天文古書の黄昏(2)2014年02月19日 20時13分12秒

(昨日のつづき。リチャード・サンダーソン氏の投稿の後半)

「過去10年間にわたって、インターネットは専門家による書籍販売を圧迫し続けてきた。インターネット上にあふれる情報やサーチエンジンのおかげで、稀覯書も今では見つけるのが簡単になったいっぽう、専門家がそこそこの利益を上げられるほど安く本を手に入れることは難しくなった。その上、ベテラン蒐集家の自然減を補うほど、十分な数の若いコレクターが参入してくることもなかったため、天文古書の顧客の基盤は脆弱になってしまった。また、かつては(蒐書の価値ではなく)もっぱらその情報の中身を求めて貴重書を購入していた専門機関の買い手たちも、インターネット上でスキャン済みの本が簡単に読めるようになるにつれて、もはや専門家に頼る必然性が薄れてきた。」

そう、ご多分に漏れず、ここにもネットの功罪という問題が横たわっているのです。
サンダーソン氏が天文アンティークに関するコラムを書いた2001年、まだネットの光と影のうち、「影」の部分は顕在化していませんでした。以下、以前訳出した氏のコラムの一節(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/01/29/230490)。

「古書収集は非常にポピュラーな趣味だ。ビンテージ本マニアは、お宝本を求めて古本市やオークションをあさり、〔…〕ブック・ベアー書店(マサチューセッツ州ウェストブルックフィールド)やワットリー古書センターのような貴重書・絶版本を置く店を駆け巡る。彼らはインターネット上でも、eBayを覗いたり、bibliofind や abebooks のような本のデータベースにあたって、古書を探し求める。」

強力なツールの登場によって、天文古書収集のフィールドは拡大し、それはコレクターにとって手放しで福音だと受け止められていた気配があります。

しかし、ネットは天文古書の売買情報へのアクセスビリティを向上させたばかりではありません。それは「あらゆる情報の玉手箱」へと成長し、結果的に天文古書が持つ情報価値(これが他のアンティークと異なる性格を古書に与えています)と、それに対するニーズを大幅に減殺し、個人業者は利幅の縮小に悩むことになったのです。

(↑現在、古書検索サイトで幅を利かせているのはオンデマンド印刷を謳う業者。ネット上のオープンデータを印刷・簡易製本して、きわめて低廉な価格で提供しています。本来の古書はその隅っこで小さくなっているのが実態。さらにディスプレイ上で読めれば十分という人には、こうしたサービスすら不要なので、こうなっては古書業者が衰退するのも理の当然です。)

私自身は、こうした事態の推移をどう評価すべきか、大いに迷う部分があります。何しろネットがなければ、今手元にある天文古書の99%は手に入らなかったでしょうし、そもそもサンダーソン氏のコラムを目にすることもなかったでしょうから。

私がルーサー氏を知った頃、氏は古書販売目録を海外に送ることに否定的でした。アメリカ国内とのタイムラグで、海外の顧客が注文を入れても、ほとんど空振りに終わってしまうから…というのがその理由でした。しかし、その後オンラインでカタログを配信するようになり、今思えば、あのとき時代がはっきり変わったのでしょう。すなわち、「紙からデータへ」。それは紙の本を売買するルーサー氏自身の商売の基盤が揺らいでいることを、自ずと象徴するものでした。

「ポール・ルーサーは、最近バーナードストンの町役場書記に選出され、現在、町の帳簿整理に忙しい。彼の書棚に残っていた天文書も、最近のオークションですっかり整理された。しかし、ポールは今でも1冊の本を販売している。それは彼とヴァル夫人が最近出した、『癒すことと癒されること~傷ついた世界に捧げる祈り』という本だ。これは世界中の宗教的あるいは世俗的伝統に取材した65篇の話を編んだもので、「lutherastrobks」名義でeBayを通じて販売されている。

古書の専門家と熱心な顧客の間に築かれた貴重で永続的な関係は、非人格的なオンライン書店によって取って代わられることはない。ポール・ルーサーの「アストロノミー・ブックス」の閉店は、今後決して満たされることのない空白を生み出したといえよう。」


書き遅れましたが、以上のサンダーソン氏の投稿のタイトルは「1つの時代の終わり」と言います。本当にいろいろな意味で「時代の終わり」を感じる投稿です。

   ★

寂しくはあります。しかし、私は今後も天文古書を買うことをやめないでしょう。なぜなら私が買っているのは情報ではなく、あくまでも本というモノだからです。そして、モノとしての存在感がある本を、今後は一層探し求めることになるのでしょう。

美しい印刷、装丁職人のわざ、微笑ましいペン書きの献辞、そして何よりも百年、あるいは二百年も前の人が心躍らせてその頁をめくったという事実。こうしたものは電子データでは代替がききませんし、そうした本を慈しむ心は、今後も永く絶えることがないのではないでしょうか。

(うーん…我ながら少しムキになっていますね。こういう愛書趣味は、たぶん文学書だったら、もっと素直に主張できるのでしょうが、科学に関する本は、その点ちょっと分が悪いです。)