分解解剖模型と、繁栄を続ける工場が残された。だが解剖学の学習手段の増加(写真、ビデオ、インターネット、プラスティネーション…)と、それらとの競争激化により、1980年代に入ると、オゾーの工場はより安価なレジン製モデルの製造に鞍替えし、2000年代初頭にはついに工場をたたんだ。」

…というわけで、オゾーの創業した会社は、彼の死後も長く商売を続けたらしいのですが、例のウサギの頭骨標本ラベルに書かれた「エコール・ド・メディシヌ街9番地」という住所が解せません。上記「パオン街8番地」の店とはどんな関係なのか?それに、「ドクトル・オゾー創業社(Etablissement Du Dr Auzoux)」という屋号も、正体が今ひとつはっきりしません。

いろいろ検索するうちに、以下のページにその辺のことが一寸書かれていました。

La collection de cires anatomiques de l'École du Service de Santé des Armées de Lyon (PDF 4.4MB)

それによると、エコール・ド・メディシヌ街9番地には、19世紀半ばから「トラモン商会 Maison Tramond」という、これまた有名な解剖模型商があったのだそうですが、1929年にオゾー創業社に買収され、同社が同じ場所で解剖模型や博物模型の販売を続けた…とあります()。そしてオゾー創業社は、たしかにあのオゾーが設立した会社に間違いなく、結局「パオン街8番地」と「エコール・ド・メディシヌ街9番地」の店は同じもので、1929年に後者に移転してきたのではないでしょうか。

驚いたことに、上の文章によれば、同社は現在も同じ場所に存続していると書かれています。タウン情報↓を見ると、なるほどたしかにそのようです。
http://www.123pages.fr/en/erp?q=Auzoux&url=http%3A%2F%2Fwww.tuugo.fr%2FCompanies%2Fauzoux-ets-du-docteur%2F012000777290

工場はつぶれても、オゾーの名を受け継ぐ会社が、いまだパリにある―。これはちょっと嬉しい事実。そこで、さっそくストリートビューで現地を訪問してみたのですが、あにはからんや、それらしき看板はどこにも見えず、9番地には喫茶店が鎮座するばかりです。あるいは建物の2階あたりで、ひっそりと営業しているのかもしれませんが、博物学の全盛時代とオゾーの盛名を思うと、なんぼパリでも、やっぱり博物趣味というのはマイナーな過去の遺物なのかなあ…と、一転してわびしい気分になります。

まあ、今でも好事家はいるでしょうし、だからこそデロールも商売を続けられるのでしょうが、博物学の社会的意味合いなり「威信」なりが、当時と全く異なっていることは否定のしようがありません。

   ★

朽ちかけたウサギの骨を眺めながら、思いは過去へ…。
あまり考えが後ろ向きになるのも良くありませんが、要はこの辺が古玩趣味と呼ばれる由縁なのでしょう。

)したがってこのウサギの頭骨標本は、1929年以降に作られたものということになります。

日時計展@パリ2013年12月13日 21時13分29秒

博物趣味の欠片をたどる旅は一服。
今いろいろ情報をたどって、パリ周辺をぐるぐるしているのですが、そのパリで来週から豪華な日時計展が始まると聞いたので、そのことを書いておきます。

懐中日時計と卓上日時計の名品展(Exceptional pocket and table sundials)

 会期 2013年12月17日(火)~2014年1月19日(日)
        (月曜、12月25日、1月1日は休廊)
       14:00~18:00
 会場 GALERIE DELALANDE(Louvre des Antiquaires Paris内)
               2, Place du Palais-Royal
 〇公式サイト http://www.delalande-antiques.com/exhibition-sundials-paris/

展示されるのはルネサンス期のものを含む、各時代の日時計の名品150個。大半が個人コレクターからの借用品だそうですから、今回は「展示即売会」ではなく、純粋な展覧会のようです。

(今回展示されるJohann Gottfried Zimmer作とされる日時計、18世紀)

上記ページのいちばん下に、一部の展示品の画像を紹介するリンクが張られていますが、いずれも実に豪華絢爛。西洋世界では、日時計が単なる実用の具たることを超えて、美麗な工芸品となったのは興味深い点です。

この点は日時計にとどまらず、四分儀やアストロラーベ、アーミラリーなど、初期の天文用具はおしなべてそうです。おそらく空を見上げる「観象」の営みを、配下の僚吏に任せっぱなしにするのでなく、王侯貴族自らも行うものと観念されていたことが、その根本の原因だろうと思います。(まあ実際に王侯貴族がそうしたとは限りませんが、少なくとも自らの周囲をそうした道具で飾り立て、それが己の威信を高めるものと考えていたのは確かでしょう。)

   ★

パリまで行けない方には、全品写真入りの豪華図録も用意されています。

(図録表紙)

内容は英仏2カ国語表記で、お値段は日本までの送料込みで125ユーロ。
下のページに内容見本があるので併せてご覧ください。
http://www.delalande-antiques.com/exhibition-sundials-paris/book-sundials.html

   ★

今年の冬至は12月22日。太陽の復活を祈る行事が世界各地で行われます。
北風の吹きすさぶ気ぜわしい時期ですが、太陽の光と温もりに敬意を表しつつ、のんびり日時計を眺めるのも悪くないですね。