博物趣味の欠片…ブベ商会の岩石標本2013年12月14日 16時13分54秒



Antique Salonさんの棚でパッと目に付いた品。


濃い緑の箱に入った岩石標本。
私は格別岩石が好きというわけでもないですが、こういった、いかにも「標本の相貌」をしたものに弱くて、機会があるとつい買ってしまいます。

内容は、花崗岩、微花崗岩、ペグマタイト、輝緑岩、粗面岩…などなど。全部で25種類の岩石が、さらに小さな箱に入ってきっちり収まっています。


外箱の蓋に貼られたラベル。パリの老舗博物商、ブベ商会の名前が見えます。


タイプ打ちの内容一覧。大半はフランス国内で採取されたものですが、アメリカやイタリア産の石もまじっています。


こちらはイタリア産の軽石。小箱の中にも外箱に貼られたものと同じ体裁のラベルが入っています。

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先日のオゾーに続き、今日はブベ商会に注目してみます。
同社については以下のページが詳しく、フランス語版ウィキペディアもこれを参照しているので、仮に訳出してみます。
(余談ですが、このサイトを見ると、鉱物趣味の人がいかに標本ラベルを重視しているか分かります。ラベルに書かれたデータが重要であるのは当然としても、さらにモノとしてのラベルそのものに興味を集中させる傾向は、いかにもコレクター気質。)

Nérée Boubée - The Mineralogical Record - Label Archive
 http://www.minrec.org/labels.asp?colid=216

「ネレ・ブベ教授(Nérée Boubée)は1806年5月12日、フランスのトゥールーズに生まれ、後に高名なナチュラリスト、地質学者、著述家にしてパリ大学講師となった。

1845年、彼はパリに「岩石、鉱物、化石、植物等」を扱う博物学関連の店を「エロッフ社(Éloffe & Compagnie)」名義で開設した。やがて取扱い品目の「等」の前に「貝、鳥類」が加わり、さらに彼の名を刻した顕微鏡の製造をするようになった。ブベの名はエロッフ社のラベルには書かれていないが、その後身の会社(「博物学総本店 Comptoir Central d'Histoire Naturelle」を名乗り、息子のE.ブベが経営した)のラベルには、同社が「エロッフ社という社名で、ネレ・ブベが1845年に創業した」旨が記されている。

ネレ・ブベは自著を何冊か上梓しており、そのうち『誰にでも分かる地質学初歩Géologie élémentaire à la portée de tout le monde』(1838)の中で、「大洪水は彗星が起源」という仮説を述べている。

彼は1862年8月2日に没し(ルションで亡くなり、同地に葬られた)、会社は息子のE.ブベが引き継いだ。E.ブベは社名を「博物学総本店」に変更し、店をエコール・ド・メディシヌ街からプラス・サンタンドレ・デザールに移した。

(シテ島に近い新店舗の位置)

彼は「ナチュラリスト」であり、エロッフ社の後継者であると自ら喧伝した。彼は几帳面なカタログ編者であり、その手になるラベルには、通常その種を記述する長々しい書き込みがあった。だが、1937年以前に彼の鉱物販売の売り上げは皆無に近いまで減少し、その個人コレクションの大半はソルボンヌに売却された。さらに残りの研究用(study-grade)鉱物の在庫を一掃しようと、彼はフレッド・カッシーラー(Fred Cassirer)と組み、カッシーラーの援助でアメリカのバイヤーに残りの鉱物を売り込み、利益を折半することにした。こうしてブベの標本がアメリカにやってきたのである。

E.ブベが亡くなると、会社は三代目のネレ・ブベ2世が引き継いだ。彼は自分の名前にちなんで社名を「N. ブベ社」と改め、科学書の出版部門を大幅に拡張した。三代目が没したのは1960年代のことである。ラベルの中には、ネレ・ブベ2世が店舗をモンジュ街87番地に移し、社名を(少なくとも一時的に)「自然科学ヨーロッパ研究所Laboratoire Européen de Sciences Naturelles」と変更したことを示すものが存在する(本ページの最後に掲げた)。

ネレ・ブベ新出版協会(Société Nouvelle des Editions Nérée Boubée)は、パリのモンジュ街の上記住所及びサヴォワ街9番地に現存している。」


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手元の岩石標本は、ラベルの特徴から見てブベ商会の歴史の末期、1950年代とか、あるいは30年代ぐらいまで遡るかもしれませんが、大体その頃のものなのでしょう。

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ところで、ブベ商会については、以前、奥本大三郎氏が『ファーブル昆虫記の旅』の中で思い出を書かれているのを引用したことがあります。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/02/28/1216422

「このデロールより前、1969年頃に私が訪ねた博物商の店にブベ商会というのがあった。場所はサン=ミッシェルの噴水の裏で、ショー・ウィンドーに、岩石標本を採集するためのハンマーや捕虫網が飾られていて、いい雰囲気であった。昆虫の標本は店内の標本箪笥に納められていて、店員に言わないと勝手に出しては見られないシステムになっていた。」

奥本氏が訪れたのは、モンジュ街に移転する前の、プラス・サンタンドレ・デザールにあった店で、69年といえば既に三代目が没した後かもしれません。

で、奥本氏は「ブベ商会というのがあった」と過去形で書き、また上のラベル・アーカイヴの記事も、現在残っているのはブベ商会の出版部門だけのような書きぶりですが、フランス語版ウィキの注によれば、出版社はサヴォワ街に、博物ショップはモンジュ街にそれぞれ存続していると書かれています。これはぜひともそうあってほしいです。

【付記】
例によってストリートビューで覗き見すると、モンジュ街87番地にはシャッターの閉まった、ちょっと草臥れた店があります。拡大して目を凝らすと、ショーウィンドウには標本や理科模型らしきものが置かれているようにも見えますが、なんだかはっきりしません。