ある夫婦と赤い本2014年05月24日 13時24分22秒

理科とも天文とも全く関係ない話題ですが、昨日の鉱物額を見て結婚記念の品を連想したのは、以下のようなモノが念頭にあったからです。


フランスが他国よりも結婚記念日を重視するのかどうかは知りませんが、少なくとも日本より重視していたのは確かでしょう。


この赤い本、冒頭ページの上部には「1873年11月10日」、下部には「1898年5月10日」の日付が入っています。中央には宝玉に囲まれた飾り文字と男女のカメオ、そしてハートのマーク。つまり、この本は1898年に銀婚式を迎えた、ある夫婦の記念の品で、たぶんご主人が奥さんに贈ったものだと思います。

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19世紀のパリにあって、印刷・装丁・金工の総合芸術たる豪華本の制作を手がけた「グリュエル=アンジェルマン工房」というのがあります。
19世紀前半の創業で、20世紀前半までは存続したようです。元はただの「グリュエル工房」でしたが、二代目の夫人が寡婦となった後、石版画家のジャン・アンジェルマンと再婚して店を続けたことから、以後「グリュエル=アンジェルマン工房」を名乗りました。

同工房が手がけたのは、主にロマン主義やゴシック・リヴァイヴァルの流れに沿った、中世趣味あふれる品で、時祷書はその主力商品。今回の品もまさにそれです。思わず愛玩したくなる、宝石箱のような作品は、当時需要も大きかったのでしょう。

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改めて本の表情を見てみます。


本の天地と小口にすべて金箔を押した「三方金」。
凝った留め金具を外して表紙を開くと、


見返しは絹張りです。


合掌してひざまずくのは、本が無事完成したことを喜ぶ作者でしょうか。
上部に「Gruel Engelmann」の名が見えます。


あとはひたすら美麗なページが続きます。




それにしても、この極彩色の本を、全編リトグラフで制作するのは大変だったでしょう。多色石版は、それ以前と比べて、カラー印刷のコストを格段に下げましたが、それでも職人の技であることに変わりはなく、これは間違いなく19世紀の印刷技術の頂点を示すものだと思います。何より拡大しても網点が見えないのは、実に気持ちがよいものです。

(…と言った舌の根も乾かぬうちに、オフセット印刷にも、その道に生きる職人の魂がこもっていた話題を遠からず取り上げるかもしれません。たしかにオフセットの傑作というのも存在するからです。)

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そういえば我が家もそろそろ銀婚ですが、件の旦那さんの気持ちが分かるかと言われれば、そこにはいろいろ陰影もあって、まあそれは相手も同じでしょう。