2014年元旦2014年01月01日 14時42分26秒


(ペガスス座とこうま座。手前はウマの歯の化石)

新年あけましておめでとうございます。
早々と賀状をいただいた方には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
当方もどうにか昨晩投函しましたが、いつもは何かしら添え書きをするのに、今年はそれも時間切れで省略せざるを得ず、ただ気持ちだけは十分込めさせていただきましたので、どうぞご容赦ください。

さて、「天文古玩」も今月満8歳を迎えます。
マンネリに陥りながらも、本当によく続いていますね。
現在、話題がたまたま螺旋のことに及んでいますが、当方もぐるぐる同じところを回っているようでいて、実は常に開かれた存在でありたいと念じています。
懲りずにお付き合いいただければ幸いです。

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今年は第1次世界大戦勃発100周年。
この間、戦争で命を失った人は、1億人とも言われます。
これから2114年までの100年は、いったいどんな100年になるのでしょう?

みんなが笑顔で来年のお正月を、そして100年後のお正月を迎えられますように。

螺旋蒐集(5)…透明螺旋体2014年01月02日 10時48分20秒

先ほどまで黒雲が空を覆っていました。
北の地方では大雪に警戒するよう、ニュースは伝えています。
せめて三が日ぐらい…と思いますが、自然には自然のリズムがあるのでしょう。

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ふと、ガラスでできた巻貝があったらいいなと思いました。殻を打ち欠くような無粋な真似をしなくても、その螺旋全体を見通せる透き通った貝が。
この世のどこかにきっとあるはず…と思って探したら、ありました。



透明な貝と、海の記憶を宿したパープルの貝。
(最長の差し渡しは、それぞれ約8cmと5cm)

これらは単なるオブジェではなく、ある実用的な目的のために作られました。


それは飼育ヤドカリ用の「擬貝」です。
私は今回初めて知りましたが、数年前、こういう↑画像がネット上で話題になったことがあるそうです。その秘めた私生活が丸見えとなり、しかも普通の貝より重いという、ヤドカリにとってはいくぶん迷惑な話なのですが、趣向としては面白く、単に手元に置いて眺めるだけでも愉しいひと品。

(Double Spirals)

以前、宇宙を覆いつくす巨大な螺旋のイメージについて語りましたが、こんなふうに「2つの螺旋」を並べてみると、ちょっとそれらしく感じられます。(背景は、リック天文台が出した写真集『Publications of the Lick Observatory Vol.8: Nebulae and Clusters』(1908)より、しし座の渦巻き銀河M65)

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このガラスの貝は、米国バーモント州のRobert DuGrenier さんが手作りしています。

■Robert DuGrenier Associates, Inc.
 http://www.tafthill.com/

螺旋蒐集(6)…音響螺旋体2014年01月03日 09時50分33秒

多様な生物が螺旋を愛し、螺旋をその身にまとっている。ならばヒトだって…
と、身の内をしげしげ眺めたら、果たして1対の巻貝が頭蓋内に生息しているのを見出しました。


その生息地は耳の奥。


洞窟のような耳道をたどり、鼓膜も越えたさらにその奥に巻貝は眠っています。



蝸牛(かぎゅう)。訓読みすればカタツムリ。
前庭や三半規管とともに内耳を構成する器官です。

ここから先はニューロンの世界。空気の物理的振動が「聴覚体験」へと変容する入口。この貝殻の奥で物質と精神がせめぎ合い、文字通りGHOST IN THE SHELLが跳梁するわけです。


この耳の解剖模型は中村理科工業(現ナリカ)製。おそらく1960年代の品。
(台座の「寄43-4」の文字は、昭和43年(1968)4月寄贈の意味でしょう。)

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 私の耳は貝のから
 海の響をなつかしむ―

賢治かるた2014年01月04日 12時30分27秒

“正月よ、永遠に続けよかし”の願いも空しく、あっという間に三が日が終わってしまいました。せめて残り二日の休みを、精一杯ダラダラ過ごそうと思います。

この間、特に正月らしい記事もなかったですが、今朝の新聞を読んでいたら、カルタの記事の中に「宮澤賢治木版歌留多」(伊藤卓美制作、奥野かるた店発売)の名前がチラッと出て来たので、正月の名残に載せておきます。


賢治の童話や詩から、重複のないように50作品を選び、その一節と木版画を組み合わせたものです。最初、『宮澤賢治書票歌留多』というタイトルで、書票連作として制作され、次いで書票表示(「○○蔵書」等の文字)を削ったエディションが出たあと(以上は作者のオリジナル限定版)、さらにカラー印刷でそれを再現したのが本品。気軽に遊べるよう、裏貼り仕上げを省いた普及版も出ています。


多彩な作品が取り上げられている中、星にちなむ作品と、言葉遣いがことに美しい2著 ― 賢治の生前に出たのは、この2冊だけです ― の序文を選り出してみます(表記は読み札のまま)。


序・春と修羅
「わたくしという現象は 仮定された 有機交流電燈の ひとつの青い照明です。」
序文・注文の多い料理店
「わたし達は、氷砂糖を欲しい位持たないでも、きれいにすきとほった風をたべ」


双子の星
「天の川の西の岸にすぎなの胞子ほどの 小さな二つの星が見えます。」
星めぐりの歌
「赤い目玉のサソリ 広げた鷲のつばさ」
水仙月の四日
「カシオピイア もう水仙が咲き出すぞ おまえのガラスの水車(みずぐるま)」


よだかの星
「そして自分の体がいま燐の火のやうな 青い美しい光になって、 しづかに燃えてゐるのを見ました。」
銀河鉄道の夜
「では、みなさんは、さういふふうに川だと云はれたり」


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こうして賢治のストイックな姿勢や詩魂に触れると、己の怠惰を愧じ入ります。
でも、これはこれで良いのです。民が平和な日々を過ごすことを、賢治も否定はしないでしょうから。

螺旋蒐集(7)…存在の始原へ2014年01月05日 08時01分42秒

夢枕獏氏の『上弦の月を喰べる獅子』は、「SFマガジン」誌に連載され、後に日本SF大賞を受賞しました。ですから、一般にはSF小説に分類されるのでしょう。ただ、いわゆるサイエンス・フィクションとは遠いテーマであるのも確かです。以下、作品の終盤。

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賢治と「螺旋蒐集家」が融合することによって異界に突如出現した男、アシュヴィンは、数々の経験を経て、ついに蘇迷楼(スメール、世界の中心にそびえる須弥山のこと)の頂にある獅子宮の中に足を踏み入れます。

 螺旋蒐集家は、螺旋階段を登り、最後の一段を踏み出したのであった。
 岩手の詩人は、オウムガイの対数螺旋の極に、たどりついたのであった。

そこでアシュヴィンを待ち受けるのは二つの問。もし彼がそれらに正しく答えられたら、世界は消滅すると言い伝えられていました。しかし、アシュヴィンは己の運命に従い、問と正面から向き合います。その二つの問とは、汝は何者であるか?、そして朝には四本足、昼には二本足、夕には三本足の生き物がいる。それは、何であるか?」というものです。

もちろん、二番目の問は有名なスフィンクスの謎ですが、答は単純に「人間」なのではありません。ここで仏典を連想させるやりとりがいろいろあって、アシュヴィンは見事二つの問に答を与えます。と同時に、問う者と問われる者の合一が生じ、ここに最後の問が自ずと発せられます。

 「野に咲く花は幸福せであろうか?」
 問うた時、そこに、答はあった。
 問うたその瞬間に答が生じ、問がそのまま答となった。
 野に咲く花は、すでに答であるが故に問わない。
 もはや、そこには、問も答も存在しなかった。


これが作品のクライマックスで、この後、現世における螺旋蒐集家と賢治の死、それに釈迦の誕生シーンがエピローグ的に描かれて、作品は終っています。(それによって、2人の物語は釈迦の“過去世”を説く本生譚だったことが明らかとなり、時空を超えた不思議な螺旋構造が読者に示されるわけです。)

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昨年のクリスマス・イヴに、インドの古都から届いた古い巻物。
ここには生命の根源的秘密が図示されている…
と、無理やり話を盛り上げる必要もありませんが、でもまんざら嘘でもありません。


届いたのはインドの学校で使われていたDNAの掛図です。表面のニスの加減でずいぶん時代がついて見えますが、1985年のコピーライト表示が見えるので、比較的新しいものです。

まあ、DNAの掛図を、わざわざインドから取り寄せる必然性は全くないんですが、当時は獏氏の本を読んだばかりだったので、インドと生命の螺旋というタームが心にいたく響き、ぜひ買わないといけない気がしました。


私たちの体が2個の蝸牛のみならず、何千兆もの螺旋体で満ちあふれ、それが生命そのものを律しているのは紛れもない事実ですから、インド云々はさておき、螺旋蒐集上やっぱりこれは見逃せない品だと思うのです。


まあ、監修者のデシュ・バンドゥ・シャルマ博士にしてみれば、およそ妙なこだわりと感じられるに違いありません。平均的日本人にとって、インドは依然何かしら神秘と結びつく国だと思いますが、あるいは先方からすれば、日本こそ怪しい国なのかも。

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いつも同様、さっぱり要領を得ないまま、ひとまず螺旋の話題はこれで終わります。

妖霊星出現2014年01月07日 05時57分26秒

ちょうど元旦に書留で届いた品があります。今年の初荷です。
玄関でサインをしながら、封筒に貼られた切手に思わず目が引き寄せられました。


ハレー彗星の前回接近(1986年)に合わせて発行された、イギリスの記念切手。
左は彗星に姿を変えたエドモンド・ハレー、右はハレー彗星に挑んだ欧州宇宙機関の探査機ジオット。

中身は特に天文とは関係がないので、差出人が気を利かせてくれたわけではなくて、まったくの偶然です。天文モチーフなのは嬉しいですが、それにしても、これまたなんと禍々しい彗星イメージでしょうか。これは吉兆か凶兆か?

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…と思案しつつ臨んだ、昨日の初オークションは痛恨の敗北。うう、凶兆だったか。。。
自分としては十分気合を込めたつもりでしたが、円安の影響で、やはりどこか弱気になっていたのでしょう。ともあれ、今年はかなり厳しい一年となりそうな予感がします。

愛しの天文玩具2014年01月11日 20時35分20秒

しばらくぶりの更新です。
記事も書かずに何をしていたのか?
実は直後はそうでもなかったのですが、前の記事で触れたオークションの敗北がジワジワ効いてきて、一時は憤死せんばかりでした。

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―ときに、Googleのサービスに、WEBページを丸ごと翻訳してくれるというのがありますね。あれを使えば、拙ブログもたちどころに「なんちゃって英語サイト」に変身します。Googleの技術も日進月歩だと思うんですが、日本語と英語の相互翻訳はなかなか向上しません。たとえばブログタイトルの「天文古玩」。以前は「Astrnomical Curio」と正しい訳がついていたのに、さっき試したら、「Astronomical Ko玩」と、えらく劣化していました。もっと以前は、「Astrnomical Old Toy」と訳されていて、これはちょっとうれしい誤訳です。

天文趣味の歴史を探る上で、同時代の玩具に天文学がどのような影響を与え、天文イメージがそこにどう表現されているかは、重要な手がかりを与えてくれますし、モノが玩具だけに、やはり愛玩したくなるようなデザインのものが多い気がします。

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で、今回落札し損ねたのは、19世紀前半に遡る、天文モチーフのボードゲームという大珍品でした。保存状態も良く、12星座、彗星、月、星、太陽が手彩色と金彩で美しく描かれた逸品で…と書いていると、また悔しさがこみ上げてきます。

同時期の天文古書なら山ほど残っているし、財布が許せば購入することに困難はありません。いっぽうゲームというのは、基本的にエフェメラルなものですから、モノ自体残存することが少なくて、金さえ積めばいつでも買えるというものではありません。そして、たまたま出物があっても、勤め人の小遣いの範囲をあっさり超えてしまうことが多いのです(天文マニアだけでなく、ゲームコレクターも参入してくるので、自ずと競争が激しくなるわけです)。

何故あそこでもう一声出なかったのか。無理をすれば買えない額ではなかったのに…。逃した魚は大きいといいますが、実際あれは大魚でした。

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ここで、19世紀前半の天文玩具の実例を見てみます。
ひとつは1829年にイギリスで出たカードゲーム、「Astronomia」。

(上記サイトより寸借)

カードの揃わぬ不完全なセットでも、ニューヨークのGorge Glazer Gallery ではかつて2400ドルの値札をつけており、それも既に売却済みだそうです(http://www.georgeglazer.com/archives/maps/archive-celestial/astronomia.html)。
それにしても、詩情あふれる美しいカードです。上記のブログ主、Kimberly Bright氏ならずとも、これはぜひ復刻版を出してほしいところ。

もうひとつは1804年に、同じくイギリスで出たボードゲーム、「Pleasures of Astronomy」。

Science in Sport, or the Pleasures of Astronomy. A New Game
 (Royal Museums Greenwich Collection)
  http://collections.rmg.co.uk/collections/objects/264736.html

(これまた寸借)

双六形式で遊びつつ、天文学の初歩を身に着けさせる教育玩具です。「振り出し」は太陽で、グリニッジ天文台のフラムスチードハウスが「上り」。18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍した、女流サイエンスライターのはしり、Margaret Bryanが改訂者として名を連ねています。

上記のグリニッジ博物館が所蔵する品は、なんでも天文啓発家として有名なRichard Proctor(1837-1888)のお父さんが所有していたものだとか。

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大魚を逃した悔しさから、その後狂気の如く検索を続けた結果、ついに手に入れたのが、この「Pleasures of Astronomy」の彩色版です。1815年に再版されたものですが、盤面の構成は初版とまったく同じ(ただし、盤面を区分して布地に貼り付ける際の分割の仕方が異なっています)。


どうです、いいでしょう?
とはいえ、これは希望すれば誰でも手に入れることができます。なぜなら、写真に写っているのは、ネット上の画像データを原寸大でプリントアウトして、それっぽく貼り合わせたものだからです。
元データはこちら↓。ゲームのルール解説もあります。

Giochi dell'Oca e di percorso (by Luigi Ciompi & Adrian Seville)
 : Science in Sport or the Pleasures of Astronomy

 http://www.giochidelloca.it/scheda.php?id=1384

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こんな手慰みでわずかに溜飲を下げてはみるものの、やっぱり悔しい。。。
「大魚」を迎えるため、事前に「玩具・ゲーム」のカテゴリーまで新設したぐらいですから、それが無駄とならないよう、今後はそっち方面の品を、マメに登場させようと思います。

ちょっと気取った彗星ゲーム2014年01月12日 16時29分46秒

天文モチーフのゲームと云えば、現代のものですが、こんな品があります。


Royal Comette: A Courtly Game of Risk and Speculation.
 Oxford Games Ltd., 1996(パッケージサイズ 33.5×26cm)
 人数:3人以上、対象:10歳~大人まで

オックスフォード・ゲーム社は、イギリスのエールズベリー(バッキンガムシャー)にあるメーカー。このゲームは、某所で見かけて以来、ずっと気になっており、思い切ってイギリスから中古品を取り寄せました。


パッケージの裏面に、このゲームの由来が書かれているので、以下適当訳。

1682年のハレー彗星出現後、イギリスの上流階級の間で天文学への関心が高まり、それは宮廷での娯楽の在り方にも広範な影響を及ぼしました。「ロイヤル・コメット The Royal Game of Comette」の名で知られるカードゲームが、英国の宮廷に紹介されたのも、こうした天文ブームの一例です。

1684年までには、ロイヤル・コメットは「ご婦人方も含め…宮廷における最も熱い流行」となっており、ずっと後の1748年になっても依然として愛好されていました(この年に、ゲーム盤を用いる、より複雑な遊び方が流行りだしました)。

当社の「ロイヤル・コメット」は、後代の遊び方が持つ刺激的な側面を総合したものであり、同時に60年以上の長きにわたって王宮をとりこにした、あのオリジナル・ゲームの興奮も備えています。

…というわけで、まったくの新作ではなく、古くからあるゲームをアレンジして復活させたもののようです。

箱を開けて、中身を見てみます。



箱の中には、18世紀の天文図をモチーフにしたゲーム盤(50cm×50cm)、専用トランプ、賭け棒(speculation tokens)、解説書が入っています。ルール解説は、最初から輸出を意識して、英独仏日の四カ国語表記。

こういうのは実際にやってみないと、よく分からないのですが(私はまだやったことがありません)、どうやら「七並べ」や「大貧民」式に、配られたカードを早くなくすこと、それと同時に、役カードを上手に使って、盤上の賭け棒をできるだけたくさん集めることの2つが目標で、最終的に賭け棒のいちばん多いプレーヤーが勝ちというルールのようです。

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結局、彗星も天文も、あまりゲームそのものには関係ないのですが、ハレー彗星がきっかけとなって、17世紀から18世紀にかけて思わぬところに天文趣味が芽吹いたというのが、ちょっと面白いですね。そして、20世紀に復活したこのゲーム自体、なかなか洒落ています。



軟体動物の歯舌を染色するにはビスマルク褐を用ゆべし2014年01月13日 17時59分39秒

今日は一日冷たい風が吹いていましたが、頭上は抜けるような青空でした。
屋並みの上に銀色の月が顔を出し、これで三連休も無事終わりです。
今日は鏡開きの餅を焼き、お汁粉を作って食べました。
世間の喧騒をよそに、とりあえず家内は平穏無事。

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理科室趣味を感じさせる最近の買い物から。


古いプレパラート染色液のセット。
京都理化学研究所は、ネットで検索しても引っかからない謎の組織。東京の理化学研究所の沿革には、戦前京都に分室があったような記述はなく、東京の理研とは関係ないのかもしれません。


色硝子の小壜に入った6種セット。
滴下に便利なように、形状は昔の目薬の壜とよく似ています。


「ビスマルク褐」という云い方や、「デラフィルド氏ヘマトキシリン」の「氏」の字の使い方が時代がかっています。「メチーレン」と伸ばすのも古風。


中身はほぼすべて蒸発していますが、赤紫のサフラニン液だけが、わずかに壜の底に名残をとどめています。



ゲンチアンと弁色液の濃淡二様の青い壜。
最初から硝子の色が違うのか、付着した内容液の色の違いかは不明ですが、光に透かせば、いつでもそこに青空を感じることができます。

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実用性はゼロですが、箱全体にどうしようもなく昔の理科室の空気が漂っている品。

20世紀の天文趣味史概論2014年01月15日 00時11分47秒

先ほどメーリングリストで知った情報。
20世紀の天文趣味史の変遷を、望遠鏡製作の観点から論じた論文が、アイオワ州立大学のサイトから全文読めるよ…という話題です。まあ私も読んではいないのですが、今後の資料として、目次と要旨を適当訳ですが、挙げておきます。日本についても特に言及されているので、関心を持たれる方もいらっしゃるでしょう。

Cameron, Gary Leonard.
 Public skies: telescopes and the popularization of astronomy in the twentieth  
 century.
 Dissertation, Iowa State University, 2010. 342 p.

 http://lib.dr.iastate.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2773&context=etd


ゲイリー・レオナード・キャメロン

「みんなの空-20世紀における望遠鏡と天文学の普及」

【目次】

第1章 序論
第2章 「よりシャープな像」の完成―20世紀初頭までの望遠鏡製作とその販売
第3章 金持ちの趣味―1920年以前のアマチュア天文学の状況
第4章 貧者が出した答―アマチュアの望遠鏡製作 1920~1940
第5章 戦争と革命―ホビースト向けの市販望遠鏡 1940~1960
第6章 他の様式とモデル―ヨーロッパと日本における天文学の普及
    (「6.日本の市販望遠鏡―サクセスストーリー」という節が含まれます)
第7章 結論

【要旨】(以下、改段落は引用者)

スプートニクと「宇宙時代(スペース・エイジ)」こそ、20世紀にアマチュア天文学が発展した主要な要因だと言われる。一般向け天文雑誌の充実、公共プラネタリウム、そしてSF小説の流行が、天文学の普及に寄与したのは確かだが、しかし、私はアマチュア天文学の最大の成長は、第二次世界大戦後における安価な望遠鏡の普及とともにあったと考えている。

1900年頃、アマチュア向け天体望遠鏡の平均的購入層は、裕福な医師、弁護士といった人々だった。アルヴァン・クラーク社のように、プロの天文台向けに望遠鏡を供給していたメーカーが手作業で作った屈折望遠鏡こそが、その理想だった。口径が3インチしかない比較的小型の機材でも、今日の3千ドルに相当する費用を要した。

1926年の「サイエンティフィック・アメリカン」誌に、ニュートン式反射望遠鏡の製作法を詳しく説いた一連の記事が掲載された。二人の「技術的チアリーダー」、ラッセル・ポーターとアルバート・インガルスの手になる、これら一連の記事は大いに人気を博し、その結果生まれた自作望遠鏡は、十分な性能を持ち、しかも同様の大きさの市販望遠鏡に比べて経費はごくわずかだった。

1940年までに、アメリカには少なくとも3万人の活動的なアマチュア天文家と「ATM(アマチュア望遠鏡製作者)」がおり、その社会階層は広範に及んだ。第二次世界大戦はATMたちに一つの機会を与えた。近代戦はあらゆる種類の光学機器を必要とし、政府はそうした機器を製作する熟練労働者を、血眼で探したのである。第二次世界大戦は望遠鏡製作の「上級学校」となり、そこでATMたちは大量生産の方法を学んだ。

1950年代になると、ATMたちは数多くの望遠鏡メーカーを新たに設立し、大量生産の技術によって、わずか25ドル(今日の価格にして150ドル)という3~4インチのニュートン式望遠鏡のような、安価な天体望遠鏡を作り出した。これらの望遠鏡は、自動車やテレビ、その他の消費財と同じやり方で販売された。アメリカ以外の国は、「ATMブーム」を大規模に経験することはなかったし、またアメリカ流の生産技術を共有することもなかった。

1950年代におけるアメリカの商用望遠鏡メーカーと同じやり方を採用したのは、唯一日本だけである。1950年代の末を迎える頃には、膨大な量の小型マスプロ望遠鏡が日本から輸出されつつあり、1960年までには、何十万人という平均的アメリカ人がアマチュア天文学に参入していた。