虹のかけら(2)…リアル人造虹製造猿 ― 2014年02月07日 21時16分06秒
ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」第5楽章、「魔女の夜宴の夢」。
ネットラジオからその旋律が流れてきた夕刻、ちょうどカラスが鳴きだしました。おや?と思ったら、その後もカラスは巧みな間合いで鳴き続け、大いに不思議の感を催しました。まあ、原曲のリズムと演奏のテンポが、たまたまカラスの自然な鳴きの間隔と一致しただけでしょうが、曲も曲であり、素敵に妖しいひと時でした。
ネットラジオからその旋律が流れてきた夕刻、ちょうどカラスが鳴きだしました。おや?と思ったら、その後もカラスは巧みな間合いで鳴き続け、大いに不思議の感を催しました。まあ、原曲のリズムと演奏のテンポが、たまたまカラスの自然な鳴きの間隔と一致しただけでしょうが、曲も曲であり、素敵に妖しいひと時でした。
ようやく自分の身体に戻って、こうしてどうでもいいことを書く元気も戻ってきました。
前回からずいぶん間が開いてしまいましたが、虹の話題を続けます。
★
昭和初期、街頭で多くの人の喝さいを浴びた人造虹製造猿。
たしかに、それはクラフト・エヴィング商会という手練れの幻影師が生み出した、美しい一場の幻にすぎません。
しかし、私はそれが単なる幻とは言い切れないことを知っています。なぜなら、私は人造虹製造猿の「亜種」を所有しているからです。
RAINBOW IN YOUR HAND。 掌中の虹。
その正体は、6cm ×13cm の小さな本(この本は、以前、どこかのミュージアムショップで購入しました)。
各ページには黒地に7色の帯がくっきりと印刷されており、これをパラパラやれば…
手の中に見事な虹のかけはしが!(…と言いつつ、片手でパラパラやりながらカメラを構えるのは難しいので、うまく写りませんでした。)
まあ、他愛ないといえば他愛ないんですが、虹というのは本来他愛ないものだと思います。そして、ここに現出する虹は、光学応用のそれではなく、人間の視覚特性 ― すなわち時間解像度の低さ ― に依拠しており、いわばヒトの脳内にのみ存在するという意味で、いっそう幻めいています。
かといって、では本物の虹が、リンゴや月と同じように外部世界に実在するのか…と問われれば、誰もが一瞬考え込むでしょう。結局、何が実で、何が虚か、追えば追うほど遠ざかるのが虹の本質である…というふうに、何となく奥深そうに(かつ無責任に)この一文を結びたいと思います。
★
「なるほど、人造虹は見事にできたね。ところで、猿はどうしたの?」と思う方もおられるでしょう。もちろん、猿は私自身が演じるわけです。この紙束を手に、昼下がりの街角に立ち、パラパラやってみせれば、これぞまさにリアル人造虹製造猿。
少なくともこの「猿」だけはリアルな存在に違いありません。(あるいは、それすらちょっと怪しいと思われるでしょうか?)
コメント
_ S.U ― 2014年02月08日 06時54分20秒
_ 玉青 ― 2014年02月08日 20時32分48秒
「虹のタペストリー」はいいですね。
まがいでない、「本物の虹」の風格があります(例の猿にしろ、タペストリーにしろ、製造しているのは、実は「人造虹」ではなく、「人造雨上がり状態」であって、そこにできる虹自体は「天然自然の虹」と称しても良いのでは?と、今ふと思いました)。
光の種類や角度など、いろいろ実験するにもシート状だと扱いやすいのも利点ですね。
まがいでない、「本物の虹」の風格があります(例の猿にしろ、タペストリーにしろ、製造しているのは、実は「人造虹」ではなく、「人造雨上がり状態」であって、そこにできる虹自体は「天然自然の虹」と称しても良いのでは?と、今ふと思いました)。
光の種類や角度など、いろいろ実験するにもシート状だと扱いやすいのも利点ですね。
_ S.U ― 2014年02月09日 06時32分06秒
>「虹のタペストリー」はいい
これはまずは命名の勝利ですよね。だれが名付けたのかは知らないのですが、すばらしいと私は思っています。日の当たる室内に飾っておいて、ほんとうに虹が見えたらいいでしょうねぇ。
>「本物の虹」の風格
>本物の虹が、リンゴや月と同じように外部世界に実在するのか
ご指摘のように、虹は限定的な意味で存在するモノではなく、光が作る「形」だと考えれば、「人造虹」も「本物」ですよね。(何か養殖のウナギやマグロの議論のようでもありますが)
ときに、虹は、気象現象であることは間違いありませんが、この「気象」という言葉は、「気」と「象」からなっています。私の解釈では「気」は原子のような物質です。東洋の「気」は粒子ではなく連続体ですが、物質のエッセンス的なモノである点にはちがいありません。また、「象」は見た目の形を表します。それで、虹は、「気」であるモノが作った「象」の典型的なものと考えられます。
この考え方が「気象」という言葉の語源かどうかはしりません(Wikipediaの「気象」を見る限り、この方向は追求されておらず、語源のルーツははっきりとはわかっていないようです)が、語源について考えるには、この虹の考察は役に立つのではないかと思います。
これはまずは命名の勝利ですよね。だれが名付けたのかは知らないのですが、すばらしいと私は思っています。日の当たる室内に飾っておいて、ほんとうに虹が見えたらいいでしょうねぇ。
>「本物の虹」の風格
>本物の虹が、リンゴや月と同じように外部世界に実在するのか
ご指摘のように、虹は限定的な意味で存在するモノではなく、光が作る「形」だと考えれば、「人造虹」も「本物」ですよね。(何か養殖のウナギやマグロの議論のようでもありますが)
ときに、虹は、気象現象であることは間違いありませんが、この「気象」という言葉は、「気」と「象」からなっています。私の解釈では「気」は原子のような物質です。東洋の「気」は粒子ではなく連続体ですが、物質のエッセンス的なモノである点にはちがいありません。また、「象」は見た目の形を表します。それで、虹は、「気」であるモノが作った「象」の典型的なものと考えられます。
この考え方が「気象」という言葉の語源かどうかはしりません(Wikipediaの「気象」を見る限り、この方向は追求されておらず、語源のルーツははっきりとはわかっていないようです)が、語源について考えるには、この虹の考察は役に立つのではないかと思います。
_ 玉青 ― 2014年02月09日 20時42分44秒
気象という言葉はたいそう古いそうで、「古事記」にも用例があるとか。その後、近代的な意味での気象、すなわちmeteorology の訳語として「気象学」の語が生まれたのは、幕末のことで、例の川本幸民がその最初だそうです。また中国でも、現在この意味で「気象」の語を用いていますが、これは日本からの逆輸入だというのは一寸意外な話。
…と、したり顔で書いていますが、これらのことは全部下の文章の受け売りです。
■「気象学」のはじまり
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/13/4/13_88/_pdf
ともあれ、虹はまさに「気の象(かたち)」そのものですね。
しかも大らかで、なかなか良い形をしています。
…と、したり顔で書いていますが、これらのことは全部下の文章の受け売りです。
■「気象学」のはじまり
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/13/4/13_88/_pdf
ともあれ、虹はまさに「気の象(かたち)」そのものですね。
しかも大らかで、なかなか良い形をしています。
_ S.U ― 2014年02月10日 07時26分51秒
「気象」は古いのですねぇ。「古事記」の昔からそれほど離れていない意味で存在したとは驚きです。川本幸民が明治を待たずに学問として確定してくれたのもさすがです。
「気象」のついでに、と言っては天文に失礼ですが、「天文」も同様の意味で含蓄のある言葉だと思います。例によって語源は調べていませんが、モノである「天体」と、カタチである「天象」を合わせたものが「天文」だと思うのですがそれでよろしいのでしょうか。
よく、「日月の食」(日食・月食)とまとめていいますが、月食は本当に月の地べたが暗くなっていて「天体」の変化ですが、日食は、太陽と月は痛くも痒くもなく、ただ地球から見て両者が重なって見えるだけですので、「天体」ではなく「天象」と言えます。「月食」という天体はあっても「日食」という天体はなく、まった異種の現象です。細かいことを言えば、日食が見える地球の地べたが少し暗くなっているはずですが、地べたのことは伝統的には「天体」とは呼ばないでしょう。
こう考えると、ミラ型変光星は天体で、アルゴル型変光星は天象で、赤方偏移は、ガンマ線バーストは、クエーサーの変光はどうのこうの、と現代天文学にも発展できそうです。
「気象」のついでに、と言っては天文に失礼ですが、「天文」も同様の意味で含蓄のある言葉だと思います。例によって語源は調べていませんが、モノである「天体」と、カタチである「天象」を合わせたものが「天文」だと思うのですがそれでよろしいのでしょうか。
よく、「日月の食」(日食・月食)とまとめていいますが、月食は本当に月の地べたが暗くなっていて「天体」の変化ですが、日食は、太陽と月は痛くも痒くもなく、ただ地球から見て両者が重なって見えるだけですので、「天体」ではなく「天象」と言えます。「月食」という天体はあっても「日食」という天体はなく、まった異種の現象です。細かいことを言えば、日食が見える地球の地べたが少し暗くなっているはずですが、地べたのことは伝統的には「天体」とは呼ばないでしょう。
こう考えると、ミラ型変光星は天体で、アルゴル型変光星は天象で、赤方偏移は、ガンマ線バーストは、クエーサーの変光はどうのこうの、と現代天文学にも発展できそうです。
_ 玉青 ― 2014年02月10日 22時10分42秒
「天文」の用語例は、有名な「日本書紀」602年の条にある、百済僧・観勒が暦、地理、遁甲、方術と並んで天文の書を伝えたという記述が古いものらしいです。
本来の天文とは、一種のテクノロジーであり、平たく云えば占星の法を指すもののようです。S.Uさんの用語でいえば、天体/天象に関する知識と、その解釈システムを総合した体系が「天文」なのでしょう。(あまり分からずに書いているので、持って回った言い方になり、恐縮です。)
それはさておき、天象と天体の区別は、たいへん興味深く思いました。
そこで観測される対象が、客体の実質的変化を伴うものなのか、単なる見かけだけのものなのか、いわば「見かけの二重星と真の二重星」の違いのようなものですね。
うまく類例が出てきませんが、何だか人間世界にもありそうな気がします。
本来の天文とは、一種のテクノロジーであり、平たく云えば占星の法を指すもののようです。S.Uさんの用語でいえば、天体/天象に関する知識と、その解釈システムを総合した体系が「天文」なのでしょう。(あまり分からずに書いているので、持って回った言い方になり、恐縮です。)
それはさておき、天象と天体の区別は、たいへん興味深く思いました。
そこで観測される対象が、客体の実質的変化を伴うものなのか、単なる見かけだけのものなのか、いわば「見かけの二重星と真の二重星」の違いのようなものですね。
うまく類例が出てきませんが、何だか人間世界にもありそうな気がします。
_ S.U ― 2014年02月11日 07時50分18秒
>本来の天文とは、一種のテクノロジーであり
そうですね。「天文」の「文」は、現代のセンスでは「現象の学問」という感じですが、本来は「術」なのでしょう。学問として天文を研究した先人は、方術と一緒にされてたまるかと、「文」を使わずに「天学」とか「星学」とか称したのだと思います。現代は、「天文学」になっていて、これまた国家政策としての暦学観や歴史観まで感ぜられ含蓄があると感じます。
>「見かけの二重星と真の二重星」
身近な二人が「見かけ」なのか「真」なのかを見分けるのは、現代の処世においても重要な方術ということでありましょうか?(笑)
そうですね。「天文」の「文」は、現代のセンスでは「現象の学問」という感じですが、本来は「術」なのでしょう。学問として天文を研究した先人は、方術と一緒にされてたまるかと、「文」を使わずに「天学」とか「星学」とか称したのだと思います。現代は、「天文学」になっていて、これまた国家政策としての暦学観や歴史観まで感ぜられ含蓄があると感じます。
>「見かけの二重星と真の二重星」
身近な二人が「見かけ」なのか「真」なのかを見分けるのは、現代の処世においても重要な方術ということでありましょうか?(笑)
_ 玉青 ― 2014年02月11日 16時27分05秒
あはは、どうやら細川さんと小泉さんは「見かけ」だけだったみたいですね。
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「人造虹」は私にとって特に興味のあるテーマです。ご紹介の「猿」と「パラパラアート」はとてもユニークなアイデアですね。とくに、この「猿」がどうやったらできるのか考え込んでしまいました。
よくある人造虹としては、子どもの時にやった「水撒き」「水中に鏡」でしょうか。プリズムがあればきれいな虹が作れますが、断面が6角形の透明なボールペンでもできます。玉青さんとの関わりでは、前にハーシェルの赤外線検出実験の関係で、CDを使って実験をしたことがありました。
さて、「猿」様の装置は現状ではどこにも完成していないようですが、私の職場で普及をしている『虹のタペストリー』の技術を使えばある程度のものはできるかもしれません。どなたか考えて下さいませんか!?
(ぷいぷいさんのブログより「虹のタペストリー」の取材記事↓)
http://puipui.cocolog-nifty.com/puipui/2008/08/2008_a330.html
3枚目の写真以降をご覧下さい。
(タペストリーの虹の写真を撮って公開して下さったぷいぷいさんに感謝します)
ちょっとタネあかしをしますと、このプラスチックの粉が透明球のつぶになっています。