20世紀の天文趣味史概論2014年01月15日 00時11分47秒

先ほどメーリングリストで知った情報。
20世紀の天文趣味史の変遷を、望遠鏡製作の観点から論じた論文が、アイオワ州立大学のサイトから全文読めるよ…という話題です。まあ私も読んではいないのですが、今後の資料として、目次と要旨を適当訳ですが、挙げておきます。日本についても特に言及されているので、関心を持たれる方もいらっしゃるでしょう。

Cameron, Gary Leonard.
 Public skies: telescopes and the popularization of astronomy in the twentieth  
 century.
 Dissertation, Iowa State University, 2010. 342 p.

 http://lib.dr.iastate.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2773&context=etd


ゲイリー・レオナード・キャメロン

「みんなの空-20世紀における望遠鏡と天文学の普及」

【目次】

第1章 序論
第2章 「よりシャープな像」の完成―20世紀初頭までの望遠鏡製作とその販売
第3章 金持ちの趣味―1920年以前のアマチュア天文学の状況
第4章 貧者が出した答―アマチュアの望遠鏡製作 1920~1940
第5章 戦争と革命―ホビースト向けの市販望遠鏡 1940~1960
第6章 他の様式とモデル―ヨーロッパと日本における天文学の普及
    (「6.日本の市販望遠鏡―サクセスストーリー」という節が含まれます)
第7章 結論

【要旨】(以下、改段落は引用者)

スプートニクと「宇宙時代(スペース・エイジ)」こそ、20世紀にアマチュア天文学が発展した主要な要因だと言われる。一般向け天文雑誌の充実、公共プラネタリウム、そしてSF小説の流行が、天文学の普及に寄与したのは確かだが、しかし、私はアマチュア天文学の最大の成長は、第二次世界大戦後における安価な望遠鏡の普及とともにあったと考えている。

1900年頃、アマチュア向け天体望遠鏡の平均的購入層は、裕福な医師、弁護士といった人々だった。アルヴァン・クラーク社のように、プロの天文台向けに望遠鏡を供給していたメーカーが手作業で作った屈折望遠鏡こそが、その理想だった。口径が3インチしかない比較的小型の機材でも、今日の3千ドルに相当する費用を要した。

1926年の「サイエンティフィック・アメリカン」誌に、ニュートン式反射望遠鏡の製作法を詳しく説いた一連の記事が掲載された。二人の「技術的チアリーダー」、ラッセル・ポーターとアルバート・インガルスの手になる、これら一連の記事は大いに人気を博し、その結果生まれた自作望遠鏡は、十分な性能を持ち、しかも同様の大きさの市販望遠鏡に比べて経費はごくわずかだった。

1940年までに、アメリカには少なくとも3万人の活動的なアマチュア天文家と「ATM(アマチュア望遠鏡製作者)」がおり、その社会階層は広範に及んだ。第二次世界大戦はATMたちに一つの機会を与えた。近代戦はあらゆる種類の光学機器を必要とし、政府はそうした機器を製作する熟練労働者を、血眼で探したのである。第二次世界大戦は望遠鏡製作の「上級学校」となり、そこでATMたちは大量生産の方法を学んだ。

1950年代になると、ATMたちは数多くの望遠鏡メーカーを新たに設立し、大量生産の技術によって、わずか25ドル(今日の価格にして150ドル)という3~4インチのニュートン式望遠鏡のような、安価な天体望遠鏡を作り出した。これらの望遠鏡は、自動車やテレビ、その他の消費財と同じやり方で販売された。アメリカ以外の国は、「ATMブーム」を大規模に経験することはなかったし、またアメリカ流の生産技術を共有することもなかった。

1950年代におけるアメリカの商用望遠鏡メーカーと同じやり方を採用したのは、唯一日本だけである。1950年代の末を迎える頃には、膨大な量の小型マスプロ望遠鏡が日本から輸出されつつあり、1960年までには、何十万人という平均的アメリカ人がアマチュア天文学に参入していた。