2つの理科嗜好2014年05月21日 21時28分24秒

昨日の続き。

ここで、理科用語のカッコよさと、理科趣味アイテムのカッコよさを比べてみます。
と言いますか、カッコいい理科用語に惹かれる人と、カッコいい理科趣味アイテムに惹かれる人の共通点と差異に注目してみます。

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両者は「理科」を仲立ちに、当然重なる部分があります。
たとえば、両者は等しく理科室が好きでしょう。
キラキラ光るフラスコや試験管の列、不思議な形状の化学実験装置、アルコールランプの焔、硫酸銅の青、白衣の思い出… こうしたモノは、両者が等しく愛好するものだと思います。


「フレミング左手の法則」とか、「オングストローム」とか、「酢酸カーミン」とかは、いわばそんな理科室の空気を漂わせた用語ですね。ちょっと個人的懐かしさがまじっている感じです。

しかし、これがたとえば、「カイラル超場」とか「ホーキング輻射」とかになってくると、モノに喩えるなら、圧倒的スケールを誇る巨大加速器とか、多彩な眼で世界の果てを覗く宇宙望遠鏡、はたまたウネウネしたサイバーコンプレックスみたいなイメージで、懐かしさよりは科学の先端性、未来志向が前面に出てきます。そして、理科用語に惹かれる人の軸足は、どちらかといえば、こちらに置かれているのではないでしょうか。

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他方、理科趣味アイテムといえば、現在の趨勢として、その多くが「理系アンティーク」に属するものです。そこにははっきりと古物趣味が混入していますし、中にはヴンダー趣味に接近するものもあります(一部の生物標本など)。

古びた真鍮製の顕微鏡とか、19世紀チックな星図や博物画の魅力は、まばゆく光り輝くビッグ・サイエンスの魅力とは、少なからず色合いが違います。むしろそこには科学が素朴だった時代への憧れがあり、両者の「好ましさのベクトル」は逆向きのような気もします。

要するに、サイエンス用語に惹かれる人と、理科趣味アイテムに惹かれる人は、「理科室愛」を共有しつつも、それぞれ視線が前(未来)に向くか、後(過去)に向くかという点に違いがある…というのが、この場での一応の結論です。

もちろん、2つの嗜好を併せ持つ人も多いでしょうが、その場合、全体が1つの趣味というよりは、2つの趣味を同時並行でやっている、いわば将棋も指せば、囲碁も打つという感じじゃないでしょうか。
(うーん、違うかな…違うような気もしますが、作業仮説として、一応そういうことにしておきましょう。)

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ともあれ、昨日の古い験電瓶がまとう魅力を考える際、上の仮説はある程度有効だと思います。

コメント

_ S.U ― 2014年05月22日 19時16分07秒

確かに、理科用語は未来志向趣味で、理科室趣味は過去懐古趣味の要素が強いですね。理科室趣味から見えるものは、「古き良き時代」にほかなりません。

 それでは、なぜ自分は子どもの頃から理科室好きなのかと考えてみましたところ、理科好きと科学史好きが「ヘッケルの反復説」状態で干渉を起こして、わけがわからなくなりました。

 一つ感じたことですが、歴史的に未来を切り開こうとした実験装置は、過去のものになっても、その心は永遠ですね。うまく言えないのですが、「現代に生きるレトロ・フューチャー」とでもいうか、稲垣足穂のいう複葉機は「永遠なるもの」と、そういう感じのものです。おそらく験電瓶も、今日では教材として1時間の授業で使われるだけの価値しかないでしょうが、現在のハイテク機器にその伝統が息づいているのでしょう。

 と、ここまで考えて、それでは、一旦真理で未来を切り開くと思われた科学理論、デカルトの「宇宙充満説」も、例の朝永博士の「超多時間理論」も、廃れたかのように見えて、実は現代の科学理論の創始であって今も生きていることは、ライト兄弟の捻り翼型複葉機とまったく同じではないかと思いつき、理論用語も実験装置も同じというところに引き戻されてしまいました。

_ 玉青 ― 2014年05月23日 07時10分07秒

S.U大人を悩ませ申し上げ、まこと恐懼の至りです。(^J^)

>歴史的に未来を切り開こうとした実験装置は、過去のものになっても、その心は永遠

かつての実験装置は、当時の人にとって「未来からの手紙」と受け止められたかもしれませんね。そこに措定される「未来」は、近い未来であったり、遠い未来であったり、様々でしょうが、ときには物理的時間を超えた「永遠に未来的なるもの」という場合もあるでしょう。その同じ物を現代の我々が眺めると、それは「過去からの手紙」であると同時に、「同時代からの手紙」であったり、依然として「未来からの手紙」でもあったりして、そこに不思議な共振が生じて、めまいに似た感覚を覚える…

この辺の事情は、モノにしろ、言葉にしろ、共通かもしれませんね。
理科用語や理科趣味アイテムの魅力が、それに尽きるかどうかは分かりませんが、そこに生じる不思議な時間感覚、いわば超時間的浮遊感が、その大きな要素であることは確かに思えます。

_ S.U ― 2014年05月24日 07時49分38秒

>超時間的浮遊感
 理科室や科学博物館はこのような浮遊感が体験できる貴重な場所だと思います。科学史の詳細の知識が無くても、例えばエジソン時代の古い電球を見ればそれが現代への出発点であったことがすぐに理解できるところがすばらしいではありませんか。

_ 玉青 ― 2014年05月24日 13時36分43秒

そして理科室風書斎を標榜する私は、今日もふわふわと漂い続けるわけです。(笑)

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