博物図譜のデジタル化について2014年03月16日 17時15分19秒

忙しくて記事も書けぬ…と言ったそばから何ですが、記事の書き方を忘れそうなので、やっぱり書いてみます。

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最近、興味の赴くところに従って、再び博物学関係の本を買うことが多いです。
その多くはネット上でも読めるのに、なぜ自分はかさばる古書を、しかも少なからぬお金を出して買うのだろうと改めて自問してみました。

なぜ買うか?と問われれば、即座に「そりゃあんさん、感動が違いますがな」と答えたいところですが、それだと主観的に過ぎるので、もうちょっと理屈を述べてみると、まず一つには画像の鮮明さの問題があります。

実例を挙げてみます。
ここに甲虫類の博物誌(The natural history of beetles、1835)』という本があります。


James Duncun が著し、William Jardine が編んだ「ナチュラリスト叢書」の一冊として刊行された小ぶりの本です。その内容は現在複数のサイトで公開されていて、例えばBiodiversity Heritage Libraryで公開されているデータは、後の1852年に出た版から取ったものですが、画像もきれいで、めくり心地もなかなか良いです。

The natural history of beetles : illustrated by thirty-two plates,
 numerous wood-cuts, with memoir and portrait of Ray (1852)

 https://archive.org/details/naturalhistoryof01dunc

これは現在オンラインで読める書籍の平均的な姿よりも、むしろ鮮麗な部類だと思いますけれど、それでもちょっと目を凝らすと、やはりアラが目に付きます。
たとえばクワガタ類を描いた第18図。銅版(鋼版かもしれません)手彩色の美しい図です。


これについて、ネット上の画像をいちばんズームした状態と、デジカメでの接写画像を比べてみます。





こうして比べてみると違いは明らかで、「オンラインで読めるから紙の本は要らないよ」という風には、まだまだなりそうもないことは、お分かりいただけるでしょう(ちなみに元画像はCanon 5Dを使って2009年に撮影され、画素密度は500ppiであると上記ページには記載されています)。

もちろん画素数の問題は、ファイルサイズが大きくなるのを厭わなければ、もっと細かくできるので、根本的な問題ではないのでしょう。今後も電子書籍はどんどんディテールの表現力を高めていくはずです。現に、武蔵野美術大学が進めている荒俣宏氏旧蔵書のデジタルアーカイヴ化の成果は、溜め息が出るほどです。

   ★

しかし、デジタル画像に関しては、もう一つ気になる点があります。
それは画像の色彩表現の問題で、文字だけの本ならいざ知らず、図譜類に関しては、電子書籍化にとって、これはより大きな壁かもしれません。

RGBの階調表現(一般には各色8bit=256階調)の制約や、またそれ以上にディスプレイの性能の限界もあって、やっぱり原書と画像は違います(そもそも、既存のディスプレイで再現できるのは、人間が認識できる色彩の限られた一部に過ぎない由)。上に掲げたデジカメの写真も、できるだけ色合いを実物に近づけたつもりですが、それでも実物とは明らかに違います。また実物は灯火の下で見るのと、太陽光の下で見るのとで、ずいぶん色合いが違いますが、デジタル画像は常にひと色です。

さらに根本的なこととして、油絵同様、普通の本でも、基材と発色層の重なりは立体構造をしているので、2次元画像にする際、必ず捨象される情報が出てきます。単純な話、画像だと裏写りと表面の染みの区別がつきにくいです。さらに紙の凹凸や質感まで捉えるには、平面的な絵であっても、ステレオ写真にしないといけないのかもしれません。

それに、これは私もよく知らないのですが、かつてレコード vs. CDという形で、デジタルとアナログの音質をめぐっていろいろ議論があった気がします。あれのビジュアル版といいますか、デジタルデータは人間のリアルな視覚体験にどこまで迫れるのかという議論もあるんでしょうか。たとえば、今でもRGBそれぞれに16bit=65,536の階調を割り当てる「48bit画像」というのがあって、さすがにそれだけ細かくすれば、人間の認識の限界を超えていると思いますけれど、「いやいや、人間の視覚はそんなものじゃない」という議論があるとか…?

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ともあれ、紙の本は紙の本で大きな美質を備えていますから(もちろんデジタルにも美質はあるでしょう)、良いと思えばどんどん買えば良い、ためらってはなりませぬと、声を大にして申し上げたい。

コメント

_ S.U ― 2014年03月17日 22時49分49秒

  コンピュータディスプレイには、金色銀色は出せませんよね。金の質感の画像は出せますが、金色そのものは出ません。ですから、少なくとも金屏風は(少なくとも現在普及しているPC用には)電子データ化できないことになります。

 また、私は、年によって年賀状に金色の文字を載せています。写真やプリンターでは出ないので、ポスターカラーをスタンプで押すという旧式の方法で実現しています。

 さらに、レーザー光線の照射やホログラムシール、モルフォ蝶などの色つやは、干渉の効果なので、写真には写ってもその精妙な質感はディスプレイに出ないと思います。コンピュータは視覚に関してはまだまだです。

_ 玉青 ― 2014年03月18日 22時22分04秒

現実世界がディスプレイの提示する世界よりも美しくあり続けるのは、考えてみたら幸せなことかもしれませんね。(もしそうでなくなったら…。原理的にはあり得ると思いますが、私にはそれがどんな世界なのか想像もつきません。)

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