種はまかれた2014年03月09日 10時06分17秒

すっかり調子を崩してしまいました。
身体の調子ではなく、精神の調子をです。

事の起こりは些細なことでした。

かつて東大総合研究博物館・小石川分館で異彩を放っていた、生薬標本コレクション(今のインターメディアテクにも、生薬標本の展示はあったと思いますが、内容は違うものだったような…)。

(上の写真は小石川ではなく、安田講堂で行われた東大創立120周年記念展の光景。黒いキャップをかぶった大型の壜はドイツのメルク社製、上段に並ぶ小型の壜は津村研究所製。「芸術新潮」1997年12月号より)

(出典同上)

ダークで怪しげな壜の行列は、小石川のヴンダーな空間にあっても、抜きんでた存在感を示していましたが、私の中の理科趣味イメージからすると、医学・薬学系の品は、常に周辺的な存在だったので、単にその場で圧倒されるにとどまっていました。

しかし、最近、小さな生薬標本のセットを見つけました。菓子箱ぐらいの大きさの紙箱に、生薬の入った小壜が何十本も並んでいるという、東大コレクションのミニチュアのような品です。上に述べたようなわけで、自分のこれまでの買い物の傾向からすると、一寸異質な品なのですが、今はなき小石川の光景を懐かしむ気持ちもあって、あまり深い考えもなしに、それを買い入れました。

(購入時の商品写真を流用。こういうのが他にもいくつかあって、全体で1セットになっています。)

すると、そもそも生薬とは何であるのかが気になりだしました。
私の浅はかな認識では、漢方薬の別名ぐらいに思っていたのですが、東大のコレクションがドイツ製であることからも分かるように、生薬とは漢方薬に限りません。19世紀以降、工場で化学的に薬品が合成されるようになるまで、洋の東西を問わず、薬品はすべて天然の産物(大半は植物)から作られており、薬はおしなべて生薬であったわけです。

で、私の思考パターンからして、その関心は現代における生薬学の発展に向かうことなく、ひたすら過去に向かうことになります。明治の生薬学の本を読み、そこから更に古い薬学書、本草書まで気になりだし、それが呼び水となって、しばらく休眠していた博物学全般への関心が鬱勃としてみなぎったとしたら…。まあ、そんなわけで精神のバランスをすっかり崩してしまったのです。と同時に収支のバランスも。

木の芽時にはちょっと早いですが、季節を先取りした感があります。

   ★

ところで、今日の朝日新聞の書評欄に、こんな本が紹介されていました。


こういうところから、博物学にまたポッと光が当たるといいですね。
(ちょっと読んでみようかな)