現代の占星術師2013年12月04日 19時57分23秒

昨日の本の著者、チャールズ・レアード・カリアにまつわる特異な点、それは彼の母親が占星術師だったことです。そしてその父親、すなわち母方の祖父も占星術師でした。
占いのニーズは日本にもアメリカにもあるので、占星術が職業として成り立つのでしょうけれど、しかし世間にそうそう多い存在とも思えません。



著者が星空回帰を果たしたのと同じ年、母親はひっそりと77年の生涯を閉じました。しかし、著者は直接それに立ち会ったわけではありません。
著者が大学生のときに両親は離婚し、母親は東海岸から西海岸へとひとり移り住み、いささかエキセントリックな生活を続けながら、愛する本と原稿に囲まれ、眠るように亡くなったのです。

その母親の遺品として、彼の元に届いたのが1台の望遠鏡でした。孤独な生活を送りながら、彼女はどんな思いで小さな望遠鏡を買ったのか?かつてティーネイジャーの息子と一緒に彗星を覗いた晩の思い出がそこにこもっていたのかどうか?著者は「まさにやすっぽい三文小説のネタになりそうな」と書いていますが、彼がその「贈り物」に相当な衝撃を受けたことは間違いないでしょう。

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この『ぼくはいつも星空を眺めていた』には、母親の思い出が繰り返し出てきます。天文少年だった頃に、占星術師の母親と交わした議論の光景が。

「惑星の位置をさがしだせないんだったら」と、わたしはいった。「ホロスコープなんて意味がないよ」
 母の唇に笑みが浮かんだ。
「惑星のじっさいの位置はどうでもいいの。重要なのは、それがあたえる影響なのよ」
「岩石とガスのかたまりの話をしてるんだよ、わかってるでしょ」
「あたしは観念の話をしてるのよ」(p.56)

議論と呼ぶには、あまりにも噛み合ってない問答です。
しかし、著者カリアの母親は単に迷妄愚昧な人というよりは、一種独特の神秘思想の持主であり、対象の奥にある真実を、自分の言葉で語ろうとした人でした。

「ねえ」と、母はいった。「それはあたしたちのために存在しているのよ。宇宙は」
 傲慢な意見だし、ずるい、とわたしはいつも思っていた。〔…〕
「すべては人びとのためにあるの?」と、わたしはきいた。
「人びとだけじゃないわ。あらゆる原子、石、あらゆる星のためよ。そのためにここにあるの」
「それはママの占星術だよ」
「占星術とは関係ないわ。宇宙は目的を果たすために存在しているの」
「どんな目的?」
「ふさわしい場所を見つけることよ。」(p.171)

少年のころ母が語った言葉に著者は反発し、納得できないものを感じながらも、その影響は彼の深いところに及び、その思索に色合いを添えることになります。

「謎がほしかったら」と、わたしはいった。「見あげてごらんよ」
 宇宙はいつはじまったのだろう?どんなふうに終わるのだろう?終わることができるんだろうか?〔…〕
 母はにっこり笑ってうなずいた。〔…〕
「気をつけなさい。あなたの天文学は神秘主義的になってきてるわよ」
 母の意味するところがわかるまでに、わたしは人生の半分を要した。(pp.56-57)

アメリカの占星術師が、みな件の母親のような人とは限りません。むしろ十人十色のような気がしますが、しかし、その生きざまはなかなか興味深いものがあります。

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天文学と占星術、この2つの知の体系の歴史は非常に入り組んでいますが、相互に関係してきたことは間違いありません。そして「Astronomy天文学」と「Astrology占星術」は、そのスペルもよく似ています。実際、海の向こうには両者を混同している人も少なからずいるらしく、天文アンティークを探していて煮詰まった時、「Astronomy」の代わりに「Astrology」をキーに検索すると、ふっと面白いモノが見つかったりすることもあります。

なんだか書いているうちに長くなったので、占星術をめぐるモノ語りの方は次回にまわします。

(この項つづく)