螺旋蒐集(7)…存在の始原へ ― 2014年01月05日 08時01分42秒
夢枕獏氏の『上弦の月を喰べる獅子』は、「SFマガジン」誌に連載され、後に日本SF大賞を受賞しました。ですから、一般にはSF小説に分類されるのでしょう。ただ、いわゆるサイエンス・フィクションとは遠いテーマであるのも確かです。以下、作品の終盤。
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賢治と「螺旋蒐集家」が融合することによって異界に突如出現した男、アシュヴィンは、数々の経験を経て、ついに蘇迷楼(スメール、世界の中心にそびえる須弥山のこと)の頂にある獅子宮の中に足を踏み入れます。
螺旋蒐集家は、螺旋階段を登り、最後の一段を踏み出したのであった。
岩手の詩人は、オウムガイの対数螺旋の極に、たどりついたのであった。
そこでアシュヴィンを待ち受けるのは二つの問。もし彼がそれらに正しく答えられたら、世界は消滅すると言い伝えられていました。しかし、アシュヴィンは己の運命に従い、問と正面から向き合います。その二つの問とは、「汝は何者であるか?」、そして「朝には四本足、昼には二本足、夕には三本足の生き物がいる。それは、何であるか?」というものです。
もちろん、二番目の問は有名なスフィンクスの謎ですが、答は単純に「人間」なのではありません。ここで仏典を連想させるやりとりがいろいろあって、アシュヴィンは見事二つの問に答を与えます。と同時に、問う者と問われる者の合一が生じ、ここに最後の問が自ずと発せられます。
「野に咲く花は幸福せであろうか?」
問うた時、そこに、答はあった。
問うたその瞬間に答が生じ、問がそのまま答となった。
野に咲く花は、すでに答であるが故に問わない。
もはや、そこには、問も答も存在しなかった。
これが作品のクライマックスで、この後、現世における螺旋蒐集家と賢治の死、それに釈迦の誕生シーンがエピローグ的に描かれて、作品は終っています。(それによって、2人の物語は釈迦の“過去世”を説く本生譚だったことが明らかとなり、時空を超えた不思議な螺旋構造が読者に示されるわけです。)
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昨年のクリスマス・イヴに、インドの古都から届いた古い巻物。
ここには生命の根源的秘密が図示されている…
と、無理やり話を盛り上げる必要もありませんが、でもまんざら嘘でもありません。
届いたのはインドの学校で使われていたDNAの掛図です。表面のニスの加減でずいぶん時代がついて見えますが、1985年のコピーライト表示が見えるので、比較的新しいものです。
まあ、DNAの掛図を、わざわざインドから取り寄せる必然性は全くないんですが、当時は獏氏の本を読んだばかりだったので、インドと生命の螺旋というタームが心にいたく響き、ぜひ買わないといけない気がしました。
私たちの体が2個の蝸牛のみならず、何千兆もの螺旋体で満ちあふれ、それが生命そのものを律しているのは紛れもない事実ですから、インド云々はさておき、螺旋蒐集上やっぱりこれは見逃せない品だと思うのです。
まあ、監修者のデシュ・バンドゥ・シャルマ博士にしてみれば、およそ妙なこだわりと感じられるに違いありません。平均的日本人にとって、インドは依然何かしら神秘と結びつく国だと思いますが、あるいは先方からすれば、日本こそ怪しい国なのかも。
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いつも同様、さっぱり要領を得ないまま、ひとまず螺旋の話題はこれで終わります。
コメント
_ S.U ― 2014年01月05日 11時16分53秒
_ 玉青 ― 2014年01月07日 06時09分10秒
年をまたいでお付き合いいただき、ありがとうございます。
まあ螺旋の話題も、「螺旋教」よろしく、螺旋こそ宇宙の一大真理なり…と白目をむいて拝むところまで行ってしまうと、「最も完璧な形は円であるがゆえに惑星軌道は円を描く」と思い誤った古人の轍を踏むことになるでしょうから、「含蓄」を味わうぐらいがちょうど良いのでしょうね。
>人間原理…神様が人間の姿
あ、なるほど。人間原理自体の妥当性はさておき、人間原理が「人は神の似姿」という考え方の現代的バリエーションであるというのは、非常に説得力がありますね。いわば「人は宇宙の似姿であり、宇宙は人の似姿である」というわけでしょうか。
まあ螺旋の話題も、「螺旋教」よろしく、螺旋こそ宇宙の一大真理なり…と白目をむいて拝むところまで行ってしまうと、「最も完璧な形は円であるがゆえに惑星軌道は円を描く」と思い誤った古人の轍を踏むことになるでしょうから、「含蓄」を味わうぐらいがちょうど良いのでしょうね。
>人間原理…神様が人間の姿
あ、なるほど。人間原理自体の妥当性はさておき、人間原理が「人は神の似姿」という考え方の現代的バリエーションであるというのは、非常に説得力がありますね。いわば「人は宇宙の似姿であり、宇宙は人の似姿である」というわけでしょうか。
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要領は得ませんが、とにかく螺旋は展開・成長のイメージであり、高名な建造物その他にみるシンボルとしての螺旋も人間の歴史と天上に至る道への意味が込められているのでしょうから、それが生物の遺伝をつかさどるDNAに含まれていることは、含蓄があってそれでいて理解しやすい意匠のように思います。
いっぽう、同じ究極世界の謎でも、宇宙や素粒子においては、1+3次元の時空とか、例の不確定性原理とか、完全な3方向の対称性を持つ量子色力学、不完全な対称性を持つ物質粒子の3世代、それにヒッグス機構とか、まあ意図も発生源もよくわからんことが多いです。でも、これらも、世界を安定させるために役に立っているからくりであり、人間のためと言えないことはないかもしれません。
私は、人間原理は、どこまでいっても人情にしばられているみたいで嫌いですが、こういうのを全般的に見ると、案外、神様が人間の姿をしているという考えが現代においても根拠を持っているかもしれないと思います。