星降るスタードーム2014年08月02日 14時27分08秒

「これを突沸といふんでせうか。」
「左様ですな。えゝ、まったく突沸に違ひありません。」

…と、漱石先生なら書くところです。どうも4月の異動以来、仕事が突沸する危険性と常に隣りあわせで、まことに身の細る思いです。
そんなこんなで、暑い夏をいっそう暑く過ごしていますが、暦も8月となり、もうしばらくすると、秋の話題をつぶやくことになるでしょう。

   ★

最近の買い物から。


ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムのスノードーム。
高さ5cmに満たない可愛らしいドームの中に、澄んだ青い星空が広がり、摩天楼とプラネタリウムが、不思議な景観を形作っています。


スノードームに舞い飛ぶのは、本来は粉雪なのでしょうが、ここできらめくのは星たちであり、ドームはそのままプラネタリウムのドームをイメージしているように思います。

ドームの中央に立つのは、名門・ツァイスⅣ型機
初代のツァイスⅡ型機の後継として、1973年に導入されたものですが、そのシルエットは、先代同様、いかにもプラネタリウムらしい感じです。


横から見ると、ちょっと芝居の書き割りめいた可笑しみがありますが、ある意味、「作り物の星空」という、プラネタリウムの本質が現れているようでもあります。


スノードームの背面。

ヘイデン・プラネタリウムは1935年に開館した、ニューヨークの老舗プラネタリウム。
その名前は、建設資金を提供した、アメリカの富裕な銀行家、チャールズ・ヘイデン(1870-1937)に由来しますが、組織的にはアメリカ自然史博物館の一部門であり、公立のプラネタリウムです。

(戦前の絵葉書に見るヘイデン・プラネタリウム。既出画像ですが、大きなサイズで再掲。)

でも、この重厚な建物も、懐かしい投影機も、今はもうありません。
オリジナルの建物は1997年に取り壊され、2000年にリニューアル・オープンするとともに、機械の方も、最新式のツァイスⅨ型機にとってかわられたからです。

(Hayden planetarium at night. Photo by Alfred Gracombe.
 出典:Wikimedia Commons)

(ハンブルグ・プラネタリウムのツァイスIX型機。卵型の黒いボディは、松本零士さんのマンガに出てくるメカのようです。出典:Wikimedia Commons/Public Domain)

地元のオールド・ファンにとっては寂しいことでしょう。でも、子供たちが目を輝かせてドームを見上げてくれるなら、その方がプラネタリウムにとっては幸せだろうと思います。
(それに、上の写真を見る限り、これはこれでそう悪くない風情です。)

8月のソーダ水2014年08月03日 11時46分39秒



『8月のソーダ水(太田出版、2013)
『睡沌氣候』(スイトンキコウ)に続く、コマツシンヤさんの第2作品集です。
(『睡沌氣候』については、http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/01/12/ を参照。)

『睡沌氣候』では、シュールな、暗い影の差す作品も多かったですが、今回はそういったものの一切ない、本当に8月のソーダ水のような、明るく、青く、白い作品に仕上がっています。以下は、コマツさん自身の「あとがき」より。

  入道雲の浮かぶ空、水平線、ビー玉、灯台、漂流物、
  結晶のような白い街並み、貝殻、昼の月、
  ラムネ瓶、海沿いを走る電車、炭酸水、夏の終わりを告げる風……
  そんなもの達の詰め合わせのようなマンガが
  描けないものかなあ、と随分前から考えていました。
  (後略)

舞台は架空の街、翠曜岬(すいようみさき)。
主人公は、おばあちゃんと二人で暮らす少女、海辺リサ。

彼女は、昼間は友人のもな子ちゃんと一緒にかき氷を食べ、日が暮れればラムネ玉の中にクジラと一緒に泳ぐ自分を夢見ながら眠りに落ちるような、のんびりした日々を送っています。そうした日常の中に、孤島で貝を研究する老人との出会い、歩く灯台に揺られて眺めるヒマワリ畑、数十年に一度、月の大接近に伴い町が水没する「海迎えの日」のざわめき…といったエピソードが点綴されています。


そこに格別複雑なストーリーが展開するわけではありません。また、人間の心の奥が描破されているわけでもありません。でも、この作品は何と言うか、空気感がいいですね。海沿いの街に流れる、永遠に続く夏休みのような、ある種の気分がこの作品の魅力だと感じます。


全ページフルカラーの美しい本です。
各話1ページのショートコミック「うわのそらが丘より」を併せて収録。

ルーチカ図鑑2014年08月04日 23時11分58秒

ルーチカとは、「きらら舎」のSAYAさん(すなわちcafe SAYAのSAYAさん)と、「ささきさ」(元・我楽多倶楽部)のTOKOさのお二人による創作ユニット。
理科趣味の濃い活動を、2006年の春以来続けていらっしゃって、2006年というと、この「天文古玩」が始まった年でもあるので、勝手に親近感を覚えているような次第です。


そのお二人の活動を発表する媒体であり、かつ作品でもあるのが、「ルーチカ手帖」であり、「ルーチカ図鑑」です。折に触れて、お二人からお贈りいただいたものが、今ではずいぶん手元に集まってきました。


いずれもごく薄い冊子ですが、何と全て背文字入り。
紙質も、印刷も、とても凝っていて、手に取ってページをめくる愉しさがそこにはあります。


『鉱物Ⅰ』、『鉱物Ⅱ』、『鳥の羽と卵』に続く、ルーチカ図鑑の最新刊は『結晶
2014年は「世界結晶年」であり、本書の刊行は、その公式賛同事業となっている由。

さて、この図鑑の内容と、それを手にして、結晶の世界に踏み出す決意をした、ある男性がその後どうなったかということを書きたいのですが、なかなか荒波の真っ只中にいるうちは、文章が書きづらいもので、少し間が開くかもしれません。

(この項たぶん続く)


【付記】
ルーチカ図鑑をはじめとする、ルーチカ作品は、以下で購入できます。
■ルーチカ購買部 http://kirara-sha.com/ruchka.html

結晶海に漕ぎ出す(1)2014年08月05日 22時17分16秒

(昨日のつづき)

「…鉱物といえば結晶だよね。うん、結晶はいいよ。第一、言葉からしてきれいじゃない。キラキラしてる感じっていうか。それにカッチリ硬いイメージ。あと形ね。ほら、マンガに出てくる水晶みたいな、なんていうの、カクカクしてる感じ。

まったく人間離れしてるよね。まあ、人間じゃないから当たり前だけど。
人間なんて、色も冴えないし、グニャグニャしてて、妙に湿っぽい息を吐き出してさ、夏なんて汗臭いし、もうほんと嫌んなっちゃうよね。

それに較べたら鉱物は…うん、やっぱり鉱物はいいね。憧れるね。」

   ★

…というレベルの人(私)が、鉱物と結晶について改めて知りたいと思いました。そこで、このルーチカ図鑑 結晶を開くと、


TOKOさんの切れ味鋭い挿絵と、


SAYAさんの端正な解説が目に飛び込んできます。

その理科的佳趣は言うもさらなり。しかし、目を凝らして読むと、

【ブラベー格子/Bravais lattice】
 単位格子一辺分を平行移動しなくても元の像に重なる場合もある。基準となる点を格子点と呼ぶ。並進対称性を考慮し、7種類の結晶系で、体心に格子点がある場合、面心(6面全部)に格子点がある場合……


うむ、出たか、ブラベー格子。
そしてミラー指数、空間群…と続く辺りが、結晶海の難所で、私はたいていそこで難破することが多かったです。

結晶は美しい。でも、私が声をかけても、結晶学はこれまで一度も振り向いてくれたことがありません。そこに、ものすごくアンビバレントな感情を抱いてきました。しかし、これも縁です。今回はいつもより、もう少し先まで船を進めることにします。

   ★

持論ですが、こういうときは守りに入るとダメです。
自分から攻め込んだ方が、結果的に良いことが多いようです。
「え、結晶? 結晶っていったら、分子や原子が、こうズラリと規則正しく並んだ物質のことでしょ?そんなもん、別に難しくも何ともないじゃない。」
…というぐらいの気持ちでいた方が良いのです。

(虚勢を張りつつ、この項つづく)

結晶海に漕ぎ出す(2)…結晶とアモルファス2014年08月06日 21時30分01秒

よお、来たぜ。

忙しいところを呼び出して悪いね。

用件はメールで読んだ。でも、俺に結晶のことを聞いてもダメだぜ。お前さん同様、まったくの素人なんだから。

分かっているよ。でも、一人じゃ心細くて。

なんだ、いつも「サイの角の如くひとり歩め」とか何とか言ってるくせに。

いや、面目ない。最近はどうもブロントテリウムをひいきにしててね。
まあ、そんなことより、結晶のことだけど、これが全然分からなくてさ。

全然ってこともないだろ。お前さんのブログを見たら、「結晶っていったら、分子や原子が、ズラリと規則正しく並んだ物質のことでしょ?」って書いてたじゃないか。

まあね。でも、「規則正しく」って言ってもさ、規則正しさにもレベルがあるじゃない。
たとえば、全校集会で生徒が並ぶんでも、ピシーッと前後左右きちんと並ぶ学校もあれば、ヨレヨレっとしている学校もあるよね。たとえピシッとしてても、いったん解散の声がかかれば、徐々にランダムな状態に移行するわけだろ。生徒を分子・原子にたとえると、どの辺から結晶って呼べるんだろう? その辺からして覚束ないんだけど…。


(秩序に乏しい集団)

なるほど。でも、それって生徒同士は、どんなふうでも自由に互いの位置を変えられるっていう前提だろ。分子にその前提が通用するかな?
氷は水の結晶だけど、水が氷になるときは、ある一点を境にスッと変わるぜ。別にゼリー状やグミ状の過程を経て固まるわけじゃない。
物質の世界では、結晶か、そうじゃないかっていうのは、わりとはっきりしてると思うんだ。分子や原子は、別に先生が怖くて、お行儀よくしてるわけじゃない。そうなる条件が整えば、否も応もなく、自ずとピシッとする。それが物質界の掟ってもんさ。

そうか、その間の変化は、連続的っていうよりも、離散的なわけだ。じゃあ、やっぱり結晶は結晶と割り切って考えればいいんだね。

   ★

結晶と呼ばれるものは、すべてその内部で分子・原子が規則正しく並んでいます。言い換えると、分子・原子が規則正しく並んでいるものを結晶と呼ぶわけです。そして、そうでないものは、非晶質(アモルファス)と呼ばれます。

上のふたりは勝手に納得していますが、規則性というのはあくまでも相対的なものだというのは、やっぱり考えておかないといけない点だと思います。

アモルファスの代表であるガラスも、1つの原子に注目すれば、お隣の原子との距離や、相互の位置関係(結合角)は一定であり、まったく無秩序に原子が並んでいるわけではありません。しかし、より大きなスケールで眺めると、ランダムさが目立ち、秩序が失われてしまいます。こういう場合、「短距離秩序・長距離秩序」という言葉を使って、「ガラスに短距離秩序はあるが、長距離秩序はない」という言い方をします。反対に、鉱物のような結晶質のものは、短距離秩序も長距離秩序も両方備えていることになります。

(長距離秩序を備えた畑)

その鉱物結晶にしても、現実の結晶には配列に乱れがあったり、欠損があったりして、理想の結晶とはちょっと違います。それでも、大局的には十分すぎるほど規則的なので、結晶と呼ばれる存在は、やはり伊達に結晶と呼ばれてるわけじゃないな…と思います。

(この調子でダラダラつづく)

結晶海に漕ぎ出す(3)…結晶の秩序とエントロピー2014年08月07日 12時38分46秒

昔、ブルーバックスってあったじゃない。

唐突だな。うん、講談社のブルーバックス、あれなら今でもあるぜ。

最近はすっかりご無沙汰だけど、昔の理科少年はああいうのを読んで、最先端の科学知識を仕入れてたよね。で、口角泡を飛ばしたり。きっと、今なら中二病認定間違いなしだね。 …で、ふと思ったんだけど、結晶って規則正しく分子・原子が並んでるんだよね。つまり、そこに秩序があるわけだ。かつてのブルーバックス少年として言わせてもらうと、そのこととエントロピーの関係ってどうなんだろう?

というと?

ブルーバックス少年的理解によれば、こういうことさ。
「エントロピーは乱雑さの程度を示す尺度であり、秩序と対立する概念である。
宇宙は絶えずエントロピー増大の方向に向かっており、これを熱力学第二法則という。万物はすべて時間と共に秩序を失い、乱雑な状態に近づいていく運命にあるが、生命は外部からエネルギーを取り入れることによって、エントロピーを局所的に低下させ、辛うじて自己を維持している」とか何とか。

ああ、確かそうだったね。

(雪片と神経細胞)

するとさ、結晶はそこに秩序があるんだから、エントロピーが低いわけだ。でも、何だかおかしくないかい? 結晶も生物みたいに、せっせとエネルギーを取り入れて、がんばって自己を維持してるのかな?そんなことないよね。

いかにもブルーバックス少年的疑問だな。

自分でもそう思うけど…

まあ、ゆっくり考えてみようや。
…うん、どうも「秩序」って言葉が怪しいようだ。俺も昔の記憶しかないけど、エントロピーの話題のときに、砂糖水の例が出てたと思う。

ああ、あったね。


コップに砂糖をひと匙入れて放っておく。すると時間の経過とともに水の分子と砂糖の分子が自然にまじりあって、均一な砂糖水になる…それがエントロピー増大の例だってわけだ。でもさ、砂糖と水が「中途半端に混じり合った状態」と、「均一に混じり合った状態」だったら、人間はどちらにより「秩序」を感じるかな。思うに、「均一」って言葉自体、秩序をイメージさせないか?

なるほど、きちんと定義された物理学用語を、日常用語で説明しようとすると、誤解も起きがちだよね。


そうだ、こんな例はどうだろう?
大きいビー玉と小さいビー玉を、適当にざっとバケツに流し込む。当然、大きいビー玉と小さいビー玉の配置はランダムで、あちこちに不均等な隙間がある。これは、いわばアモルファス状態さ。で、このバケツを軽く揺すってやるとどうなる?

砂糖水の例で言うと、コップをスプーンでかき回すわけだね。
うん、そうすれば、小さいビー玉が大きいビー玉の隙間に入り込んで、やがて全体はぴっちり固まるだろうね。

だろう?これを結晶状態に見立てたら、お前さんの疑問にうまく答えられるんじゃないかな。

なるほど、たしかに大小のビー玉が交互に並ぶと、結晶の模型っぽいよね。
でも、それとエントロピーの関係って?そもそも、その過程でエネルギーの出入りはどうなってるんだろう?

ビー玉同士が互いにこすれると、熱や音が出るだろ。中にはひっかき傷を負ったり、欠けちまうビー玉もある。それって結局、ビー玉の位置エネルギーが、運動エネルギーや熱エネルギーに変換された結果と見なせるんじゃないか?
一見無秩序に見えたビー玉の集団は、最初、それだけのエネルギーを秘めていたわけだ。でも、いったんビー玉がぎっちり詰まっちまえば、ちょっとやそっと揺すぶったって、音もしないし、こすれて熱を出すこともない。今や、ビー玉の自由エネルギーは、最小状態になり、安定状態に達した…ってわけさ。

うまいね。それが即ち全体のエントロピーが最大化した状態ってことだね。

さっきも言ったけど、要は「秩序」って言葉が曲者なのさ。
生体の秩序は、エネルギーを取り入れることで、辛うじて維持されている、熱くて不安定な秩序。いっぽう結晶の秩序は、エネルギーを放出した果てに到達した、冷たく安定した秩序だ。生体の秩序と結晶の秩序は、その点で根本的に違う。鉱物が基本的に長寿なのも、分子・原子の集団にとっては、それこそが安定状態で、ちょっとやそっとでは互いの位置を変えないからだろうよ。

キミ、結晶のことは素人って言ってたけど、意外に詳しいじゃない。

はは、この程度で感心してるようじゃ、お前さんは、まだブルーバックス少年から全然進歩してないね。そもそも、上で言ったことは全部ウソかもしれないんだぜ。
まあ、こんな素人談義をしててもラチが明かない。これについちゃ、ブログを読んでる人の「天の声」に期待しようや。

   ★

昨日の記事では、結晶と結晶でないもの(アモルファス)は、わりとくっきり分かれるんだ、それは水と氷の変化を見れば分かるじゃないか…と書きました。
でも、あれは“エイチツーオー”という同じ物質が、液体から固体に(あるいは固体から液体に)変化する、いわゆる「相転移」の事例であって、液体と固体が非連続なのは当たり前です(むしろ、その非連続性に注目して、「相転移」という言葉が生まれたわけです)。

それとは別に、例えば見た目の似た物質Aと物質Bがあって、調べてみると、Aの方は内部の構造(分子・原子の配列)がピシッとしてるけど、Bの方は何となくだらしない。Aは確かに結晶らしいけど、Bは果たしてどうなのか?

…これは、昨日、赤字の人が疑問に思ったことそのものです。で、青字の人は、自分ではうまく答えたと思っているようですが、上のような次第で、その答はちょっと怪しい。

でも、今日の会話を見ると、結晶化しうる状態におかれれば、物質(分子・原子)というのは、自ずと規則正しい配置になってしまうんじゃないでしょうか。擬人化すると、物質にとっては、その方が「」であり、物質は楽を好むからです。

逆に言うと、結晶の一歩手前の状態で踏みとどまるのは、物質にとってシンドイことであり、結局、上記の仮想物質Bは安定的には存在できず、赤字の人の疑問は杞憂に過ぎない…と自分なりに考えたのですが、この点についても「天の声」を期待します。

   ★

素人のあやしい床屋談義はまだ続きます。
話題は次回からいよいよ結晶学の本丸に近づいていきます。

(この項つづく)

【8月10日追記】

あ、今、天の声が聞こえたね。

ああ、たしかに聞こえた。びびっと来た。…うん、何だか分かった気がするぞ。やっぱり俺様の言うことに間違いはなかった。「上で言ったことはウソかもしれない」ってところがね(笑)。

あれ、キミ、なんだか目の色が変だね。大丈夫かい?

ふん、とにかくもういっぺん話を整理してみようや。

うん、そうしよう。
えーと、そもそもボクの疑問は、結晶はエントロピーが高いのかどうかっていうことだったね。そして、その大元は、結晶と生物の比較だった。つまり、生物は高度な秩序を備えた自己組織を維持するのにエネルギーを絶えず取り入れているけど、同じように秩序を有する結晶の場合はどうかって話。

そう。そして、天の声を聞いて分かったのは、その疑問自体、一種の「誤解」を前提にしてたってことさ。…つまり、生物は自己組織を維持するのに、エネルギーを絶えず取り入れているっていうのは、ウソだったのさ。

あれ、それはウソじゃないだろ?そこは合ってるんじゃないの?

どうもお前さんには、まだ天の声が届いてないようだな。よーく考えてみろよ、実はそこにこそ最大の誤解があったのさ。生物が絶えずエネルギーを取り入れているのは、自己組織を維持するためじゃない。生命活動を維持するためさ。

それって同じことじゃない?

いや、違う。自己組織を維持するためだけだったら、エネルギーを取り入れる必要はないんだ。命をあっさり放棄して、ホルマリンの桶に飛び込めばいい。あるいは凍り付いて、自ら結晶化するとか。そうすりゃ、半永久的に自己組織は安泰だ。鉱物ほどじゃないかもしれんが、腐敗さえ防げば―つまり細菌に食われなけりゃ―、生物の体だって結構長持ちするもんさ。

ああ、そうか。それを考えたら、結晶が自己の秩序を維持するために、何のエネルギーも必要としないのは当然だね。

エネルギーが使われるのは、もっぱら生命の維持・継続のためだよ。動物のように、走ったり、飛んだりすれば、もちろんエネルギーが要る。繁殖や成長もそうだね。しかし、仮にじっと動かず、しかも繁殖も成長もせずにいたって、生物は細胞レベルで、常に物質を循環させて、自己組織を新陳代謝している。それが少なからぬエネルギーを必要とするわけだ。

なるほど。

で、結晶ができるときと、生物の組織ができるときとでは、大きな違いがあるんだけど、分かるかい?

というと?

当たり前の話だけどね、物が違うんだよ、物が。
つまり、生物の組織は、それ自体がエネルギーの塊ってことさ。その大元は言うまでもなく太陽の光エネルギーだけど、それが化学エネルギーに形を変えて、炭水化物や脂肪やタンパク質の内部にギュッと詰め込まれているわけだ。そんなエネルギーの塊を毎日作らないといけないんだから、動物も植物もせっせとエネルギーを取り入れるのは当たり前なのさ。

ふむふむ。

でも、鉱物の結晶は違う。物質が秩序立った配列をとるには、必ずしもエネルギーの充当が必要なわけじゃない。むしろ結晶の場合、自由運動をしていた分子が、運動エネルギーを失うことで、はじめておとなしく固体化するわけだ。だから、この場合真に大切なのは、エネルギーを「うまく失えること」、つまり、それを廃熱として、系の外に出してやれることだろうね。
鉱物を食べる生物がいない理由も、これでわかるだろう?仮にその結晶を消化できたとしても、何のエネルギーも出てこないからさ。まあ、「健康にはミネラルが大事」というように、動物も植物も必要な無機物を摂取しているけれど、それはエネルギーを取り出すためじゃない。
本文の中で、エネルギーを取り入れてできる生物組織と、エネルギーを失ってできる結晶を対比させたけど、この点は、まあそれほど的外れでもなかったな。

一つ疑問に思うんだけど?

何だい?

結晶といってもさ、鉱物みたいな無機物ばかりじゃないじゃない。生物体を構成するのと同じ炭水化物の仲間、たとえば砂糖だって、結晶になるよね。その場合はどうなるの?

砂糖の場合、分子と分子の結合については当然「鉱物ルール」さ。つまり、分子が運動エネルギーを失って、初めて結晶化するという意味ではね。

(ショ糖の構造式。by Don A. Carlson. 出典:ウィキメディア・コモンズ)

そもそも、砂糖の化学エネルギーは、ショ糖分子同士が結びついて結晶化するときに埋め込まれるわけじゃない。最初っから1つ1つの分子の中に、つまり上の構造式の中に含まれているのさ。だから、分子がばらばらの状態になっている砂糖水でも、飲めばちゃんとエネルギー源になる。

   ★

さて、天の声を聞いて、分かった2つめの誤解がある。それは「秩序とエントロピーの高低は関係ないという思い込だ。やっぱり「秩序あるところにエントロピーの低下あり」っていうのが、大抵の場合、真実らしいんだ。

本文中で、キミは「均一に混ざった砂糖水は、エントロピーは高いが、秩序は感じられる」っていう話をしてたね。

うん。「秩序」という日常語と、物理学的概念としてのエントロピーは、ちょっとずれるというのは、その通りだと思う。でも、そこから「結晶も砂糖水と同じ理屈で、秩序はあるがエントロピーは高い」と述べたのはウソだった。

ちょっと勇み足だったね。

このことを本筋から攻めるとね、「エントロピーの変化は、熱量変化を絶対温度で割った値に等しい」、つまり「ΔS=ΔQ/T」という関係式を考えればいいんだ。そう難しいことじゃない。

いったいどこからその式を持って来たんだい?やっぱり天の声ってすごいね。

そうさ、すごいものさ。で、結晶ができるとき―これは水が氷になる場合でも、溶液中で溶質が析出する場合でもそうだけど、凝固熱の放出が観察される…と習ったのを覚えているだろう?

うーん、何かそんなのあったね。

凝固熱の正体は、さっきも言ったように、固体化の過程で分子の運動エネルギーが失われることによるわけだけど、熱量変化でいうと当然マイナスさ。そこから熱が逃げ出すわけだからね。で、上の式のΔQがマイナスならば、当然左辺のΔSもマイナス、つまりエントロピーは減少するわけだ。

エントロピーの減少は、別に生物のおはこじゃないわけだね。

エントロピーの減少自体は、神秘でも何でもなくて、身の回りでいつでも起こっていることさ。その卑近な例が、気体→液体→固体の変化だね。この順に、分子は熱意を失う代わりに落ち着きを増して、ハチャメチャな状態から秩序を好むように変化するわけだ。何となく人間っぽいけど、この変化は可逆的なところが、人間とは違うね。

ちょっぴりうらやましいね。

そして、エントロピーの減少が可能なのは、geometさんの天の声にあったように、身の回りの現象は、外部と熱の出入りがある開放系と見なせるからさ。熱の捨て場がないところ、つまり孤立系だったら、エントロピーは右肩上がりになっちまう。

遠くにゴミ捨て場があるから、目の前の部屋が片付くっていう理屈だね。

   ★

そして3つめの誤解、それは「自由エネルギーが最低の状態は、即ちエントロピーが最大の状態」と考えたこと。実際、上で言ったように、物質は結晶になる過程で、自由エネルギーを失いつつ、かつエントロピーを減らしているんだから、こりゃ明らかにウソだね。だからビー玉とバケツの話も結局ウソさ。

なんだ、「うまい!」って思って損したよ。でも、どこがウソだったんだろう?

自由エネルギーの減少とエントロピーの増加が、いついかなる時も相伴うと考えたのが敗因さ。これもgeometさんの言うように、系の特性を考えてなかったためだろう。確かに熱の出入りのない孤立系なら、そうなる理屈だけどね。

それにしても、エントロピーの増大と自由エネルギーの低下っていう話ね。キミの話を聞きながら、あるマンガの1シーンが思い浮かんだよ。おかげでことさら「うまい!」って思ったのかもしれない。主人公の1人が、「宇宙の熱的死」について語る場面なんだけど…。

あれだ、『百億の昼と千億の夜』だ。

あ、キミも読んだ口だね。まあ、あれはあれでウソじゃないけど、子供相手には一寸罪作りだったかもね。…ところで、今聞いた話は、全部本当だよね?

いや、保証の限りではないな。
まあ、ウソならウソで、また考えればいいさ。それが許されるのが、素人の特権なんだから。


結晶海に漕ぎ出す(休憩)2014年08月08日 06時41分01秒

天の声が聞こえた!
天の声が聞こえた!

私の駄文は脇において、まず天の声(=前回のコメント欄)に耳を澄まされることを、皆様方にもお勧めしたく、また天の声への我が返り事は、身を清めた上で、かしこみまおすべく。

結晶海に漕ぎ出す(4)…ミクロとマクロ2014年08月10日 13時39分37秒

(あれから2日後)

よお、どうだい。結晶の方ははかどってる?

やあ。まあ、なかなか難しいね。でもさ、さまざまな結晶のあり様は、結局、分子・原子の配列の規則性に基づいて決まるっていうのは確かだし、そこが肝だと改めて思ったよ。…ところで、キミはこの本読んだことあるかい?

(堀秀道(著)『楽しい鉱物学』、草思社、1990.※その後新装版が出ています。)

いや。でも、堀秀道さんて、ときどき「鑑定団」に出てくる人だろ?

うん。この本の序文は、日本に鉱物趣味が定着しつつあった平成初めの世相を物語る資料として、すこぶる興味深いけれど、それはさておき、堀さんは本の中でこんなことを書いてる。

「生物では、構造の単位としてまず細胞があり、その下に分子があり、究極的に原子やイオンに至るが、鉱物では中間的なものがなく、一足とびに原子やイオンになってしまう。」(p.142)

「世の中はすべて原子(イオン)からできている。しかし、人間は原子(イオン)を見ることはできない。それはあまりにも究極微の世界だ。ただ、鉱物の結晶を手に持つとき、人間は原子(イオン)の世界に直接触れることができる。結晶は原子(イオン)の世界の出来事がそのまま肉眼化したものなのだ。/人間が鉱物の結晶の美しさに打たれるということは、宇宙の根元である原子(イオン)の世界に触れた感動ではないだろうか。」(p.164)

「結晶は目に見える原子の世界」ってわけか。なんとなく分かる気がするな。

だろう?結晶の話で、これまでボクがすごく分かりにくかったのはね―。

うん。

最初は、結晶面の角度がどうとか、対称軸がどうとか、「あ、これは目の前にある具体的な結晶の話をしてるんだな」と思って聞いているじゃない。

ふむふむ。

でも、それがいつの間にか、単位格子がどうとか、イオンの配位数がどうとか、ミクロの話にスライドしてて、「あれ?いったい自分は今どこにいるのかな?」って、いつも迷っちゃうんだ。しかも、そこに出てくる挿絵が、どっちも似たような3次元座標の図だったりするもんだから、なおさら混乱しちゃってね。


ほら、このウィキペディアの「結晶構造」の項目に出てくる説明図もそうさ。結晶系の方は肉眼レベルの話だろ。でも、それがミクロの世界のブラベー格子の絵と、何の説明もなく、当たり前のように並んでいて、面喰っちゃうわけさ。

なるほど、それで堀さんの一文ってわけか。

そういうこと。結晶は生物と違って、肉眼的な世界と極微の世界がダイレクトにつながってる…そう知ってみれば、そんなに戸惑う必要もなかったなあと思って。そして、いっそう結晶を興味深く思うようになったよ。

うん、結晶系とブラベー格子の対応にしてもね、これはこうあるべきなんだよ。結晶の面や軸なんていうのは、まさに「原子(イオン)の世界の出来事がそのまま肉眼化したもの」なんだから。

それにしても、人間は、細胞、個体、社会、みんなてんでばらばらの論理で動いているのに、鉱物界は律儀だね。修身・斉家・治国・平天下を地で行く感じがするな。

分かった、分かった。まあ、落ち着けよ。
…ところでブラベー格子って、よく聞くけど、いったい何だい?

そうだ、そのことがあったね。

(この項つづく)

結晶海に漕ぎ出す(5)…ブラベー格子(前編)2014年08月12日 21時36分30秒

さて、これまでは前振りで、いよいよここからが結晶学の教科書にかかわる内容です。
しかし、これまでのところで既に疲労が著しいです。

結晶海に漕ぎ出すぞ!と張り切っていたのに、何だか浜辺でゴムボートを膨らませただけで、体力を使い果たした感じです。我ながら本当に虚弱ですね。

…というわけで、結晶海には漕ぎ出しません(え?)
せめてブラベー格子だけは…と思ったんですが、白状すると、いまだによく分かりません。当初の計画では、前振りの間に急いで勉強すれば分かると思ったんですが…。

   ★

思い起こせば、ブラベー格子との出会いは、今から7年前。
それは他でもない、「ルーチカ図鑑」の作者のお一人、TOKO(とこ)さんが作られた、結晶系とブラベー格子をテーマにした理科豆本を手にしたときのことです。
この豆本は、その後「タルホの匣(はこ)」のアイテムとなり、今でもそのまま匣の中に収められています。(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/04/06/4999779


それ以来、ブラベー格子は「何だかよく分からないけど、結晶の単位となる構造を示すもの」程度の理解のまま、私の中にずっと住み続けています。しかし、それ以上のことは、今も濃い霧に包まれています。

たとえば、ブラベーその人について事典を引くと、こんなことが書いてあります。

ブラベ Bravais, Auguste 1811.8.28~63.3.30

フランス パリのエコールポリテクニク(工科大学)の教授であった。1850年に平進操作により5個の平面格子および14個の空間格子を導き、この格子のもつ対称を7個の結晶系の対称と対比させ、おのおのの格子が完面像晶族に属していることを示した。これは14のBravais 格子して知られている。また彼は格子の網面密度および網面間隔の概念を提起し、結晶面の発達に関する Bravais の法則を導いた。(以下略) (『増補改訂 地学事典』、平凡社、1990)

うーん、難しいですね。この記述のうち、私が理解できるのは最初の1文だけです。

(オーギュスト・ブラベー 英語版Wikipediaより)

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さっぱり分からぬながらも、ブラベー格子を考えるときに重要だと思うのは、ブラベーがこの概念を発表した当時(1850年頃)は、原子も分子も、物質の微細構造の実際については、何も分かっていなかったことです。

彼の時代にはX線回析装置も、電子顕微鏡もありませんでした。
彼が知り得たことは、肉眼的な結晶を観察して得られた知見のみです。
たとえば、結晶は基本的に平面に囲まれた立体であること、隣り合う面と面の角度は鉱物種ごとに一定であること、現実の結晶は生成条件の違いで様々な形をしているけれど、その共通点に注目すれば、鉱物種に応じた「理想の結晶形」を描けること、そして結晶には特定の方向に割れやすい性質(劈開)があること…等々。

ブラベー以前の学者、たとえばフランスのアウイ(René Just Haüy 1743-1822)は、そうした性質を説明するために、鉱物は微小な「レンガ」からできており、そのレンガの形の違いが、結晶の形の違いとして表れると唱えた…ということが、諸書に書かれています。

(アウイとその結晶構造模型 http://www.geowiki.fr/index.php?title=Cristallographie

このレンガの説は見た目が分かりやすくて、私なんかは「もうレンガでいいじゃないか、いったいそれのどこがいけないんだ」と思いますが、どうもレンガ説では矛盾する事実がいろいろ見つかったらしく、その改良版として生まれたのが、「格子説」だそうです。

(この項つづく)

結晶海に漕ぎ出す(6)…ブラベー格子(中編)2014年08月13日 23時42分53秒

(昨日のつづき。以下の記述には、意図せざるウソがまじってるかもしれません。とりあえず自分用に書きました。)

「格子説」では、鉱物の構造を説明するのに、積み上がったレンガではなしに、立体メッシュを思い浮かべます。メッシュの交点に描き込まれた小球が、鉱物を構成する「分子」であり、ワイヤーはその「配列規則(を視覚化したもの)
この2つが決まれば、鉱物の性質も自ずと決まる…という考え方です。


一つ注意しないといけないのは、ワイヤーはあくまでも分子の配列パターンを視覚的に表現したものに過ぎず、それ自体は何ら実体のない、仮構の線だということです。したがって、「分子」を結ぶように線を引いたのは、単に見やすさとか、作画の便のためであり、「分子」からずらして線を引いても、結晶の表現としては等価です(↓)。

(ここでは簡略化して、結晶を2次元で表現しています。上・中・下段は、いずれも同一の結晶を表現するバリエーションに過ぎません。)

なお、ここで「分子」とカッコ書きしましたが、ここでいう「分子」は、科学的に正確な意味での分子ではありません。結晶学の分野では「基本構造」と言うそうですが、それは1個の原子(イオン)の場合もあり、また複数の分子が複雑に絡まっている場合もあり、要は結晶の中で繰り返されている基本パターンのことです。

下にそのイメージを模式的に示しました。
赤・黄・青・緑の4種の分子が、一定の間隔で並んでいますが、この場合、4つの分子を1セットにして「基本構造」と見なせます。上で述べたように、メッシュのワイヤーは、上のように表現しても、下のように表現しても構いません。


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さて、ここで言葉の使い方を少し整理しておきます。
まず子(lattice)」とは、メッシュ構造の全体を指し、メッシュの1マス1マスは「単位格子(または単位胞 unit cell)」と呼ばれます。単位格子が縦横にズラッと並んで、結晶を形作っているわけです。

では、ここでメッシュの網目を、下の図のように粗くしてみたらどうでしょうか?
これも学問的には「あり」で、各マス目を並べると、ちゃんと結晶が出来上がるという意味で、やはり「単位格子」と呼ばれます。そして、上のように1つのマス目に1つの基本構造しか含まない場合は、特に「基本単位格子」と呼びます(何となく「基本」と「単位」の語感がかぶっていますが、 原語は「primitive unit cell」)。

(この場合も各マス目は「単位格子」)

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ここで最初の図にもう一度登場してもらいます。



こういうメッシュ図を見ると、反射的に塩化ナトリウムの分子模型が思い浮かびます。


この両者をくらべて、もう一度「格子」の意味を確認してみます。
メッシュの交点(格子点)に存在する小球(基本構造)は、塩化ナトリウムの図でいうと何に当たるかお分かりでしょうか。

答はコレ↓ではなく、


コレ↓でもなく、


コレ↓です。


確かに、コレ↑でないと、上下・前後・左右にズラッと並べたときに、同じパターンの繰り返しにはなりません(この場合、各面は隣の基本構造と共用と考えてください)。

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塩化ナトリウムは結晶系でいうと「立方晶」に属し、文字通り塩素とナトリウムが立方状に並んでいます。しかし、立方晶であることは、イコール原子(イオン)の配置が物理的に立方状であることを意味するわけではありません。

たとえば、ネット上を徘徊していて、「βマンガン」の結晶構造模型を見かけました。
(記憶の便のため、サムネイル画像をチラ貼りしておきます。詳細はリンク先をご覧ください。)


マンガンは、温度によって結晶構造が変わり、ここでモデル化しているのは、742~1095℃のときの「βマンガン」と呼ばれる状態です。そしてβマンガンには、さらに2つの原子配列があって、リンク先の模型では、赤と水色の球でそれを表現しています。

ここでは例えば赤い球のみに注目してもらえばよいですが、じっと凝視しても、そのどこにも立方パターンは浮かび上がりません。にも関わらず、βマンガンの基本構造に注目してメッシュをかぶせると、その形は黒いワイヤーによって表現される立方体となり、この立方体が無数に並び、積み重なることによってβマンガンは出来ています。そして、βマンガンも塩化ナトリウムと同じく、立派な立方晶の仲間なのです。

この例からも、「格子」の概念は、実際の分子配列よりも、抽象度が一段高いことが感じ取れると思います。

(大理石調のこの不定形な紋様も、よーく見ると正方形のメッシュをかぶせることができることにお気づきでしょう。結晶の中に潜む構造も、これと似たところがあります。)

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結晶構造における「基本単位格子」の大雑把なイメージは以上のとおりです。
そしてブラベー格子」とは、この基本単位格子を、その数学的性質に基づいて14種類に分類したものです。

では、その「数学的性質」とは何か?

(この項つづく)