天象唱歌…海上でふり仰ぐ星(2)2014年07月15日 20時39分57秒

海の男が作った星の歌―。
何となく豪壮にして抒情的な歌を想像します。


これがその歌い出し。

  日月星(じつげつせい)を友となし 暴風怒涛と戯れて
  世界の海を縦横に 我物顔に乗り廻し
  世界の人と手を握り 甲板上に談笑す
  見聞壮快限りなき 海上勤務は愉快なり

うーむ…。「壮快」で「愉快」だと言うのですから、確かにそうなのでしょう。
でも、こういうのは言葉でストレートに訴えるのではなく、眼前の景色に託して述べることによって、自ずとその感情を相手に伝えるのが定石ではありますまいか。

どうもキャプテン小野は、変に文飾に凝ったりせず、面白ければ「面白い」と言い、星が3個見えれば「星が3個あるぞよ」と言うタイプの人のようです。そういう人が全天の星座を歌い上げようとするとどうなるか。たとえば以下は八番の歌詞。

  W形のカシオピア 五六度よりして六三度
  アンドロメリアのαβγ(エービーシー)は ペガシ星座のα(アルファ)と
  ペアセイ星座のαを 繋ぎて茲(ここ)に五個の星
  アルゴル星を脇に立て 大縦列と並びたり

アンドロメリア(アンドロメダ)、ペガシ(ペガスス)、ペアセイ(ペルセウス)と星座の呼び方も変わっているし、αを「エー」と読んだり「アルファ」と読んだりする一貫性のなさも気になりますが、この極端な説明口調をいったい何と云えばいいのか…。


続いて九番。

  是より南緯十八度 β(ビー)セチ星〔くじら座β星〕を一見し
  北緯に戻って二時前後 二十三度のアライチス〔おひつじ座〕
  αβ(エービー)二星を通過して 南東方に進行し
  三時に三度四十二分 メンカー星〔くじら座α星、メンカル〕より眺むれば

この調子で延々三十一番まで続きます。
そもそもこの歌は、天文知識を記憶する便のために作られたのでしょうが、そこにストーリーがあるわけでもなく、「蒸し米で祝う大化の改新」式の機械的な歌詞の羅列なので、これは絶対に覚えられないと思います。

   ★

気になるメロディの方はどうでしょうか。以下が楽譜です。
作曲は東京音楽学校教授、楠美恩三郎先生。


これだけだと私にはさっぱり分からないので、適当なフリーウェアでMIDIファイルを作ってみました。下のリンク先に置いたので、うまく再生できない場合は、右クリックでファイルを保存するなりしてお聞きください。
http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/temp_image/tensho.mid

むむむむむ…。
楠美先生のこのメロディーは、結構やっつけ仕事に感じられないでしょうか。何となく退屈な小学校の校歌風といいますか、少なくとも私にはそこに星辰の美を感じることはできませんでした。

   ★

これを音楽の教材に採用した学校の先生は、ちょっと毛色の変わった作品として食指が動いたのかもしれませんが、これを延々と歌わせられた生徒にとっては、かなり苦痛な経験だったと想像します。

  天象ここに一循し 巡りて還る元の位置
  二十四時間星めぐり 光速度より速かに
  満天著名の星々を 星より星へ目を移し
  今早や巡り還りたり 今はや巡り還りたり

最後の三十一番を歌い切った時には、さぞホッとしたことでしょうが、星の巡りはエンドレスであり、ここでまた歌の冒頭に戻ると思うと…

  ★

というわけで、今回は結局けなすばかりになってしまいましたが、この作品は、日本天文趣味史における徒花、ないし一種の「奇書」として、そこになにがしかの面白みがなくもありません。

紳士淑女は理科室風書斎をめざす、かも。2014年07月16日 20時34分42秒

理科室風書斎」という言葉は、これまで「天文古玩」の専売特許でした。
もちろん、本当は専売でも特許でもなくて、そういう言葉を使う必要を、誰も感じていなかっただけのことで、長らく孤独な趣味だったのですが、ついにその言葉が大手を振って流通する日がやってきました。

それは横浜に来年完成する某マンションの広告です(←「理科室風書斎」で検索)。
ディベロッパー側は、物件の高級感をアピールせんがために ―「○○坂に暮らす」というコピーからして、いかにもという感じです ― いくつかのアイテムを提示しながら、このマンションにおけるライフスタイルを提案しているのですが、それは「能」であり、「クラシック家具」であり、「和服」であり、そして「理科室風書斎」なのです。


どうです、今や「理科室風書斎」は、お能と並ぶ、紳士淑女のたしなみなのですぞ!
私も最初見たとき目を疑いましたが、これは結局お金が絡む話ですから、単なる洒落や冗談ではなさそうです。うーむ、それにしても…。

この広告のライター氏は、何となく拙ブログを見られたような気がします。
だからといって、私がそれを勝手にキャプチャーし、勝手に貼りつけていい道理はないのですが、ここは人間相身互いということで、ぜひご納得いただきたい(違っていたらごめんなさい)。

ついでといっては何ですが、その文面もササッと転記しておくと、

「そうはいっても、文学作品をそれほど読み込んでいるという程ではないのだけれど…。でも書斎は欲しい」という方に是非おすすめしたいのが、書斎を少し理科室風にインテリアを整えてみること。

理科少年といえば、地球儀や天球儀、鉱物石や貝殻、昆虫や蝶々の標本などがすぐに思いつきますね。また雰囲気のあるアンティークの薬の瓶や、三角フラスコなどは、割と手軽に雑貨屋さんなどで手に入ります。

かつて少年少女の頃に、理科室の実験道具に心躍らせていた時の事を思い起こして、読書をするのもいいかもしれません。

理科室風書斎を世に知らしめようという「義挙」に対し、あえて突っ込むことはしませんが、しかし最初の一文はちょっと弱さが感じられますね。
理科室アイテムは決して文学作品の代用品ではありませんので、紳士淑女各位におかれましては、ぜひ理科室アイテム独自の価値を認めたうえで、素晴らしい空間づくりに励んでいただきたい。

我、突沸す。2014年07月19日 09時50分52秒

突沸という現象がありますよね。
加熱していた液体が、突然沸騰して危ないという。

仕事をする上でもやはり突沸があります。
そして、危険なことにかけては、液体の突沸以上のものがあります。
ここ2日ばかり沈黙していたのも、やはりそれでした。

これはどうにかしたいものだ…と思って、まず突沸の正体を知ることにしました。
定石通りウィキペディアの記述を見たら、意外なことにウィキには現在「突沸」の項目がなくて、それは「沸騰石」の項目↓に包摂されていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B8%E9%A8%B0%E7%9F%B3

より簡にして要を得た記述は以下。

■突沸と沸騰石:化学屋の呟き(by 梧桐鳳翼さん)
 http://hyper-chemistry.blog.so-net.ne.jp/2013-03-21

いずれにしても、キーワードは「過熱状態」です。
液体が沸点以上まで加熱されたところで、液体→気体の相転移が始まると、その高い蒸気圧によって気泡の爆発的膨張が生じ、周囲の液体を飛び散らせる…それが突沸の正体なのでした。
言い換えれば、突沸の前提に「過熱状態」があるということで、これは仕事上の突沸に当てはめても、非常によく分かります。突沸を経験する人は、見た目は平常通りでも、それ以前にすっかり煮詰まっていたわけです。

いっぽう沸騰石のキーワードは「気泡」。
沸騰石は固有名詞ではなく、いろいろな素材のものがありますが、いずれも多孔質であり、過熱されるとそこから微細な気泡が発生し、その気泡が相転移を促す(その核となる)ことによって、液体が過熱状態になることを防ぐのが役割。
したがって、過熱状態のところに沸騰石を入れると、逆に突沸を誘発して、非常に危険であることも分かりました。

「微細な気泡が核となって相転移を促す」とは、どういう仕組みによるのか、そもそも相転移が生じる瞬間に、ミクロの世界ではいったい何が起こっているのか、その説明はたぶん私の理解を超えると思いますが、たいへん興味深いことです。
宇宙の創生も、仕事上の突沸も、この突然の相転移の問題が絡んでいるのかもしれませんね。そして、後者については、その予防のために、「仕事上の沸騰石」をぜひ見出したいところです。

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ところで、沸騰石って何となく懐かしい響きがありますが、そもそもいつからあるのかな?と思って調べてみたら、ケンブリッジ大学の次のページに行き当たりました。

http://www.hps.cam.ac.uk/people/chang/boiling/stones_more.htm

これによると、沸騰石というアイデアが生まれるきっかけになったのは、金属粉やガラス粉を入れておくと、ガラス器内の温度が有意に低下するという、ゲイ=リュサック(1778-1850)の実験で、19世紀末までに沸騰石の利用は技術者・科学者の間で一般化していたと書かれています。

Hasok Chang氏による、上のページを含む全体のコンテンツは、「沸点という神話」という刺激的なタイトルが付いていて、「水は100度で沸騰するというのは単なる神話だ!」と断じていますが、沸騰という見慣れた現象も、考え出すとなかなか奥が深いですね。

The Myth of the Boiling Point
 http://www.hps.cam.ac.uk/people/chang/boiling/

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さらにまた、「突沸」をキーワードに国会図書館のデータベースで文献を探していたら、全国味噌技術会という団体が発行する『味噌の科学と技術』という雑誌に、安平仁美氏らによる「みそ汁の突沸」という論文が載っているのを知りました(1986年10月号, pp.337-340)。

味噌汁の突沸もさることながら、『味噌の科学と技術』という<味噌雑誌>があったことにも驚きました。まこと世に科学の種は尽きまじ。

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「キミ、忙しいっていいながら、結構ヒマなんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、なかなかそうでもないのですよ。
見た目では分からないのが「過熱状態」の恐ろしいところです。

東欧スペースアートの金字塔…スタフルスキーの世界2014年07月20日 11時11分31秒

2年前の記事で、宇宙ものの児童書を異常な努力で収集されている、ジョン・シッソン氏のブログ「Dreams of Space - Books and Ephemera」をご紹介しました。


その後もブログの更新はやまず、今日たまたま覗いたら、最近アップされた何とも素敵な本の紹介が目に留まったので、こちらでも勝手便乗します。


今回紹介されていたのは

■マレク・コレイヴォ(著)、マリアン・スタフルスキー(画)
  『宇宙船にて』
  ナーシャ・クセンガルニャ社(ワルシャワ)、1968

という本です。シッソンさんが手に入れたのは、ポーランド語版原著からロシア語に翻訳された版で、たぶん旧ソ連向けに輸出されたものでしょう。

記事は2回に分けて掲載されています。

ストーリーはシッソンさんも分からないそうですが、とにかく挿絵がすごいです。「渋いけれどもカラフル」な、この独特の色彩感覚に圧倒される思いです。線のタッチも、一見素朴でありながら完成されており、いわば山下清的というか、棟方志功的というか、ああいう世界ですね。1つ1つの挿絵が、アート作品として自立していると感じられます。

挿絵を手がけたのは、上述のとおりマリアン・スタフルスキーという人で、一見女性っぽいですが、東欧では英語圏とちがって、「マリアン」は男性名です(ちなみに、女性なら姓はスタフルスカ、あるいはスタフルスカヤになるはず)。原記事のコメント欄に寄せられた情報によると、スタフルスキー1931年の生まれで、1980年には早くも亡くなったそうです。ポーランドではいくつもの賞をもらった、有名なアーティストの由(参照 https://www.contemporaryposters.com/category.php?Category_ID=133)。

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時はアポロが月に着陸する前年。
ベトナムでは米軍によるソンミ村の大虐殺が起こり、東側諸国ではソ連のチェコ侵攻によって動揺が広がった時期。
時の為政者は、人々の目を地上の矛盾から宇宙に向けさせようと必死になっていた…という側面もあるとは思います。それでも、その路傍に咲いた花々のなんと可憐であることか。

大海原に降臨する船2014年07月21日 16時08分46秒

今日は人類が月に降り立って45周年。

(1969年7月16日、アポロ宇宙船を積載し、月に向け飛び立つサターンⅤ型ロケット(発射台頂上からの撮影)。当時、UPIが報道各社に配信した電送写真の1枚。)

日本時間の7月21日午前11時56分、アポロ11号のアームストロング船長が、人類として初めて地球外の天体に降り立ちました。そのことはコメント欄で教えていただくまで、すっかり忘れていましたが、「月着陸は海の日」と覚えておくと良さそうです。

アームストロングとオルドリンの2人が降り立ったのも、まさに「海」のど真ん中、「静かの海(Mare Tranquillitatis マレ・トランキリタティス)」と呼ばれる月の平原で、日本の見立てに従えば、ウサギの顔の部分に当たります。

両者が月の海を再び飛び立ち、月周回軌道上に待機していたコリンズとともに、無事地球の海(北太平洋)に着水したのは7月24日のことでした。

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上は90×140cmほどもある巨大な月の地質図。まるで畳のようです。アポロ計画が進行中の1971年に、アメリカ地質調査所(U.S. Geological Survey)が発行したもの。

昨日の本は、どの絵もピンクの差し色が利いていましたが、この月面図もずいぶん紅をはたいて、華やかな印象を受けます。地球のパートナーがたどってきた、45億年に及ぶ歴史が、このお化粧の中に表現されています。


静かの海付近拡大。

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地球、月、ヒト。
宇宙が生んだ「作品」である三者の物語は、まだしばらくは続くでしょう。
美しいストーリーを期待したいですね。

鉱石考2014年07月24日 14時19分04秒

(今日は夏季休暇なので、暇にあかせて長い記事です。)

名著『鉱物アソビ』の刊行以来、鉱物の魅力を追求してやまぬフジイキョウコさんの「鉱物Bar」が、今年も開催されると伺い、今年こそは何とか…と心中ひそかに期しています。

それについては、また近日中にお知らせするとして、フジイさんが、最近ツイッターで「鉱物」と「鉱石」の混同について注意を喚起されていたので、私も便乗して(最近便乗が多いですね)記事を書かせていただきます。

フジイさんが書かれた要旨は、「『鉱石 ore 』 は、『人間の経済活動において有益な鉱物』 と定義されており、『鉱物』 の言い換えとして 『鉱石』 を使うのは誤用であり、避けたい」ということです。私も両者を混用しがちな一人なので、大いに反省しつつ、そもそも両者の混用の根っこにあるものは何かを考えてみました。

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「鉱石とは『有用鉱物』を指す」と聞くと、鉱物ファンは自分のコレクションを思い浮かべて、「だったら、これとこれは鉱石だな。でもこれは鉱石じゃない。うーん、これはどっちかなあ…」という風に迷われると思います。

このように「鉱物」と「鉱石」の区別(=概念規定)が曖昧になっていること自体、自分自身も含め、今の人々の生活から「実用としての石」が遠くなってしまったことの反映ではないでしょうか。

昔の人にとって「鉱石」は非常に明瞭な輪郭を持った語でした。
ここでいう「昔」とは、古代世界から、鉱業が国の重要産業だった、ついこないだまでの時期を指します。往時の人にとって、「鉱石」とは鉱山で掘り出される金属原料となる岩塊であり、その色艶や匂いも含め、至極具体的なイメージを伴った語でした。当時は「鉱石」を含む「鉱物」のほうが抽象度の高い用語で、一般には分かりにくかったと想像します。

(大正時代の鉱物教科書より、鉱石の良否を選別する作業に従事する女性たち。出典:和田八重造著、『中等教育鉱物教科書』、大正4=1915)

今やそれが逆転した観があります。鉱物趣味が普及し、「鉱物」と聞けば、図鑑やショーケースを飾る色鮮やかな標本の数々が思い浮かぶのに、「鉱石」の方は非常にぼんやりしたイメージしか浮かばない…それが事態を混乱させているように思います。

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一気に3000年さかのぼって考えてみます。
ここでは分かりやすく中国をイメージしますが、たぶん西洋でも事情は同じでしょう。

その頃ももちろん石はあったので、「石」という漢字はありました。一部の石は切り出して建築材料にしたり、碑文を作ったり、有用素材という意識はあったでしょうが、たいていの石は、文字通り「石っころ」に過ぎず、特に関心を惹くものではなかったでしょう(奇石奇岩を愛でる「弄石趣味」が流行り出すのは、時代が下って中世以降のことと思います)。

例外的に珍重されたのが宝石で、これには「玉」という特別の字が当てられました。
そして、もう一つの例外が「鉱」です。旧字は「鑛」。

「鑛」の字は、今でこそ金偏ですが、古くは「石偏+黄」の「磺」(環境依存文字)と書き、意味は文字通り「黄色の石」または「あらがね(掘り出したままで製錬していない鉱石)」の意だそうです。
すなわち、本来は「鉱」という一字で「鉱石」の意味だったのですが、後に石偏が金偏に置き換わった結果、新たに「鉱石」という冗長な表現が生まれたと推測します。

歴史的にいうと、「鉱物の一部を鉱石と呼ぶ」というよりは、もともと人々の意識の内には「鉱石」しかなくて、後に他の「石っころ」も含めて「鉱物」という概念が成立した、というのが実態かと思います。

「あの向こうの山に埋まっているのは、ただの石っころではねえぞ。ありゃ特別な石だ。なんせ、山の衆があれをとろかして、大切な赤がねや、黒がねや、黄がねを採るげなで。」…という理解のもと、昔の人にとって「鉱石」は特に説明を要さない、自明の存在だったんじゃないでしょうか。

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明治になって新学問が入ってくると、「ore」に「鉱石」が、「mineral」に「鉱物」の訳語が当てられ、一応、概念整理はついたわけですが、その流れで考えると、「鉱石」と「鉱物」の混用は、「有用なものと、ただの石っころの混同」以上の問題を含んでいます。

上で、「鉱石とは『有用鉱物』を指す」とサラッと書きましたが、正確にいうと、「鉱石とは『有用鉱物、ないし有用鉱物を含む岩石』を指す」というべきで、鉱物と鉱石の混用が好ましくない、いっそう大きな理由は、それが「鉱物」と「岩石」という、次元の異なる概念の混用にもなっているかです。

よく言われるように、岩石とは鉱物の集合体です。
白黒まだらの花崗岩のように、それが肉眼ではっきり分かる場合もありますし、そうでなくても、仔細に分析すると各種の鉱物微晶が入り混じってできているのが岩石です。別の言い方をすると、化学的組成が均一なのが鉱物で、不均一なのが岩石。これは鉱物学の冒頭で教わることなので、石好きとして、両者を混同するのは避けたいところです。

(安東伊三郎著、『中学校鉱物学教科書』(昭和2=1927)前書きより)

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とはいえ―。
ふたつを混用する人の気持ちはたいへんよく分かります。
 
“字面から言うたら、「鉱物」は「物」やろ。「鉱石」は「石」やんか。わしが好きなんは「石」やから、「鉱石」の方がピッタリくるんや。”

…と、怪しげな関西弁になる必要もありませんが、「鉱石派」の心情を推し量ると、そういうことではないでしょうか。私もそんな気持ちで、しばしば「鉱石」を使います。

それに専門家も、けっこう融通無碍なところがあります。
たとえば、昔、保育社から出た『(正・続)原色鉱石図鑑(正編1957、続編1963)は、もともと企画段階では『原色鉱物図鑑』だったのが、「鉱物の真価を知って貰いたい」という著者のたっての希望で、鉱物を応用面から分類したために、書名を変更したそうです。しかし、「それと共に、多くの人々に鉱物の美しさを知って貰いたいと思った」と著者は述べており、結局、中身は鉱物図鑑のままです。これは、一般読書人レベルの用語として、「鉱物」と「鉱石」に互換性がある例証かもしれません。

(『原色鉱石図鑑』と著者の木下亀城(きのしたかめき)1896-1974)

なお、同図鑑の解説編から「鉱石」の語釈を読むと、その辺の融通無碍さが伝わってくるので、転記しておきます。

 「鉱物学で鉱石ore というのは自然金属および金属化合物のことで、利用益ということを考えに置かないが、鉱床学や応用鉱物学では利益を主眼とし、鉱物の集合体の中から金属を取り出して、利益のあるものだけを鉱石という。だから我々が鉱石と称するものの中には、所謂岩石も含まれる。岩石でも金属または目的物の含有量が多くなれば、鉱石として利用される。しかしこの利益という標準はいろいろの条件で変化するので、きのう迄は鉱石といえなかったものが、今日はりっぱな鉱石として用いられる例が少くない。また低品位で小資本では利用し得なかった鉱石でも、大設備で多量に処理すると充分採算の採れる場合もある。

 この様に従来無価値だった鉱物も、学問が進んだり値段が上ったりすると、りっぱな鉱石となることが少くない。そのため鉱石の種類は年々ふえている。なお鉱石という言葉は、一般に金属鉱物に限って用いられるが、広い意味に使う場合には非金属鉱物にも用いられ、硫黄鉱などいうことも稀ではない。」(上掲書、p.77)


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個人的折衷案としては、「minerals rocks 鉱物岩石」という言い方から推して、鉱物趣味の徒が使う「鉱石」は、「ore」の訳語ではなしに、この「鉱物岩石」の略なんだと考えてはどうでしょうか。

(岩崎重三編、『実用鉱物岩石鑑定吹管分析及地質表』第7版、大正6=1917のタイトルページより)

…と一瞬思ったものの、「minerals rocks」というのは、単に「minerals and rocks」の意味のようでもあり、この提案は引っ込めたほうが無難かもしれません。
ともあれ、個人的には、今後も「鉱石」をちょいちょい使ってしまうでしょうねえ…。

(長いわりに、例によって結論がはっきりしない記事ですみません。
今度フジイさんにお会いする機会があれば、ぜひグラスを片手に、石と人の関わりについて、ゆるゆるお話をうかがいたいです。)

鉱石考・余談2014年07月25日 06時57分41秒

昨日の記事は、読み返してみると、結論のみならず、趣旨そのものがはっきりしませんが(いつものことです)、あの後思ったのは、「鉱物」と「岩石」が、物そのものの性質に基づいて定義されているのに対し、「鉱石」は人間活動との関係を定義に含めてしまったため、初手から自然科学(物質科学)とは縁遠い、むしろ人文科学的概念になっているなあ…ということでした。そもそも「鉱石」は、「鉱物/岩石」と並び立つ用語ではないですね。

「鉱物」と「鉱石」の関係は、ちょうど「昆虫」と「益虫」の関係と同じです。
「鉱石」と「益虫」は、そこに人間の価値判断が含まれているので、目の前にある石や虫が、最終的に「鉱石/益虫」であるかどうかを決定するのは、科学者ではなく、むしろ裁判官の仕事になるのでしょう。(個々人がそれに納得するかどうかは、また別問題ですが。)


   ★

定義というのはいろいろありうるもので、それが学問の対象であれば、学問的定義が尊重されるのは当然としても、それが唯一絶対というものではなく、たとえば世間には「法律的定義」なんていうのもあります。

昨日引用した『原色鉱石図鑑』に教えてもらったのですが、「岩石」と「鉱物」にも、ちゃんと法律的定義があって、岩石は「採石法」が、鉱物は「鉱業法」が定めているのだそうです。

■採石法
第二条  この法律において「岩石」とは、花こう岩、せん緑岩、はんれい岩、かんらん岩、はん岩、ひん岩、輝緑岩、粗面岩、安山岩、玄武岩、れき岩、砂岩、けつ岩、粘板岩、凝灰岩、片麻岩、じや紋岩、結晶片岩、ベントナイト、酸性白土、けいそう土、陶石、雲母及びひる石をいう。

■鉱業法
第三条  この条以下において「鉱物」とは、金鉱、銀鉱、銅鉱、鉛鉱、そう鉛鉱、すず鉱、アンチモニー鉱、水銀鉱、亜鉛鉱、鉄鉱、硫化鉄鉱、クローム鉄鉱、マンガン鉱、タングステン鉱、モリブデン鉱、ひ鉱、ニツケル鉱、コバルト鉱、ウラン鉱、トリウム鉱、りん鉱、黒鉛、石炭、亜炭、石油、アスフアルト、可燃性天然ガス、硫黄、石こう、重晶石、明ばん石、ほたる石、石綿、石灰石、ドロマイト、けい石、長石、ろう石、滑石、耐火粘土(ゼーゲルコーン番号三十一以上の耐火度を有するものに限る。以下同じ。)及び砂鉱(砂金、砂鉄、砂すずその他ちゆう積鉱床をなす金属鉱をいう。以下同じ。)をいう。
2  前項の鉱物の廃鉱又は鉱さいであつて、土地と附合しているものは、鉱物とみなす。


まあ、これは法律の適用対象を列記しただけなので、「岩石」や「鉱物」の語釈には全然なっていませんが、言葉の意味が、文脈によって変わることは感じていただけるでしょう。

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よく見たら、このブログのカテゴリーも「化石・鉱石・地質」になっていますね。。。

コップの氷海2014年07月26日 12時13分47秒

昨日は暑かったですね。夜中まで蝉が鳴き続けて、本当にうだるようでした。
今日もまた暑くなりそうです。。。


こんなときでも、ひとり涼しい顔でいるのが、我が家のクリオネ。


小さな氷山を浮かべた、ショットグラスの海に潜り…


海底に至れば、そこは常に冷涼な別天地。

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…と、イメージだけ涼を求めてみましたが、もちろんこのクリオネは本物ではなくて、東急ハンズで売っていたガラスの模型、ないしアクセサリです。
手元の個体は体長33ミリあるので、実物よりもちょっと大きめ。表面はフロスト加工してあって、水から出たときの方が、外見はリアルです。


ガリレオ時計(1)2014年07月27日 07時16分37秒

このブログに以前からお付き合いいだいている方はお気づきと思いますが、このブログの写真は大体いつも背景が一緒です。それは自室の中で写真を撮れるスペースが、ごくごく限られているからです。

たいていは机の隅っこか、それとも本棚の手前に椅子を持ち出して、そこでちょこちょこっと撮るぐらいで、画面が単調だなと毎回思いますが、これ以上工夫のしようもありません。まるで牢獄住まいのようだ…と感じることもあります。

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さて、今日はいつも画面の端に写り込んでいながら、これまできちんと紹介されることがなかった、右上の品が主人公です。


こうして見ると、なかなか存在感がありますが、その正体は時計。
黒々とした鉄製ボディに、アストロラーベをかたどった銅製の文字盤が映えますが、この品はアンティークではありません。


文字盤の中心に注目。
ふつうに見たのでは分からないぐらい小さな文字で、
「Invented by Galileo Galilei in 1641  Redesigned by Tomy in 1977」
と書かれています。

おもちゃメーカーのトミー(現・タカラトミー)の製品というのが意外ですが、調べてみると、トミーは当時、からくりめいた機械式時計を「ギルドクロック」の名称でシリーズ化しており、これもその1つらしいです。(他にも、糸の先についたおもりが横っ飛びしてクルクル支柱に巻き付く、飛び振り子(flying pendulum)式のものとかありました。)

この品はジャンク品として買いましたが、ちょっといじったら動くようになって、嬉しかったです。

(この項つづく。次回は製品の細部とガリレオの話)