博物趣味の欠片…ウサギの骨とドクトル・オゾー2013年12月12日 21時43分02秒

まずはウサギの頭骨標本から。
頭蓋を正中から半切して板に貼り付けてあります。


ご覧のように、下顎が大きく欠損しており、表面の損耗も著しいので、標本としての価値はあまりないと思うのですが、ヴンダーな退廃美が、そこはかとなく漂っている感じがしなくもない。ただ、この標本を買う気になったのは、審美的な要素よりも、むしろラベルに書かれたオゾーの名前に興味を持ったからです。


オゾーのことは、紙塑(パピエ・マッシュ)製人体模型の創始者として、このブログでも何回か触れました。しかし、彼が動物の、しかも「生身」の標本も扱っていたことは知りませんでした。というか、改めて考えたら、オゾーその人について、自分はほとんど何も知らないことに気づいたので、この機会に改めてオゾーについてメモ書きしておきます。

   ★

(Louis Thomas Jérôme Auzoux。wikipediaより)

まずはオーソドックスにウィキペディアの記述から。現在、日本語版には項目がないので、英語版↓から訳出してみます
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Thomas_J%C3%A9r%C3%B4me_Auzoux

「ルイ・トーマ・ジェローム・オゾー(Louis Thomas Jérôme Auzoux 1797–1880)はフランスの解剖学者、ナチュラリスト。ルイ・オゾーは1818年に医学の学位を取得し、ギョーム・デュピュイトランと共に、オテル・デュー〔=病院名〕の外科部門に採用された。彼は1820年にフランソワ・アムリーヌの紙塑工房を訪れ、後に(1827年)生まれ故郷であるノルマンディーのサン=トーバン=デクロスヴィルに、きわめて正確な人体および獣医学用解剖模型を製作する工場を設立し、オゾー商会(Maison Auzoux)の名で販売を行った。オゾーはまた動物学・植物学の教育用拡大模型の製作も行った。一連の模型は、構造全体を示すために分解することができたため、「分解解剖模型 anatomy clastique」(ギリシャ語のklastos「ばらばらの」に由来)と呼ばれた。同社はまたそれ以外の博物学関連商品も販売した。」

以上が全文です。これだけだとやや簡にすぎるので、フランス語版ウィキペディア(http://fr.wikipedia.org/wiki/Louis_Auzoux)から、オゾーの商売がその後どうなったかを補足します(Googleによる英訳は一部意味がとれないので適当訳です)。

「1833年、彼はパリのパオン街8番地に、地方や海外への販売拠点ともなる店を構えた。彼が亡くなった後には、世界的に認められた一群の分解解剖模型と、繁栄を続ける工場が残された。だが解剖学の学習手段の増加(写真、ビデオ、インターネット、プラスティネーション…)と、それらとの競争激化により、1980年代に入ると、オゾーの工場はより安価なレジン製モデルの製造に鞍替えし、2000年代初頭にはついに工場をたたんだ。」

…というわけで、オゾーの創業した会社は、彼の死後も長く商売を続けたらしいのですが、例のウサギの頭骨標本ラベルに書かれた「エコール・ド・メディシヌ街9番地」という住所が解せません。上記「パオン街8番地」の店とはどんな関係なのか?それに、「ドクトル・オゾー創業社(Etablissement Du Dr Auzoux)」という屋号も、正体が今ひとつはっきりしません。

いろいろ検索するうちに、以下のページにその辺のことが一寸書かれていました。

La collection de cires anatomiques de l'École du Service de Santé des Armées de Lyon (PDF 4.4MB)

それによると、エコール・ド・メディシヌ街9番地には、19世紀半ばから「トラモン商会 Maison Tramond」という、これまた有名な解剖模型商があったのだそうですが、1929年にオゾー創業社に買収され、同社が同じ場所で解剖模型や博物模型の販売を続けた…とあります()。そしてオゾー創業社は、たしかにあのオゾーが設立した会社に間違いなく、結局「パオン街8番地」と「エコール・ド・メディシヌ街9番地」の店は同じもので、1929年に後者に移転してきたのではないでしょうか。

驚いたことに、上の文章によれば、同社は現在も同じ場所に存続していると書かれています。タウン情報↓を見ると、なるほどたしかにそのようです。
http://www.123pages.fr/en/erp?q=Auzoux&url=http%3A%2F%2Fwww.tuugo.fr%2FCompanies%2Fauzoux-ets-du-docteur%2F012000777290

工場はつぶれても、オゾーの名を受け継ぐ会社が、いまだパリにある―。これはちょっと嬉しい事実。そこで、さっそくストリートビューで現地を訪問してみたのですが、あにはからんや、それらしき看板はどこにも見えず、9番地には喫茶店が鎮座するばかりです。あるいは建物の2階あたりで、ひっそりと営業しているのかもしれませんが、博物学の全盛時代とオゾーの盛名を思うと、なんぼパリでも、やっぱり博物趣味というのはマイナーな過去の遺物なのかなあ…と、一転してわびしい気分になります。

まあ、今でも好事家はいるでしょうし、だからこそデロールも商売を続けられるのでしょうが、博物学の社会的意味合いなり「威信」なりが、当時と全く異なっていることは否定のしようがありません。

   ★

朽ちかけたウサギの骨を眺めながら、思いは過去へ…。
あまり考えが後ろ向きになるのも良くありませんが、要はこの辺が古玩趣味と呼ばれる由縁なのでしょう。

)したがってこのウサギの頭骨標本は、1929年以降に作られたものということになります。

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